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mediaとhistoryに関するloosecontrolのブックマーク (4)

  • 町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13

    インチキというものは、放っておくと、トンデモないことになるという話。 天安門事件を覚えているだろうか。1989年、北京の天安門広場に集まった民主化を求める学生たちを人民解放軍が虐殺した、とされる事件だ。 「とされる」としたのはウソだからだ。当時、現場に最後まで残った朝日新聞の記者と、スペインの国営TV局の記者が後に「学生たちは安全に広場から退去し、一人の死傷者も出なかった」と証拠のビデオを提出し、世界のマスコミは天安門広場の虐殺は誤報だったと撤回修正した(死傷者が出たのは広場の外である)。 詳しい資料です。 http://sng.edhs.ynu.ac.jp/lab/murata/murata-tian'anmen2.html これも追加。この記事がとてもわかりやすいのでぜひ読んでください。 http://gregoryclark.net/jt/page42/page42.html ここが

    町山智浩アメリカ日記---天安門広場での死者はなかった 2004‐03-13
  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

    草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ
  • ICC ONLINE | ICC メタバース・プロジェクト | メタバース研究会 Vol.2江渡浩一郎「仮想〈空間〉の起源と進化」

    マルチプレイRPGから始まった,ゲーム界における「仮想空間」 ウェブ・ブラウジングの可視化を追求した,90年代半ば 「仮想空間」への関心が飽和してしまった 仮想通貨に秘められた「危うさ」とは? 仮想空間内での自由度を高めて,コミュニケーションを広げる 江渡浩一郎 プロフィール マルチプレイRPGから始まった,ゲーム界における「仮想空間」 ──以前,江渡さんは「昨今のメタバース・ブームは,“何度目かの波”みたいなものである」とお話しされていたのですが,たしかに江渡さんがメディア・アートやIT研究に関わられた最初期(90年代初頭)に,仮想空間的な概念やその表現もまだ一般的には広がっていなかったがゆえに,関わられていた方々の入り込み方もいまとはだいぶ違っていたと思います.まずは「仮想空間の歴史」的な流れを,江渡さんご自身のお仕事や作品制作の経緯と絡めてお聞きかせいただき,その上でメタバース事業の

  • あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集

    1995年1月17日午前5時46分52秒に発生した大地震、それが「阪神・淡路大震災」です。 この大地震が発生した直後のNHKの第一報、さらにその後、夜が明けるにつれて少しずつ判明していく被害の実態、関東ではあっという間に特番体制からCM放送ありの通常放送に移行したものの、関西ではその後も延々と地震関連情報が流され続けていたこと、そのときのACのCM、世界中で報道されたNHK神戸放送局で地震に見舞われた男性のその後、さらには淡々と流れ続ける当時の状況を記録したラッシュテープなど、いろいろと集めてみました。 真実の姿の再生は以下から。 YouTube - 阪神大震災第1報(0:33) この時、ちょうど大阪にいたのですが、すべての器棚が倒れ、すさまじい轟音とともにすべての電気が停止、最初は地震だとは全くわかりませんでした。停電していたので家の中で何が起きているのかもわからず、とにかく懐中電灯を

    あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集
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