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福島と人生に関するlaislanopiraのブックマーク (80)

  • 東日本大震災 津波被害をヘリコプターから撮影したカメラマン「救助のヘリじゃなくてごめんなさい」 - NHK

    「来ていますよ、津波。来ている、来ている! 川を上って来ていますよ! 正面」 それまで冷静だったパイロットの緊張した声で、カメラを前方へと向けると、名取川を津波が遡上してくる様子が確認できた。 午後3時54分。ヘリの映像が、テレビで生中継され始める。 白波がザーッと川を上ってくる様子の撮影を続けていると、再び前方の席に座るパイロットと整備士の叫び声がした。 「海、海、海。もっと左、左、左」 カメラマンの座席は後部右側。真ん前や左側はよく見えない。指示された側にカメラを振ると、黒い津波が陸上にも押し寄せていた。 東日大震災の津波の恐ろしさに、世界中の人が気づいた瞬間だった。 撮影できたのは「偶然」 この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影は研修を含めてこの日が4回目。4回といっても、実際に放送に使われたのは、前日に撮影した海岸の不法投棄現場の映像が初めてだった。 NH

    東日本大震災 津波被害をヘリコプターから撮影したカメラマン「救助のヘリじゃなくてごめんなさい」 - NHK
  • 〈東日本大震災から13年〉「(牛のことは)もう話すな。俺も悲しくなっから」原発事故で牛を殺処分…時が止まったままの酪農家。妻は震災体験を伝える紙芝居を上演し、山田洋次監督も見学に | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    〈東日大震災から13年〉「(牛のことは)もう話すな。俺も悲しくなっから」原発事故で牛を殺処分…時が止まったままの酪農家。は震災体験を伝える紙芝居を上演し、山田洋次監督も見学に 13年前の東日大震災の原発事故により、飼っていた牛の殺処分を余儀なくされ、事実上の廃業状態となった福島県浪江町の酪農家・石井隆広さん(75)。すっかり気力を失ってしまうも、再び家族で一緒に暮らすため、福島市に一軒家を購入した。しかし……。

    〈東日本大震災から13年〉「(牛のことは)もう話すな。俺も悲しくなっから」原発事故で牛を殺処分…時が止まったままの酪農家。妻は震災体験を伝える紙芝居を上演し、山田洋次監督も見学に | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
  • 〈東日本大震災から13年〉「元気でないよ」原発事故で飼っていた牛を殺処分した福島県浪江町の酪農家一家は今。別の街に行けば「放射能が来た」と陰口を言われたことも | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    後編はこちら 「お父さんはあの日からすっかり変わってしまった」 〈この先帰還困難区域につき通行止め〉 赤い文字で危険を知らせる立て看板が街のあちこちで目につく。1年ぶりに訪れた福島県浪江町の津島地区は、屋根が崩れ落ちた民家や取り壊し途中の学校、朽ち果てた牛舎などが、そのままの形で残されていた。 無人の街。そう表現しても決して大袈裟ではないだろう。昨年、浪江町では「室原、末森、津島」の3地区の一部で避難解除が実施されたとはいえ、東日大震災から13年が経った今も、故郷に帰ることのできない被災者は多い。 そうしたなかで今年1月、政府は未だに帰還困難区域となっている浪江町の一部地域について、避難指示を解除する「特定帰還居住区域」に新たに指定した。帰宅を希望する浪江町のすべての住民に、2029年末までに故郷に帰れるかもしれないというかすかな希望が見えてきたのである。 だが、この政府の決定について複

    〈東日本大震災から13年〉「元気でないよ」原発事故で飼っていた牛を殺処分した福島県浪江町の酪農家一家は今。別の街に行けば「放射能が来た」と陰口を言われたことも | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
  • ニュースに映った「東京から参加した人」がどう見ても懸賞生活のなすびさん→長年震災復興に尽力されており今回もその一環だった

    なすび @hamatsutomoaki なすびのX。福島県出身。2016年5月19日に4度目の挑戦でエベレスト登頂に成功。 福島県あったかふくしま観光交流大使/山の日アンバサダー/富良野自然塾裏磐梯校特別インストラクター/安達太良山観光大使/福島環境・未来アンバサダー第1号/NARAHAアンバサダー/広野夢大使/会津美里町観光大使/石川県観光大使 リンク Wikipedia 電波少年的懸賞生活 電波少年的懸賞生活(でんぱしょうねんてきけんしょうせいかつ)は日の放送局、日テレビのTV番組『進ぬ!電波少年』の中で1998年1月25日 - 1999年4月18日まで放送された長期企画。お笑い芸人なすびが「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し挑んだ。日での目標額は100万円、韓国での目標額は日までの航空チケット片道分。 1998年1月に『進め!電波少年』が『進ぬ!電波少

    ニュースに映った「東京から参加した人」がどう見ても懸賞生活のなすびさん→長年震災復興に尽力されており今回もその一環だった
  • 「単身高齢者は退去を」「子育て世帯は入居を」借り上げ住宅、この扱いの差はなぜ?福島市議会で質疑(河北新報) - Yahoo!ニュース

    JR福島駅近くにある福島市の借り上げ市営住宅に入居する単身の高齢者が、市から一方的に「退去」を求められている-。7日の市議会12月定例会一般質問で、市の対応を疑問視する質疑があった。市は駅前エリアの活性化のため、若い子育て世帯に入居してほしいという。 「若い家族に住んでもらいたいという市の施策は理解できるが、単身の高齢者を追い出してまでやることなんですか?」。質問に立った斎藤正臣議員は「それで誰が幸せになるんですか」と語気を強めた。 問題となった「早稲町団地」は、2004年に市が40戸を20年契約で借り上げた。来年7月末で契約満了となり、市は契約を更新してさらに20年間借り上げる方針。入居者も再契約が必要になるが、その際に単身者は要件外となる。 市は「単身でも入居できる別の市営住宅への転居を案内している」と理解を求めたが、高齢の単身者の引っ越しは金銭的にも体力的にも負担が大きい。 斎藤議員

    「単身高齢者は退去を」「子育て世帯は入居を」借り上げ住宅、この扱いの差はなぜ?福島市議会で質疑(河北新報) - Yahoo!ニュース
  • 福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 | 毎日新聞

    記者会見で「なぜ娘が自死に追い込まれたのか真実を知りたい」と涙ながら訴える女子生徒の両親=福島県郡山市で2023年12月4日、根太一撮影 福島県立須賀川創英館高校に通っていた3年の女子生徒(当時17歳)が2022年4月に自殺した問題で、生徒の両親が4日、郡山市内で記者会見した。県教育委員会が設置した第三者委員会が8日に報告書をまとめるのを前に、「なぜ娘が追い込まれたのか、真実を知りたい」と涙ながらに訴えた。 生徒は、新学期開始間もない22年4月15日に亡くなった。両親は直後、県が開設している相談窓口に、生徒が「クラスにいづらい」などと送ったメールの書き込みを見つけたという。 0歳時に腸の一部を切除する手術をした際の家族の苦労話を知り、小学生で「看護師になる」夢を描いていた。中学の弁論大会では、生命の大切さを語り、高校ではスポーツ部活動のマネジャーとして青春を満喫していた。

    福島・高3自殺 校長「天寿全うした」にあぜん…親「真実知りたい」 | 毎日新聞
  • 約10年に渡り中村真夕監督が、追い続けた『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』。金平茂紀氏とのトークイベントで語られた「これは出口の見えない人の叫び」とは? - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン

    原発避難地域に住む男性を約10年に渡り追い続けたドキュメンタリー映画『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』が、2月25日より公開スタートいたしました。 公開を記念して初日25日(土)は中村真夕監督、2日目26日(日)はジャーナリストの金平茂紀さんと中村真夕監督のトークイベントが下記の通り開催されました。 <トーク日時・会場> 日時:2月25日(土)10:45回上映後 登壇者:中村真夕(作監督) 日時:2月26日(日)10:45回上映後 登壇者:金平茂紀(ジャーナリスト)、中村真夕(作監督) 場所:シアターイメージフォーラム以下レポートとなります。 2.25 (土)初日には公開を記念し行われたプレミア上映会のトークイベントに、中村真夕監督が登壇しトークイベントを行った。 中村真夕(作監督) 原発事故で無人地帯となった富岡町に残された動物たちの世話をしながらひとり暮らして

    約10年に渡り中村真夕監督が、追い続けた『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』。金平茂紀氏とのトークイベントで語られた「これは出口の見えない人の叫び」とは? - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン
  • 2022年を振り返る 震度6強からの再生 - はてな村定点観測所

    フグの供養祭に参加した 震度6強の地震が発生 全国のTwitterユーザーから支援物資が届いた 90年代のホームページからのご縁の友人がガラスを修理してくれた M1 MaxのMacBookProを購入 隣組のBARの手伝いを始めた 大学時代の先輩夫婦と一緒に被災地へ 技術書典13に参加 SONY FE 24-70mm F2.8 GMⅡを購入 仙台を中心にあちこち観光 年収1188万円。でもレバナス投資で含み損230万円 光のページェント 2022年の振り返り フグの供養祭に参加した 福島の海では今までフグはほとんど獲れなかったのですが、近年になってトラフグの漁獲量が急増しています。量・質ともに全国有数のトラフグの産地になりました。地球温暖化の影響ではないかと考えられています。そんなトラフグを使って相馬地方の町興しをしていこうと、地元の割烹料理屋さんや漁師さんが中心になって「福とらの会」が結

    2022年を振り返る 震度6強からの再生 - はてな村定点観測所
  • 【マジかよ】津波と放射能汚染で崩壊していた福島県 双葉町 → 2年ぶりに来たら、とんでもないことになっていた

    » 【マジかよ】津波と放射能汚染で崩壊していた福島県 双葉町 → 2年ぶりに来たら、とんでもないことになっていた 特集 2011年3月11日の東日大震災。津波の被害だけでなく、福島第一原子力発電所の事故により、一帯は長らく一般人が立ち入ることのできないエリアに。 大きな進展があったのは、9年後の2020年3月14日。満を持して常磐線が全線開通。ごく一部とはいえ避難指示が解除され、制限はあれど一般人も散策が可能になった。 その時の状況は、「全線開通した常磐線で東京から福島へ / 帰還困難区域だった各駅で下車、周辺を散策してみた」という記事でお伝えしている。この時から2年。久しぶりに福島に行く機会を得た私は、再び2年前に取材した地を訪れてみることに。 ・双葉駅 「特急ひたち」に乗るのも2年ぶりだ。今回のスタート地点は湯駅。 2年前は気温がめちゃくちゃ低いうえに、雨も降っていた。マジに凍えな

    【マジかよ】津波と放射能汚染で崩壊していた福島県 双葉町 → 2年ぶりに来たら、とんでもないことになっていた
  • 福島第一原発事故から11年 全域除染から後退に住民怒り「汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか」:東京新聞 TOKYO Web

    東京電力福島第一原発事故から間もなく11年となる。帰還困難区域内に家を残す多くの人たちは、いまだ将来を見通せぬままだ。政府は昨年、避難指示解除が見通せなかった区域について、帰還を希望する人の自宅周辺に限り除染する新方針を示した。これまでの「全域除染」から後退した姿勢に、住民らは「帰ると決めないと除染をしてくれないのか」と怒りを隠さない。(片山夏子) 帰還困難区域の避難指示解除 政府は2021年8月、福島県7市町村に残る帰還困難区域について、戻って暮らしたい人の求めに応じて29年までに自宅や道路などを除染して部分的に避難指示を解除する方針を決めた。24年度から除染を始める計画だ。帰還を望まない人の家や土地の扱いは未定。区域内で優先的に除染を進めた「特定復興再生拠点区域」は、帰還困難区域の約8%にとどまる。

    福島第一原発事故から11年 全域除染から後退に住民怒り「汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか」:東京新聞 TOKYO Web
  • 『ゼロエフ』東日本大震災の福島を踏破した小説家の思いを聞け! - HONZ

    小説家・古川日出男は福島のシイタケ生産農家に生まれた。三人兄弟の末っ子で、兄と姉がいる。18歳で故郷を離れ家業は兄が継いだ。そして2011年3月11日、東日大震災が彼の故郷を襲う。 冒頭は2019年12月に行われた母親の納骨風景だ。その直前、施設で寝たきりだった母の胃瘻をやめることを兄弟で決めたときに、躊躇っていた震災後の取材を兄に初めて申し出る。 第一部では古川家のシイタケ栽培の歴史が語られる。震災当時、福島のシイタケが福島第一原発の水素爆発によって「危険な材」となった。古川家は菌床栽培、つまりハウスものだから来なら放射能は関係ない。 だが、その菌床に使うオガ屑から放射能物質が出た。福島から遠く離れた宮城県のオガ屑に、爆発の日、風によって放射能物質が注がれていたのだ。 第二部では、福島を縦断する国道4号線と6号線を踏破する日々が語られる。きっかけは東京オリンピック開催だ。2020年

    『ゼロエフ』東日本大震災の福島を踏破した小説家の思いを聞け! - HONZ
  • 『福島モノローグ』他者の言葉に耳を澄ます 花びらのように声を拾う - HONZ

    故・石牟礼道子氏の『苦海浄土』3部作は文学史上屈指の傑作である。わけても、第1部第3章「ゆき女きき書」は、読むたびに戦慄(せんりつ)と畏怖をおぼえる。水俣病患者が全身を痙攣(けいれん)させながら絞り出した言葉。語られたのは恨み言ではなく、不知火(しらぬい)海の豊饒さであり、生まれ変わったらまた愛する夫と漁に出たいという願いだ。絶望の底から発せられたはずの言葉なのに、そこには優しさと希望がある。読んでいるとなにか厳かなものに触れた気がして、心を強く揺さぶられてしまう。 『苦海浄土 わが水俣病』は第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれるが、石牟礼氏は受賞を辞退した。理由は不明だが、作品の真の作者は自分ではないと石牟礼氏が考えていたからではないだろうか。理不尽な災厄によって人生を蹂躙された人々の小さな声に、自分はただ耳を澄ませてきただけだと。 書の著者いとうせいこう氏は、東日大震災の死者を

    『福島モノローグ』他者の言葉に耳を澄ます 花びらのように声を拾う - HONZ
  • 『内心被曝 福島・原町の10年』「心の復興」を遂げた4つの家族の物語 - HONZ

    内心被曝 ー 南相馬市に住む主婦が口にした言葉である。外部被曝でもなく内部被曝でもない。住民の一人ひとりが東日大震災深く傷を負い、心の奥に何万シーベルトという放射能を貯めてきた。この言葉を聞くと、おどろおどろしく感じるかもしれないが、ふと自分の生活を省みると、コロナ禍において得体の知らないものに傷つけられてきた心と重なるのではないだろうか。 書は決して暗くて辛い日々の生活を訴えるようなではない。むしろ、日々の生活の中で「心の復興」と真摯に向き合う人間の力強さが伝わってくる1冊である。私自身、書に影響され、第3章で出てくる「ほめ日記」を始めてみた。 福島県南相馬市は、福島原発から20㎞〜30㎞圏内に位置する。この微妙な距離は市民の生活に深く影響を及ぼす。原発事故の直後、国が出した方針は以下のとおり。福島原発から半径20㎞圏内は「警戒区域」、半径20㎞〜30㎞圏内は「緊急時避難準備区域

    『内心被曝 福島・原町の10年』「心の復興」を遂げた4つの家族の物語 - HONZ
  • 「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】

    2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります

    「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】
  • 「一度原発で働いたヤツは、原発に帰ってくる」 作業員を離さない福島1Fの“うま味”とは | 文春オンライン

    2021年3月11日、東日大震災から10年が経つ。しかし、同日に起こった東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故による影響は未だに尾を引き、住民が帰れない地域も残っている。廃炉への道のりも、まだゴールが見えない。 原発事故当時、1Fでは何が起こっていたのか。原発とヤクザの問題をあぶりだした、鈴木智彦氏の潜入レポートを再公開する。 ◇ 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があると知った。そして2011年3月11日、東日大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1Fに勤務した様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全3回の3回目/前編、中編より続く) 東電を気で批判する作業員は少数 ソープの他、毎日、誰かを誘って飲みに出た。相部屋で音を聞き出すのは無理だし、酒

    「一度原発で働いたヤツは、原発に帰ってくる」 作業員を離さない福島1Fの“うま味”とは | 文春オンライン
  • 「原発は儲かる。堅いシノギだな」 街の顔役だったヤクザが見せた“正体”とは | 文春オンライン

    パイプ椅子に腰掛けた親分は私の真横で、紙コップの日酒をちびちび吞みながら、すっかり上機嫌だった。顔見知りが黙礼するたび声をかけた。 「おう、元気でやってたか? なんだ、子供が産まれたのか。今度バーベキューするからみんなで顔出せよ。これからは真面目に働かないと駄目だぞ」 赤ん坊を抱いた若夫婦はまだ20代の前半で、地元生まれの地元育ちである。若い衆から500ミリリットルの缶ビールを2受け取り満面の笑顔だった。たわいない会話を終え、夫婦は雑踏の中に消えた。 親分の真後ろには町内会の会長が座っている。昭和ならともかく、平成4年に暴力団対策法が施行され、もう20年近く経つというのに、誰も気にしている様子はない。暴力団は完全に街の一部にみえた。都市部とはまったく違う空気と価値観……同じ日とは思えない。タイムスリップした気分だ。 (写真はイメージです)©️iStock.com 原発について質問した

    「原発は儲かる。堅いシノギだな」 街の顔役だったヤクザが見せた“正体”とは | 文春オンライン
  • 「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円 | 文春オンライン

    2021年3月11日、東日大震災から10年が経つ。しかし、同日に起こった東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故による影響は未だに尾を引き、住民が帰れない地域も残っている。廃炉への道のりも、まだゴールが見えない。 原発事故当時、1Fでは何が起こっていたのか。原発とヤクザの問題をあぶりだした、鈴木智彦氏の潜入レポートを再公開する。 ◇ 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日大震災が起こった――。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全3回の2回目/前編、後編を読む) ◆◆◆ 茶髪のフクシマ50 時間通りに老舗旅館に着くと、フロント脇の応接セットに茶髪の若者が座っていた。時々こちらをのぞき込む。まだ若い。20代だ

    「フクシマ50」の中にもヤクザはいた 原発事故の“英雄たち”は月給100万円 | 文春オンライン
  • 「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK取材ノート

    NHKのニュースや番組をつくっている私たちが取材に込めた思いや取材手法などをお話します。一緒に「取材ノート」をつくっていきましょう。サイトはhttps://www.nhk.or.jp/d-navi/note/ 利用規約はhttps://nhk.jp/rules

    「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK取材ノート
  • 『白い土地』原発被災地で生活する人々のルポタージュ - HONZ

    書は東京の自分に問いかける。地方の原発で作り出される電気を頼りに生きる自分の生活を、果たしてどこまで理解しているのだろうか。 書『白い土地』は、新聞記者である著者が福島県に拠点を置き、そこに生き抜く人々に焦点をあてた人物ルポタージュである。「白い土地」とは、《白地》と呼ばれる「帰還困難区域」の中でも「特定復興再生拠点区域」に含まれない土地を指す。2017年、政府は「特定復興再生拠点区域」での積極的に除染作業を行い、2023年までに避難指示を解除する方針を打ち出した。一方で《白地》では将来住民の居住の見通しが立たない。著者は《白地》に通い続けた。 原子力行政の失敗によって「還れない」とされた土地にはかつて、どのような歴史文化があったのか。その周辺では今、どのような人々がいかなる感情を抱いて生きているのか。 著者は前書『五色の虹』で、旧満州の最高学府「満州建国大学」の卒業生をインタビュー

    『白い土地』原発被災地で生活する人々のルポタージュ - HONZ
  • 蔵書150万冊を誇る古書の聖地「たもかく」で、本の森の賢者はかく語りき

    福島県の西部、新潟との県境にある只見町に一風変わった屋があるのをご存知だろうか。 店の名前は「たもかくの街」。 いわゆる新刊を扱う店ではなく、古書店だ。 1994年に開業して以来、まもなく25年。 膨大な蔵書は、その数なんと約150万冊。 これは都内の大型書店が抱える在庫数をはるかにしのぐ数という。 控えめに言っても「日一」。 そんな屋がなぜ、人口5,000人にも満たない、冬ともなれば3メートルを超す雪が降る日有数の豪雪地帯で四半世紀も営業しているのか。 代表の吉津耕一さんに話を聞いた。 「たもかくの街」誕生までの前日譚 ログハウス風の建物がいくつも並ぶ。中にはがぎっしり 「最初は木工所としてはじまりました。しかし、当時(おそよ40年前)は木材が海外からどんどん輸入されはじめたころで、木工所がどんどんつぶれていた時代。それでもうちは後からはじめたのでやめたくなかったんですよ

    蔵書150万冊を誇る古書の聖地「たもかく」で、本の森の賢者はかく語りき