ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…
勉強することの意味を尋ねられたらどう答えようかな、などとはよく考えることがあるけれども、今日は特に数学に限定して考えてみようか。先日、数学を勉強するのは論理的思考を養うためだという旨の説明を横耳で聞く機会があって、それも一つの説明だろうなとは思いながら、ただそれだと国語との差別化が難しくなるだろうと感じていた(実際、その人は数学≒国語だと結論したのである)。 他の説明(説得?)の仕方としては、数学は現に「必要」になるし「役に立つ」んだということを示す方法や*1、数学は意味など無くても単純に楽しいものなんだよと見せつけるアプローチなどがあるのだろう*2。ただ、これらは誰にでも当てはまるわけではないという意味で、論理的思考の訓練であるという説明に比して汎用性は低いように思う。そこで、一種のトレーニングのためであるという説明の方向性を維持しつつ、国語とは区別された数学の独自性を損なわない形で論を
高校生のみなさまへ センター試験受験者へのちょこっとしたエール 数学、物理、化学の記述問題は丁寧にかつ綺麗に解答しましょう 「受験のお昼を宅配で」なんてダメだよ 自然な疑問に関する3部作+1 「自然な疑問」を持たないように訓練されている 『自然な疑問』を持つように訓練するには 「どんな疑問や目標が求められているのか」という発想を壊したい どうやったら質問を思いつけるの? 精神的背骨の話とその反応 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない 「黙っているしかないじゃん」をどうにかしたい 表現者という言い方をした理由 それぞれが考えるそれぞれの「精神的背骨」 安心して自分の思いを口にできるようになるために 世のお母様方・お父様方にちょっとアドバイスもらいたい 表現者は認められなくても表現者 学生が自分の主張を述べにくくなる心理について 誰も教えてくれない論文シリーズ 論文の種類の違い
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