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司馬遼太郎に関するlotus3000のブックマーク (9)

  • 幻の三鷹休日講座

    司馬遼太郎の人と文学 ものすごく偉そうなタイトルで申し訳ありません。どうせ話はグダグダになっちゃうだろうから、せめてタイトルだけでもいかめしくしようと思いまして。 司馬遼太郎の小説の特色といえば、やはり「テーマ小説」ということになるのではないかと思います。 テーマ小説といえば、菊池寛の小説です。たとえば有名な「父帰る」では、ハンキンの「蕩児の帰宅」という小説を読んで、その父と子をひっくり返したらどうだろうか、と思いついた、と自分で語っています。そのほうが「罪と赦し」というテーマが際立つだろうから、ということですね。テーマ小説というのは、まずこのようなテーマがあって、そのテーマを展開するために登場人物やストーリーを配する、というやりかたです。批判する人からは「こしらえごとだ」「登場人物が操り人形のようだ」と悪口を言われましたが、話がわかりやすいので一般読者からは喜ばれました。 歴史小説となる

    lotus3000
    lotus3000 2014/05/02
    テーマ小説家としての司馬遼太郎
  • 理数系武士団の研究‐‐‐竜馬が行く」の面白さは本当はどこにあったのか

    さてこれまでの話で、竜馬を竜馬たらしめたものが、実は彼が「理数系武士団・第4タイプ」であったことにあると述べましたが、そう考えると、なぜ司馬遼太郎の「竜馬が行く」が、他の凡百の竜馬評伝に比べてあそこまで突出して面白かったのか、ということの謎が一つ解けてきます。 つまりずばり言うと、実は「竜馬が行く」は、そのバックの理数系武士団の存在を初めて明確に描いた作品ではなかったかということです。 そしてちょうど大河の「竜馬伝」が終わったこともあり、両者を比較して総括する意味でも興味深いので、今回はこれについてちょっと見てみましょう。 ところで今でこそ、誰に聞いても幕末ヒーローNo1は竜馬ですが、何十年か前の大衆歴史小説の世界では(特に司馬「竜馬が行く」の登場以前には)、どうも幕末ヒーローの代名詞としてそのトップに君臨していたのは、意外にも必ずしも竜馬ではなかったようなのです。 では一体誰が当時その座

  • khipu :: 十一番目の志士 - <●司馬遼太郎の功罪・罪の巻●> (神無月@●●●長秋楼●●●)

    lotus3000
    lotus3000 2011/06/28
    キャラ萌えの先駆者としての司馬遼
  • 坂本龍馬フィーヴァー - 内田樹の研究室

    朝刊を開いたら、一面の下の書籍広告がぜんぶ坂龍馬関係の書籍だった。 書店に行っても坂龍馬関係のばかりがずらりと並んでいる。 私たちの国では、システムや価値観のシフトが時代の趨勢としてやみがたいという「雰囲気」になると、ひとびとは幕末に眼を向ける。 地殻変動的な激動に対応した「成功例」として、私たちが帰趨的に参照できるものを明治維新のほかに持たないからである。 日人がある程度明確な「国家プラン」をもって集団的に思考し、行動した経験は維新前夜だけである。 それはアメリカ人が社会的激動に遭遇するたびに「建国の父たち」を想起するのと似た心理機制なのかも知れない。 司馬遼太郎によると、坂龍馬の名前はひとにぎりの旧志士たちのあいだでこそ知られていたが、明治中期にはもうほとんど忘れ去られていた。 それが国民的な知名度を得たのは、日露戦争前夜の1904年、皇后の夢枕に白衣の武士が立ち、来るべき戦

  • 幻の三鷹休日講座

    司馬遼太郎の人と文学 ものすごく偉そうなタイトルで申し訳ありません。どうせ話はグダグダになっちゃうだろうから、せめてタイトルだけでもいかめしくしようと思いまして。 司馬遼太郎の小説の特色といえば、やはり「テーマ小説」ということになるのではないかと思います。 テーマ小説といえば、菊池寛の小説です。たとえば有名な「父帰る」では、ハンキンの「蕩児の帰宅」という小説を読んで、その父と子をひっくり返したらどうだろうか、と思いついた、と自分で語っています。そのほうが「罪と赦し」というテーマが際立つだろうから、ということですね。テーマ小説というのは、まずこのようなテーマがあって、そのテーマを展開するために登場人物やストーリーを配する、というやりかたです。批判する人からは「こしらえごとだ」「登場人物が操り人形のようだ」と悪口を言われましたが、話がわかりやすいので一般読者からは喜ばれました。 歴史小説となる

    lotus3000
    lotus3000 2010/09/18
    司馬遼太郎の裏返しとしての隆慶一郎。こうなるとテーマと思想の近親憎悪の関係とかがきになる。
  • 超迫力トークバトル!新右翼団体一水会顧問VS.元日本赤軍所属の監督VS.哲学者|シネマトゥデイ

    新右翼団体一水会顧問の鈴木邦男氏と元日赤軍所属で映画監督の足立正生氏 元日赤軍所属で映画監督の足立正生氏と新右翼団体一水会顧問の鈴木邦男氏、そしてドイツ哲学者の三島憲一氏が4日、映画『バーダー・マインホフ 理想の果てに』のトークイベントに参加し、舌戦を繰り広げた。 映画『バーダー・マインホフ 理想の果てに』写真ギャラリー 阿佐ヶ谷ロフトAで行われた今回のトークイベントには多数の観客が詰めかけ、途中客席からヤジが飛ぶなど、3人が持つ深い知識とそれぞれの思想に熱い視線が集中していた。 ADVERTISEMENT 1970年代に、ヨーロッパを震撼(しんかん)させたドイツ赤軍による、実話を基にした作にちなみ、当時日で起こった学生運動について「明治維新だと考えて、右派も左派も、理想や正義のために行動を起こした。坂龍馬を見習えと。だから司馬遼太郎のは、赤軍の人もよど号事件を起こした人たちも

    超迫力トークバトル!新右翼団体一水会顧問VS.元日本赤軍所属の監督VS.哲学者|シネマトゥデイ
  • 司馬遼太郎が語らなかった「坂の下の人々」~『貧民の帝都』 塩見鮮一郎著(評:尹雄大):日経ビジネスオンライン

    明治維新の折、勝海舟と西郷隆盛の行った虚心坦懐の談判により江戸は無血開城され、無辜の民は救われた。 後世に伝わる美談だが、明け渡された肝心の城はその後どうなったか。書の冒頭で明かされるのは、殿様気分を味わうべく多くの乞や夜鷹(街娼)が住み着いたという事実である。東アジア最大の城郭は空家として捨ておかれたのだ。 市中は衰微と混乱を極め、武家と富裕な商人層の姿が町から消えた。江戸はがらんどうになり、100万人を数えた人口は半減。駕篭かきや武士の雑用を勤める中間など、幕藩体制あっての職に従事していた人は路頭に迷った。 明治元年、東京と改称した首都の経済は完全に破綻、窮民は溢れた。産声をあげたばかりの明治政府は、貧民対策に追われることになる。 たとえば、司馬遼太郎の小説やエッセイでは、近代国家になろうと努力する明治政府の健気さが繰り返し説かれるが、著者が着目するのは、そうしたひたむきな努力の犠

    司馬遼太郎が語らなかった「坂の下の人々」~『貧民の帝都』 塩見鮮一郎著(評:尹雄大):日経ビジネスオンライン
    lotus3000
    lotus3000 2010/01/23
    幕藩体制のクラッシュによる被害は甚大すぎるゆえに書かれなかった部分はあるんだろうな。
  • 『司馬遼太郎の韓国併合に対する評価』

    「「昭和」という国家」司馬遼太郎、1999/4/10、NHKBOOKS P52 われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。 むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。 倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか。 私は決して儲かることではないと思うのです。

    lotus3000
    lotus3000 2010/01/23
    司馬遼太郎の韓国併合について。
  • 司馬遼太郎的言説の限界

    ※2000年2月12日の再掲 今日2月12日は作家司馬遼太郎さんの命日、誰が名づけたか「菜の花忌」である。もう4年にもなる。各誌とも各紙とも、こぞってこの国民的作家の偉業を称えている。 ただ僕が不満なのは、称えるばかりで批判的な言説がほとんど聞かれないことだ。これは4年間まったく変わっていないといっていい。断っておくが、僕は相当の司馬フリークだ。彼の書いたものは小説は全編読んだし、エッセーも含めて9割は読んでいるはずだ。 司馬遼太郎は、僕の世代の歴史少年が必ずたどる道である。だからこそ、思うのである。賛美一辺倒の論説に対して、そんな評論が当に司馬遼太郎を読んだことになるのか? しかも司馬遼太郎はその晩年、現代日に対する(老境のふりはしていたが)痛烈な批判を繰り返した。彼は「あがり」の世代だったからまだいいにしても、まさにその現代に生きる人間までが司馬の批判に無責任にも追随して、今のこの

    lotus3000
    lotus3000 2010/01/20
    大衆化の中で生まれたもの。おそらくインスタント貴族としての日本人達が異胎を作った。そしてそれらの人々によって司馬遼太郎の生活が支えられている。
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