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別に、「サウンドデモの存在意義」なんて実はどうでもいいんだ。ただ、僕は路上で色んな人と直接話がしたい。「路上で」っていうのは絶対に手放さないけど。想像力はベッドルームと路上から - 「デモ」に関して、僕が書きたかったのは本当はこんなことじゃなかった。それなら何故あなたはウエブログをやっているのだ。「路上で」が手放せない事をウエブ上に書いて「オレの土俵に来い」とけしかけている姿があさましく、ペラいものにしか映らないんだよ。「路上」だけコミュニケーションをしたい。自分達はウエブや、社会や、地域やそういったムラを否定しているのに「路上」というムラを作り、そこに来る事だけを要求する。その滑稽、その矛盾、その奇妙さ。全てが引用文に凝縮されている。 コミュニケーションは路上で、が手放せない?そう思ってる奴がウエブログをやるな。路上でコミュニケーションをしたいと思っている人とだけコミュニケーションをして
8月5日、サウンドデモ、参加してきました。 http://sounddemo.nobody.jp/ すでにいろいろ報告が出ているようです。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20060805/p1 http://d.hatena.ne.jp/Dryad/20060805#p1 http://d.hatena.ne.jp/KGV/20060805/1154780312 http://d.hatena.ne.jp/bullet/20060805#p2 中でも、最初に読んだ杉田俊介さんのものが大変興味深かったので、そちらを適宜引用させていただきながら書いてみたいと思います。 一つだけこうしよう、と思っていたことがあって、デモには「参加」せず、「見学」しよう、と。ずっと付かず離れずで「併走」というスタンスを取ろう、そこから見えてくるものを見よう、と。いかにも
とりあえず、下記ブログの引用から。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20060805/p1 私は、なるべく、通行人たちの言葉に耳を澄ませ、それを書き留めるようにした(といっても、想像以上に周囲の音がうるさくて、あまり聞き取れなかったのだけれど)。 ○「なにやってんの?よくわかんなくね?」(10代後半くらいの男性、数名のグループ) ○「フリーターだってよ(笑)」(20代前半くらいの男性、数名のグループ) ○「(…)ちゃんと働いている人のじゃますんなって感じ」(中学生くらいの女の子、二人連) ○「フリーター?俺たちもなるかもね。ハハ」(20代前半くらいの男性、数名のグループ) ○「なに?お祭り?」(30代くらいの女性) ○「珍しいものみれてよかった」(20代中盤くらいの男性、たぶんオタク系グループ) ○「働かなくても金くれってこと?あり
先日、むちゃくちゃな弾圧があったサウンド・デモの話なのだけれど、警察は、「円滑な交通」を口実にして「思想」や「表現」を取り締まる。裁判官は、実際のデモのようすがどうだったのかを知らず、知ろうともせず、警察の言い分を鵜呑みにして、不当な逮捕を見逃し、犠牲者に無実の罪を着せる。ぼくは日本の裁判官に、デモを見ていた市民の話を聞くことをお薦めしたい。 当日、ぼくはまったくデモに加わらず、終始一貫して歩道で取材をしていた。 異様な警備を見て、「今日、警察は何かやるつもりだな」と思い、その様子を目撃して、伝えたかったからだ。 しかし、ずっと歩道にいると、中から見ている景色とは違うものが見える。違う音が聞こえる。当日、ぼくが歩道から見たもの、聞いた音を紹介したい。 さて、なぜ、サウンド・デモが狙われるのか。サウンド・デモはうるさいから? 警察の指揮車からの放送の方がよっぽどうるさいし、客観的にも音量は大
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