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こころと芸術に関するlaislanopiraのブックマーク (736)

  • 日本からは豊国も。夢を絵で表現した世界26人の芸術家たち : カラパイア

    「一日の半分は地球の影の中を通り過ぎる。死の兄弟は人生の3分の1を強要する」とは、英国の著作家、トーマス・ブラウンの言葉である。 夢は人間の独創性や表現のための豊かな土壌である。信仰や神話などと同様、絵画の世界においても、夢の世界はとても重要で、ロマンチシズムの誕生以来、この数世紀の間、個人的な夢の世界を探る動きがますますさかんになった。 無意識と関連して、夢は心の奥に潜む欲望、罪、恐怖、野心など、覚醒しているときには隠れている真実を浮上させ、それを具現化しようとする芸術家にとって完璧な媒介物であることがわかってきた。

    日本からは豊国も。夢を絵で表現した世界26人の芸術家たち : カラパイア
  • 車輪の質感、線路の砂利…鉄オタも驚愕、埼玉のリアルすぎる「鉄道画家」(1/6ページ)

    遠目に見ると写真と見間違えてしまいそうな機関車の車輪やピストンの質感。または線路の砂利の一粒一粒-。こんな鉄道画を描いて注目されている埼玉県日高市に住む福島尚(ひさし)さん(44)。驚くほどのリアルさにもかかわらず、一切、下書きをせず、記憶のままに描いていくのが最大の特徴だ。生まれつきの知的障害(自閉症)を持ちながら、その才能が今、開花している。(さいたま総局 安岡一成) 日高市の住宅街にある福島さんの自宅。アトリエで絵筆を握り、黙々とキャンバスに向かう尚さんの姿があった。昼間は施設に通い、缶や古紙のリサイクルの作業に精を出し、戻ったら寝るまでアクリル画や水彩画を描いている。 そのかたわらに座り、優しく見守る父の清さん(71)。母のキヨさん(70)もコーヒーとロールケーキをそっと差し入れ、柔らかなまなざしを向ける。幸せな家庭の温かな雰囲気の中で、清さんに話を聞いた。 ■ ■ ■

    車輪の質感、線路の砂利…鉄オタも驚愕、埼玉のリアルすぎる「鉄道画家」(1/6ページ)
  • みんな真面目に考えすぎ! 明和電機の「いらんこと」から生まれるアイデア発想術 - イーアイデム「ジモコロ」

    バーグハンバーグバーグ代表・シモダテツヤが、自分と同じ“社長”に話を聞きに行くこの企画、今回は明和電機の代表取締役社長・土佐信道さん。あるイベントでご一緒した時に、その圧倒的なライブパフォーマンスに魅せられて以来、じっくりお話ししたいと思っていた人物です。 クリエイターとして、そして社長としての持論を伺ってきました! 土佐信道 1967年兵庫県生まれ アートユニット「明和電機」代表取締役社長。 既成の芸術の枠にとらわれることなく、展覧会やライブパフォーマンスはもちろん、製品をおもちゃや電気製品に落とし込んでの大量流通など、新しいアーティストの形を示し続けている。 オフィシャルサイト インタビュアー:シモダテツヤ 1981年京都生まれ。 Webクリエイター。バーグハンバーグバーグ代表取締役社長。 代表作は「イケてるしヤバい男 長島からのお知らせ」「インド人完全無視カレー」「分かりすぎて困る!

    みんな真面目に考えすぎ! 明和電機の「いらんこと」から生まれるアイデア発想術 - イーアイデム「ジモコロ」
  • 大竹昭子のカタリココ|2015年最後のカタリココ、高野文子さんとの濃密な2時間。

    告白しますと、高野文子さんの作品は『ドミトリーともきんす』ではじめて知りました。マンガを読む習慣がないもので、その世界にうとかったのです。「ともきんす」を読んで、こういうマンガがありうるのか!とびっくりし、過去の作品に遡ってわかったのは、彼女のほとんどの作品が「自伝である」ということです。『チボー家の人々』に没頭する少女が主人公の『黄色い』がそうなのは言うまでもありませんが、それ以前の作品も自伝の要素が強く、これまでくぐりぬけてきた記憶や意識世界がベースになっています。 ひとりの人間が、どのような過程を経て、いまある表現にいきつき、この先を進もうとしているのか。カタリココの関心はいつもそこにありますが、高野さんの作品はとりわけその興味をかきたてました。そんな次第で、新潟の国鉄官舎に育った独り遊びの好きな少女が、どのようにして従来のマンガを逸脱し、独特の世界を築いてきたのか、というのが今回

    大竹昭子のカタリココ|2015年最後のカタリココ、高野文子さんとの濃密な2時間。
  • 創造性はひらめきではなく「積み重ねた失敗」から生みだされる

    By Son of Groucho 優れた芸術作品や工業製品に触れると、「一体どのような天才のひらめきから生まれたのだろうか?」と考えてしまうものですが、「創造性は失敗によって生み出される」ことを指し示す数多くの例があります。高い品質を生み出すためには多くの失敗は不可欠であり、質を追うならば失敗を受け入れる必要があるという「Permission to Fail(失敗の許容)」なる考え方が注目されています。 Viewpoint: How creativity is helped by failure - BBC News http://www.bbc.com/news/magazine-34775411 芸術がいかにして生み出されるのかについて書かれた名著「Art and Fear」では、著者のデイビッド・ベイルズ氏とテッド・オランド氏が、芸術を専攻する学生に対して行った興味深い実験について

    創造性はひらめきではなく「積み重ねた失敗」から生みだされる
  • 異なることがうれしい――写真展『なにものか』オープニングトーク/齋藤陽道×長津結一郎 - SYNODOS

    写真家・齋藤陽道氏は2014年11月から1年間かけて、京都、広島、福島、高知の4つ(※)のアール・ブリュット美術館を巡った。 「そこにまつわる施設、ひと、事、空気、土地に触れながら、ふくらんでいくばかりのわからなさと、そことは別のところでより明晰になってくる直感との間で共鳴するリズムにうながされるまま10体のなにものかを形にした。」 と書く彼は、いったい何と出会い何を撮影したのか―― 2015年11月8日(日)~11月23日 (月・祝)、3331 Arts Chiyoda 1F〈3331ギャラリー〉にて、日財団の主催により、日財団アール・ブリュット美術館合同企画展「TURN/陸から海へ(ひとがはじめからもっている力)」関連企画として、齋藤陽道展「なにものか」が開催中だ。今回は、齋藤陽道氏と長津結一郎氏(TURN展事務局/NPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表理事)による

    異なることがうれしい――写真展『なにものか』オープニングトーク/齋藤陽道×長津結一郎 - SYNODOS
  • 30年間贋作を制作し、資産家や神父を装って美術館に寄贈し続けた男

    『美術館を手玉にとった男』は、とんでもなくユニークな贋作者を題材にしたドキュメンタリーだ。事の発端は、2008年にオクラホマシティ美術館のレジストラー(情報管理担当者)、マシュー・レイニンガーが、マーク・ランディスなる人物によって寄贈された作品が贋作だと気づいたことだった。彼は他の美術館に問い合わせるなど調査を始め、驚くべき事実が明らかになっていく。ランディスは30年にわたって多様なスタイルを駆使して贋作を制作し、資産家や神父を装って美術館を訪れ、慈善活動と称してそれらを寄贈していた。騙された美術館は全米20州、46館にも上った。 ともに美術界にバックグラウンドを持つふたりのドキュメンタリー作家が、「ニューヨーク・タイムズ」の記事でランディスのことを知ったとき、事件の背景はまだ解明されておらず、謎に包まれていた。そこで彼らはランディスに接触し、その実像に迫っていく。 『美術館を手玉にとった

    30年間贋作を制作し、資産家や神父を装って美術館に寄贈し続けた男
  • 文月悠光 洗礼ダイアリー 第4回 セックスすれば詩が書けるのか問題

    あるライブハウスのイベントに出演したときのことだ。朗読のパフォーマンスを終えた私に、初対面の男性がこう尋ねてきた。 「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。最近セックスしてる?」 セックス? あっけにとられ、固まった。空気は完全に凍りつき、その場の男性たちも顔を見合わせて黙り込む。 「そんなの関係ないと思いますけど......」 精一杯に反論するも、彼は「いや、あるね! 男と濃い恋愛をして、その経験を詩に注ぎ込まないと!」とお決まりのアドバイス。立派な(?)セクハラである。 彼の言動も腹立たしいが、何より歯痒かったのは、彼に対する自分自身の反応だった。下世話な質問にまごついてしまい、彼の思惑通り「臆病な女の子」を演じてしまった。打ち上げの飲み会で、同じ質問を受けた同世代の女性は、「イエー! セックス!」と軽やかに応酬し、笑いに変えていた。その光景もまた衝撃的だった。たとえ私が「イエー!」

    laislanopira
    laislanopira 2015/10/16
    男はなぜ無邪気で軽率か
  • 独立メディア塾

    梅雨入り直前、知人を訪ねて久しぶりに鎌倉へ行ってきました。 若い頃にはよく海を見に、この辺りをドライブしたものですが、免許証を返納してしまった今では、誰かに連れて行ってもらわ...

    独立メディア塾
  • メメントモリ・ジャーニー - メレ山メレ子 × 岸政彦「これが自由だ」――『メメントモリ・ジャーニー』刊行記念対談 | ウェブマガジン「あき地」

    イベントタイトルの「これが自由だ」は、岸さんは『メメモジャ』の連載第1回を読まれてTwitterに書かれていたひとこと。岸さんとメレ山さんにとっての「自由」とは――この春から新たな生活をスタートさせた方もいらっしゃると思います。そんな方の背中をそっと押してくれるような、人生における自由についてのお二人のお話です。 【ゲスト・岸政彦さんプロフィール】 岸政彦(きし・まさひこ) 社会学者。1967年生まれ、大阪在住。沖縄社会論、生活史方法論などを研究。主な書著に『同化と他者化──戦後沖縄の土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社・紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)、『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』(有斐閣・共著)、『ビニール傘』(新潮社・第156回芥川賞候補)など。 岸政彦(以下、岸) いきなり題に入りますが、ぼくは

    メメントモリ・ジャーニー - メレ山メレ子 × 岸政彦「これが自由だ」――『メメントモリ・ジャーニー』刊行記念対談 | ウェブマガジン「あき地」
  • ストリップとか春画展とかを非エロのアートやサブカル視点で見たがる女子が苦手

  • 美の本質と善(道徳)

    秋田で「美の質と善(道徳)」という、ちょっとすごいタイトルのシンポジウムに出演しました。このシンポジウムの背景には、数年後(小学校は2018年、中学は2019年)に実施される「道徳の教科化」ということがあります。「美と善」といった問題が真正面から扱われるようなことはあまりないので、参加しました。聴衆には現場の教員の方々もたくさんいらっしゃいました。そこで話したことを少し加筆修正して、ここに掲載しておきます。 まずはじめに、「質」とは何かを簡単に説明しておきたいと思います。「質」というのは「変化を通じて変わらないもの」のことです。何かがいろいろな仕方で現れる、と私たちが言うとき、いろいろな現れ方をするその「何か」が質です。このように、質とは何かを説明することは容易なのですが、その質が何かを直接知ることは容易ではありません。 たとえば私たちは日常生活の中で、相手に合わせて様々に異な

  • 「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog

    (※この記事は五輪エンブレム問題における佐野氏の責任に言及するものではありません) ohnosakiko デザイン, 社会 佐野氏の人柄とかこれまでの仕事などにあまり関心はないが、今回この件で「クリエイト」ということにたくさんの人が強い期待を抱いていてオリジナリティ神話が生き続けているのを目の当たりにした気分 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-263706487 ohnosakiko デザイン, ネット >インターネットの質である「共有」というシステムを、自らの個人的な名誉と利益のために利用したというところ/デザイナーはエディター(出自を明らかにしたありものを編集する)に近いという認識が必要かも。 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-264651028 五

    「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog
  • オリジナリティについて

    誰がだれのマネしたとかせんとか、もう当にウルサイことである。 オリジナリティとは何かという問題についてついぞ考えたこともなく、今後もけっして考えないであろう人たちだけが、盗用があったとかなかったとか、そんなことだけで騒ぎたがるのである。騒ぎたければ勝手に騒げばよいが、そのことによって等閑視されてしまう問題があり、それが美学的には重要な問題なのである。 オリジナリティとは何かをちゃんと考えたことのない人たちにとって、オリジナリティとはたんに、他のものに似ていないということにすぎない。そういうオリジナリティだったら、ネット検索で容易に判定できる。そんなことはまあ、美学的には、どうでもいい。いや、むしろ有害な態度である。なぜならそうした態度は、作品をちゃんと視て真剣に思考することから、私たちをどんどん遠ざけてしまうからである。 類例がないからオリジナルだという考えは、戦争がないから平和だという

  • 交差する人生、行き交う物語/岸政彦×ヤンヨンヒ - SYNODOS

    他人を理解する糸口はディティールにあるのでは――はじめてのエッセイ集となる『断片的なものの社会学』を上梓した岸政彦氏と、「ディア・ピョンヤン」「かぞくのくに」などを手掛けた映画監督ヤンヨンヒ氏とのトークショーが行われた。その模様を抄録する。 (構成/山菜々子) ヤン 『断片的なものの社会学』読ませていただきました。路上のギター弾きのおじさんの話が出てきますよね。あそこまでしゃべるって、岸さんどんだけ聞くのうまいねん、って思いました。 岸 いやー、そんなことないです。あの人、だれにでもしゃべりますよ。 ヤン そんな感じはしますね(笑)。 岸 そもそも、ぼくのこと覚えてないんですよ。あのおっちゃん、通天閣のゲートの下でいまもやってます。名刺持っているんですけど、自分の名前の上の肩書に、相撲のフォントで「世界インターネット」って書いてある。 「これはなに?」って言ったら、「なんか、出てくるんや

    交差する人生、行き交う物語/岸政彦×ヤンヨンヒ - SYNODOS
  • 日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。

    2015-08-24 日が西洋に負ける理由 先日久しぶりにバスに乗ったのですがバスのインテリアがダサく感じました。 思い返してみると日の公共交通機関は大概ダサいです。 その後に行った暁斎展でその理由が自分の中でまとまった気がしました。 これは今回の展示で観た作品で、暁斎が絵を描いている風景です。(弟子のコンドル作) それに対し洋画の描き方はこうです。 違いがわかりましたか? 洋画の方は人がたくさんいるとか服が気合入っているとかではありません(笑) 絵を寝かせているか立てているかの違いなのです。 日と西洋では絵画における対象の捉え方と表現の目的が違うのです。 日画は遠近法を用いずフラットで簡素な表現によって描きます。 そして写実性よりも観念的な表現を重視しています。 例えばこれは暁斎の「枯木寒鴉図」です。 この枝はリアルではありませんがみごとな枝として認識できます。枝の概念を描いてい

    日本が西洋に負ける理由 - バカは風邪をひく。
  • 修行 | はしもとみおのナマケモノ日記

    ドローイングといっても線だけで描くものではなく、クロッキーでも、水彩画でも、デッサンでも、なんでもいいんです。

    修行 | はしもとみおのナマケモノ日記
  • <花道編:第3回> 花をいけること:日経ビジネスオンライン

    「花」には、「花をたてる」「花をいれる」「花をいける」という三つの概念があります。 第2回では、「花をいれる」ことについて川瀬さんにお伺いしました。それは、自然の素のままの姿形を損うことなく「いれる」ことが尊重され、「なげいれ」と呼ばれています。 心にとまった花をさっと掴み、生命の源である水に放つように器に「いれる」ことは、「人間の作意を超えた」、「花の意志」が自然と息づくとともに、自ずとその人の「こころ」が浮び上がってきます。 日人は花との長いつき合いを通じて、もの言わぬ花をその姿形のまま生かすことが、最も多くの真実を語ることをよく知っていたのです。 木下真理子(書家) 人間位により「いける」 木下:では、「花をたてる」、「花をいれる」に続いて、三つ目の「花をいける」ということについて教えてください。 一般的に「いけばな」と呼ばれているものには、そのイメージとして、独創的、造形的なも

    <花道編:第3回> 花をいけること:日経ビジネスオンライン
  • 科学は私たちに「美」とは何かを説明できるのか?

    by Vladimer Shioshvili 何かを「美しい」と感じることは非常に主観的であり、美はあまり科学的に語られませんが、近年になって「脳」と「芸術」の関係を研究する「神経美学」という学問が登場しています。人間が「美しい」と感じる時、脳の中では一体何がおこっているのか、「The Aesthetic Brain」の著者であり神経科学者のアンヤン・チャタジー氏がインタビューに答えました。 Anjan Chatterjee talks about the neurology of creativity. http://nautil.us/issue/20/creativity/can-science-tell-us-what-beauty-is ◆美的経験とは何か by Priyambada Nath 美や美に類する価値を経験することが「美的経験」です。人は美しいものを好み、美しいものか

    科学は私たちに「美」とは何かを説明できるのか?
  • 解放の賛歌 『放哉と山頭火』 - HONZ

    書は、自由律句のふたりの巨人の足跡をたどり、人生の真実を読み解いた評論である。だが、評論というには余りに美しく、写実性に富み、まるで読者を旅に誘うようだ。旅行記を読んでいるように、現代人の緊張を優しくほぐしてくれる快著である。書には、尾崎放哉と種田山頭火の代表的な句が、多数紹介されている。長く手元に置いて、折に触れてページをめくりたくなるだ。自由律句そのものが何度読んでも味わい尽くせないものだから、書自体、何度読んでも新たな感慨を得ることができる。 放哉と山頭火の共通点は、社会になじめず身を持ち崩した放浪の俳人という点である。読書を社会的な成功の糧と考える人の中には、この時点で興味を失う方も多いかもしれない。単純に考えれば、落伍した者のを読んでも成功のヒントは見つかりそうもないからだ。しかし、あとがきで著者が書いているように、二人に共通する「現世から逃避したい」という願望を心に宿

    解放の賛歌 『放哉と山頭火』 - HONZ