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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (97)

  • 会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog

    去る5月1日、大阪で行われた合宿勉強会「集まるのが大事vol.2」(テーマ=反抗)の二日目に登壇し、以下のような内容で90分ほどのトークをした。 「反抗 vs 反抗 」の外へ―性的表現と性差別批判の弁証法― 【概要】 美術に現れる女性の裸体表現は、かつては神話の文脈と宗教の縛りの間にあったが、次第にその制約を離れ、個としての性表現へと変化・多様化してきた。一方フェミニズム批評による美術史の読み直しにより、作品中の男性視点や性規範が指摘されるようにもなった。近年は強い反発と撤去要請が起こるような事案も散見される。 議論を呼んだ主な女性ヌード表現及び批判の文脈を辿り、「反抗 vs 反抗」の隘路から「外」に出る視点について考える。 【内容】 ① 「女を見る」をめぐる男/女の非対称性 ② 西洋美術における女性ヌードの位相 ③ 近代日の西洋美術、性道徳の受容 ④ 「性差別」という批判の始まり ⑤

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  • 前衛、野グソ、「先験的廃業」 - ohnosakiko’s blog

    またセルフTogetterです。7日から一週間ほど、集中的にアート関連のtweetをしたので、抜粋の上まとめておきます。(※参照)はここで追記。 3月7日 来は(いい意味での)アート未満のものやことが、アートとして位置付けられたとたんにつまらなく見えてくる現象に何か名前をつけたい。 絵画は自明なものではないと判った時には、既に何かがインストールされてしまっている。だから、絵画へのとっかかりをどう作るかで呻吟している人々がいる。しかし今や「絵画」だけでなく、「アート」(近・現代美術)も自明ではなくなったと言えるのではないだろうか。 とすれば、既にインストールされているものにどう対処するかが、問題となるのではないだろうか。それが、「前衛の再設定」となるのが私にはやはりよくわからない。「再設定」において、アートの自明性を問うということなら理解できる。でもそういう話はほとんどなかったように思う。

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  • Loftの広告、炎上から取り下げまでで思ったこと - ohnosakiko’s blog

    ※この数日のツイートをそのまま並べた(横道にそれたもの、言及先のあるものは除く)。 ●広告に批判 Loftのバレンタイン特設ページが炎上気味と聞いて見てみたが、特別厭な感じは受けなかった。ただ、全体のセンスが何となく古臭い。女芸人が女子あるあるネタで散々やったような感じ。それにもう平成も終わりなのに、まだカレシ用のチョコ買うのかい自分用でなくてという。‥‥いや別にいいんですけど。 ポップな感じの絵にちょびっとダークな要素混ぜるのって凡庸だよね。どうせなら彼から彼へ、彼女から彼女へというパターンも作りゃいいのに。まあLGBTの商売利用として批判されるかもしれないけど、ヘテロ恋愛関係で散々商売してきてるんだし、そのくらい誰も思いつかんのかということが不思議。 あれは「サブカル」という指摘を見て、ああだから古臭いんだと思った。サブカル的な内輪受けっぽい「毒」入ってますよというスタンス。もう10年

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  • きものを「貴族の文化」にしたのは何か - ohnosakiko’s blog

    英国人の日文化論が「正しすぎる」「ぐぅの音も出ない」と話題に - with news(ウィズニュース) タイトルがちょっと煽り過ぎというか大袈裟に感じるが、小西美術工藝社のデービッド・アトキンソン社長という日文化に詳しいイギリス人が、きものの価格の高さについて苦言を呈している内容。以下は最後のところ。 そもそも伝統が伝統になる前は、ちゃんとビジネスになっていたはずなんです。消費者の意向を探り、自ら変わり続けた。だから伝統になれた。着物が存続するためには、真っ当なビジネスにするしかありません。もっと価格を下げて、手に取りやすい着物を増やす取り組みが、最低限必要だと思います。 最近またちょっとしたきもの流行りで、若い人向けの雑誌も出て、気軽にきものを楽しめるよう様々な提案がされていたり、手にしやすい価格帯のきものが売られていたりするが、街を歩いていて頻繁にきもの姿を見るところまでは行ってい

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  • 「外部」をめざす内在的絵画論 ––––『無くならない アートとデザインの間』を読んで - ohnosakiko’s blog

    変わったタイトルである。「無くならない」が大きく表示されてタイトルっぽく、「アートとデザインの間」がサブタイトルの扱い。 帯には、「20世紀の思想だったデザインやカウンターとしてのアートがある使命を終えようとしている。」の文言。「はじめに」では、アートとデザインの「ジャンル中間領域」の話でも、「両者の融合」ということでもないとある。 読み進めていくとわかるが、この「間」とは、「アート」として成立する以前、「デザイン」と呼ばれる以前の、名付け得ない行為を指している。今あるようなかたちのアートやデザインがなくなっても、その行為というか営みだけは「無くならない」ということだ。 「描く」という、人間の「無くならない」営みについて、「アートやデザイン以前」から根源的に考えようとする、非常に奥行きの深い内容だった。 著者の佐藤直樹は『WIRED』日版創刊からアートディレクターとして関わり、長年デザイ

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  • 近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog

    文豪とアルケミストと小林多喜二と日共産党 - Togetterまとめ 『文豪とアルケミスト』というオンラインゲームで、近代文学の小説家(が現代に転生したもの)がキャラとして多数登場している中に小林多喜二も含まれており、それについて新聞『赤旗』が好意的に取り上げたところ、そのゲームのファンの一部が「政治利用だ」と憤慨しているという話。 それに対し、「小林多喜二はそもそも共産党で‥‥」などのツッコミが多数入っている。言い換えると、「元キャラの背後のコンテクストやコンセプト知ってるの?」。 一種の「断絶」である。 最初は「そういう文脈知らなくてゲームやってて面白いのかな」と思ったが、よく考えてみれば文脈込みで楽しむというのは、この「動物化するポストモダン」の時代には今や古典的態度だ。 「自分たちの好きなもの(蟹のハサミ持った「元反逆児」のキャラという虚構)が、嫌いなもの(左翼という現実)に紐付

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  • 「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog

    「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体

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    laislanopira
    laislanopira 2016/10/28
    美術なら部屋の中に飾れよ、という人はパブリックアートの歴史を全否定しているのかな。太陽の塔も部屋の中にしまえよ
  • 「エロいかどうか」より「御しやすそうに見えるかどうか」では - ohnosakiko’s blog

  • 『超絶技巧!明治工芸の粋』に肝を潰す - ohnosakiko’s blog

    先日、岐阜県立現代陶芸美術館で開催中の『超絶技巧!明治工芸の粋』を観に行った。 明治工芸と聞いてもあまりイメージの浮ばない方は、下のリンク先を。 岐阜県立現代陶芸美術館 展覧会情報01 左上の「パイナップル、バナナ」、中段中の「竹の子、梅」は実寸大の象牙彫刻(牙彫)。この安藤緑山の作品をナマで観たいというのが、今回の主な目的。 初めて行く岐阜県立現代陶芸美術館は、中央線多治見駅からバス15分、徒歩10分。目印が何もなくやや不安になりかけたところで、美術館地階入り口への道があった。滝と川を取り込んだ、風流ながら大胆な作りの建築物。周辺の山には散策路があるようだ。 七宝、金工、漆工、薩摩、刀装具、自在、木彫・牙彫、印籠、刺繍絵画の全163点の展示作品はすべて、京都の清水三年坂美術館所蔵(村田コレクション)のもの。 最初にあるのは、並河靖之の七宝の皿や壷。蝶をモチーフにした驚異的に緻密な仕事に度

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  • 『ソフィ・カル ---- 最後のとき/最初のとき』を見て - Ohnoblog 2

    ソフィ・カルがまた豊田市美術館で見られると知った時から、ずっと楽しみにしていた。 前回見たのは12年前の2003年。カルが一年に渡って23人の盲目の人たちにインタビューを行った上で制作した、<盲目の人々>という写真とテキストを組み合わせたシリーズ作品だ。 一人ひとりに「自分にとって美しいものは何か」と尋ねた上で、その人の肖像写真、質問に答えて語った言葉、そしてカルが彼/彼女の言葉から類推して写した写真の3点が1セットとなっている。 生まれつき視覚をもたない人々にとってある意味非常に残酷な質問に、盲目の人々が実にさまざまなものを挙げて、しかも具体的に答えているのが印象的だった。一番頭に焼きついているのは最初に展示されていた、 「私が見たもっとも美しいものは、海です。視界の果てまで広がる海です」 という男性の答え。 その人は生まれつきの盲人なのだから海は「見た」ことがないはずだ。「視界」も持っ

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  • 「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog

    (※この記事は五輪エンブレム問題における佐野氏の責任に言及するものではありません) ohnosakiko デザイン, 社会 佐野氏の人柄とかこれまでの仕事などにあまり関心はないが、今回この件で「クリエイト」ということにたくさんの人が強い期待を抱いていてオリジナリティ神話が生き続けているのを目の当たりにした気分 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-263706487 ohnosakiko デザイン, ネット >インターネットの質である「共有」というシステムを、自らの個人的な名誉と利益のために利用したというところ/デザイナーはエディター(出自を明らかにしたありものを編集する)に近いという認識が必要かも。 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-264651028 五

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  • 「童貞を殺す服」雑感 - ohnosakiko’s blog

    この数年、仕事先の地方の芸術大学でよく見かけるファッション。美術学部でも音楽学部でも見られる。 (微妙にデッサン狂ってる。左の人が多い印象) パステルカラーでパフスリーブのシフォンみたいなブラウス、薄くてヒラヒラしたミニスカート、長めフレアスカート、レースのソックス‥‥。少し前のロリータやメイド服の流れから?というかアイドルやアニメの影響?‥‥と思っていたが、こういうのが「童貞を殺す服」なのか? 「童貞を殺す服」のブランドを集めてみた - あめ姫は友達が少ない 大学内では、上の記事に掲載されているのほどコスプレ感のある人はほとんどいないが、そういう雰囲気をうすーく漂わせた甘いレトロな感じのファッションの女子はかなり多い。三人に一人くらいはいそう。 大学生の姪は、MILKが好きだと言っていた。彼女の場合、パンキッシュなスタイルから回り回ってガーリーに来たという感じ。 去年久しぶりに会った時、

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    laislanopira
    laislanopira 2015/07/10
    "天才デザイナーの創造した世界中に影響を及ぼすようなモードがなくなり、ストリートから生まれる勢いのあるスタイルも途絶えてきて、人気のあるアニメ方面のファッションが前面に出てきたのだろうか"
  • 『ボルネオ人をしめ殺すオラン・ウータン』の衝撃 - ohnosakiko’s blog

    「生きものが苦しむところを観察したい」という残虐な欲望が、子どもの頃にあった。と書くと不穏だが、人間や身近な動物は厭で、あまり大きくなくて自分の好きではない生きもの、たとえば虫なら、平気でもがき苦しむところを見ることができた、というわりとよくある話。 蜘蛛や蛾を捕まえてボンド漬けにしてみたり、小さな羽虫の羽や触覚や脚を少しずつ毟って、飛べなくしたり歩けなくしたりする。体の自由を奪われ弱った虫が、断末魔の痙攣じみた動きをする。気持ち悪さと面白さ、不快と快の混じった何とも言えない感覚。 その、少しぞくぞくするような気分を思い出してみると、明らかに性的なものへの関心が底にあったと思う。子どもの頃のまだあまりはっきりと自覚されない性欲が、「生きものが苦しむところを観察したい」という欲望に置き換わっていたようだ。 「残酷さや暴力への欲求と性的欲望が結び付いている」と明確に感じるきっかけになったのは、

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  • 「〜かなと思います」という言い方 - ohnosakiko’s blog

    少し前に、「〜させていただきます」という言い方の不自然さについて記事が上がっていた。 丁寧"のつもりが、"慇懃無礼な印象"に?!『させていただく症候群』 - NAVERまとめ 視点・論点「させていただきます症候群」|視点・論点|NHK 解説委員室|解説アーカイブス この言い方が多用されておかしな感じになっていることに違和感を覚える人は結構いるようで、検索してみると7、8年前からその手の記事があるようだ。 私がここ最近気になっているのは、「〜かなと思います」という言い方。テレビの街頭インタビューでも識者のコメントでも耳にするし、ネットの書き込みでもよく見る。若い人に限らず、老若男女まんべんなく使っているようだ。 「〜したらもっと良くなるかなと思います」 「〜していくべきかなと思います」 「〜ってのはつまらないかなと思います」 「な」は「な?」と上げる。この「かな?」はたとえば、幼稚園の先生な

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  • ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog

    女の裸、男の裸 デザイン専門学校の授業で、なぜかヌード・クロッキーがある。 女性の裸を描くという西欧の長い美術の歴史は、ジェンダー的な観点からいろいろ問題も指摘されているが、それがそのまま日の芸術教育にも受け継がれ、専門学校のカリキュラムにまで登場しているわけである。 男も同じように描けばよいではないか? でも男のヌードを描いたり作ったりするケースは、女に比べて非常に少ない。そういうことに疑義を呈してか、美大では受験時に男性(短パン穿いてる)を描かせるところもあったりする。しかし大学では女性のヌードを描いたり作ったりしていることが、圧倒的に多い。 高校が美術科だったので、学校にはモデルさんがよく来ていた。やはり女性オンリー。 高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、女性のヌードモデルが来た。学校で描き慣れているので、平気だ。しかし普通科から来ている男子は、見るからに緊張していた。 そり

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  • アートは騙しの手口の百貨店‥‥『だまし絵2』展 - ohnosakiko’s blog

    昨年の振り込め詐欺の認知件数は、前年に比べて約二割も増加したという。人は騙されまいと思っていてもうっかり騙され、被害者になってしまう。特にお年寄りを狙ったオレオレ詐欺は「困っているなら助けてやらねば」という身内感情につけこんだ卑劣な犯罪だが、増える一方のようだ。 しかし世の中には、騙されて楽しいケースもあるんですよ‥‥‥というわけで、名古屋市美術館で開催中の『だまし絵2』展*1 を観に行った。古今東西のだまし絵の名品を集めた『視覚の魔術 だまし絵』展(2009)の第二弾。 会場入ってすぐのところにあるのは、さまざまな物で構成された人の顔の絵で有名なアルチンボルド。16〜17世紀の王道的だまし絵に続いて、今回のメインである二十世紀以降の作品八十七点が展示されている。ダリ、マルグリット、エッシャーなどおなじみの作家から、杉博司、福田美蘭、名和晃平など日の現代美術作家も。 絵画だけでなく写真

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  • 昔の友人がお薦めしてくれたジャズのCD(ピアノ中心) - ohnosakiko’s blog

    ジャズは古臭いと思ってるあなたに捧げる10曲 - AnonymousDiary ■( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして - AnonymousDiary ■( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして・続 - AnonymousDiary (追記:また出た) ジャズでってる俺がジャズ聴き始めたい人にオススメするTOP 10 - AnonymousDiary どれにも凄い数のブックマークがついていて、「ジャズ聴きたいけどどれから聴いたらいいの?」「詳しい人のお薦めが知りたい」と思っている人は多いんだなと思った。 私もかつてそうだった。幸い身近にマニアがいて、ものすごく丁寧に教えてくれた。ジャズ好きで教え好き。いや、ジャズ好きは大抵教え好きなのか。 この人は遠いところに行ってしまって今は交流がないが、当時よくやりとりに使っていた内輪の掲示板に私

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  • 『原節子、号泣す』を読む - ohnosakiko’s blog

    小津安二郎は、その監督生涯を通して一番多く女優を泣かせた監督であった。 ‥‥‥という一文で始まるユニークな小津安二郎論、『原節子、号泣す』(末延芳晴、集英社新書、2014)を読んだ。 原節子と言えば戦前から戦後にかけて夥しい数の映画に出演した大スターで、「永遠の処女」「日のグレタ・ガルボ」などと呼ばれ、小津監督の亡くなった1963年に43歳で引退して鎌倉に引きこもってからは一切のメディアに出ないまま、94歳に至る今、生ける伝説となっている女優。 書は、小津映画のミューズとも言われた原節子という不世出の女優の「泣く演技」の分析を通して、小津安二郎の思想に迫っていくという内容だ。筆者の丁寧で熱の籠った筆致に強い牽引力があり、ミステリーを読むようにワクワクしながら読み進めることができた。以下、内容をおおまかに紹介。 現存する37の小津作品のうち、監督が女優に泣かせている作品は30に上ると

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  • 自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog

    センター試験の国語に「クソリプ」「パクツイ」問題 著者「俺が正解できるのか」 - ねとらぼ 上のタイトルだけ読んで一瞬「センター試験の問題に、クソリプとかパクツイという単語を散りばめたテキストが採用されたのか、すごいな」と思ったらそうではなく、佐々木敦氏の『未知との遭遇』(筑摩書房)の中のツイッターについて論じられている箇所からの引用で、そこにツイッター・ジャーゴンである「クソリプ」や「パクツイ」に相当する事例が出されているということだった。 ↓問題文 大学入試センター試験 | 解答速報2015 | 予備校の東進 問2で思わず笑ってしまった。『教えて君』と『教えてあげる君』の関係を記述した5つの文から正解を選ぶのだが、「これを作った人、それぞれ具体的な例を思い浮かべていたでしょ」と思えて仕方ない。いや絶対そうだ。試験会場で笑いをかみ殺した受験生もいたのでは。 著者の佐々木氏は自身の文章が掲

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  • 岡田斗司夫と「おじさん×若い女」のあるある感 - ohnosakiko’s blog

    頭の悪そうなタイトルしか思い浮かばない自分の頭の悪さが恨めしい。今回も自分のブコメの長い補足として。 岡田斗司夫、流出キス写真は物 過去の驚愕「80股!」も告白 :J-CASTニュース ohnosakiko 男女 「80股」って言ったのはこの「スキャンダル」をトンデモ方向の笑いに包んでこれ以上「醜聞」ぽくしたくないという元オタキングの大衆心理操作()じゃないかと睨んでる。だとしたらなんか考えることがカワイイと思った http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150112#bookmark-238825254 最初「偽物」だと言っておいて証拠が出たら認めるところがみっともないという声が多いが、多分人もそれは自覚していて、その空気を思い切り斜め上方向に持っていって「この人、一般人の常識じゃ測れないわ」という苦笑と諦めを引き出すために、「80股」と言っているような

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