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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (37)

  • はなしが ちがうじゃないか!(研修生制度も、わかりやすいニュースも) - hituziのブログじゃがー

    社会のなかで流通している情報というものは、そのままでは わかりにくいことが あります。ことばづかい、内容そのものが むずかしい。あるいは、文脈や背景の知識がないと わかりにくい。そういうことが あります。そこで、情報を みんなに とどけるために、かみくだいて説明する 必要が でてきます。 たとえば、あたらしい法律が できたとき。その法律を わかりやすく説明するパンフレットを つくる。 ひとつ 例を あげます。2016年 4月1日に、障害者差別解消法が施行されます。内閣府のページを みてください。 内閣府「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」 うえのページを みると、法律の文や概要などは「るびつき」PDF、「るびなし」PDF、テキストファイルの 3種類が 用意されています。ふりがなが あれば よみやすい人、ふりがなは ないほうが いい人、PDFファイルではなく テキストファイルが

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  • わかちがきは、発明されたものだ。 - hituziのブログじゃがー

    I am a student. ああ、英語を かくのは いやなものです。「アイ アム ア ステューデント」。「わたし は 学生 です」。 ってことですね。言語音は、連続しているもので、アイとアムとアとステューデントの間に、音のきれめが くっきりあるわけではありません。けれども、文字で表記するときには、ことばの きれめにスペースを いれています。これを日語では「わかちがき(分かち書き)」と いいます。 世界の言語のなかで、この わかちがきを しない言語は日語と漢語(いわゆる中国語)ぐらいだと いわれています。もちろん、ほかにも いくつか あるはずですが、わかちがきを しない言語としては、日語と漢語が代表格です。 とはいえ、日語だって わかちがきされることも あります。小学校の教科書や日語点字では わかちがきを しています。語学書としての日語の入門書でも、よく わかちがき されてい

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  • 「配慮の平等」という視点 - hituziのブログじゃがー

    先日おみせした「識字のユニバーサルデザインにむけて」という文章ですが、なかでも注目していただきたいのが、石川准(いしかわ・じゅん)さんの「配慮の平等」という視点です。いしかわさんは、盲人のプログラマで社会学者でもあります。いしかわさんは何度も何度も強調して、表現をかえて「配慮の平等」という理念を提示しています。その姿勢はとても参考になるものです。いしかわさんは、つぎのように議論しています。 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。 たとえば、駅の階段とエレベータを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベータは車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エ

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  • 日本の入国管理体制を 批判する。 - hituziのブログじゃがー

    の入国管理体制のなかで、収容されたり、強制送還されたり、労働や健康に関する権利を うばわれている ひとたちが いる。密入国した ひと、偽造パスポートで入国した ひと、資格外 労働をしてきた ひと、オーバーステイをした ひとたちだ。そのなかには出身国で迫害されていたため 国外に のがれてきた ひとたちが いる。難民と よばれる。 ほとんどの ひとが出身国では生活が たいへんだった。それは共通している。それなら、「入管に抑圧されている ひとたち」の うち、難民だけに焦点をあてることは あまり適切ではないと おもう。難民には難民の背景があり、移住労働者には移住労働者の背景がある。その ちがいは きちんと ふまえる必要がある。それぞれに支援団体が必要で、現に役割分担している。 けれども、日の入管体制に興味を もちはじめたときに、難民の人権だけに注目しようとする場合が あるように感じる。その点

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  • 反原発を 分断する優生思想。 - hituziのブログじゃがー

    反原発運動の なかでの「優生思想」の問題が、以前から指摘されてきました。たとえば、2011年2月には つぎのような記事が問題になりました。 上関原発、強行工事!! - ゆいわのきほくのわ この記事には、たとえば つぎのような文章があります。 日の原発は、たくさん放射能が漏れています。ごまかして隠してますが、原発地帯の子供達は奇形児や白血病が多いのです。 みなさんの子どもが、原発地域で育った女の子と結婚したいと言ったらどうしますか? 年頃の女の子は、奇形児を産む可能性が高いから結婚できないのです。 このひとは、結婚差別を 批判することなく、むしろ利用し、そして「奇形」を さけるべきものと規定しています。上関(かみのせき)に原発をつくるなと主張するために、このような論理は必要なのでしょうか。むしろ、反原発運動に差別を とりこむことによって、運動を 分断することになるのでは ないでしょうか。

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    lotus3000 2012/03/07
  • 停電弱者。 - hituziのブログじゃがー

    3月の原発事故のあと、「原発がとまれば弱者が死ぬ」という主張があり、それは「ためにする議論」だと批判する議論がありました。じっさいには「弱者」のことなんか かんがえていないのに、原発を維持するためだけに もちだした論理だと。 わたしは、とつぜんの停電は死活問題であり、さけるべきだということ、そして、原発は不安定な電力供給源であるということ、だから安定的な発電方法をえらぶ必要があると かんがえます。 だから、「原発がとまれば弱者が死ぬ」という主張は、わたしも問題だと おもいます。しかし、「原発止めたら弱者ガー」と ばかにするのは、あきらかに不当だと おもいます。 さきほど まとまった文章を みつけましたので、ご紹介しておきます。 http://www.bakubaku.org/bousai-kaigohoken-joho-genkou.html 一部を引用します。できれば全文をよんでください

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    lotus3000 2011/12/31
  • 言語能力と刑罰―言語という障害。 - hituziのブログじゃがー

    2009年に「言語という障害―知的障害者を排除するもの」という論文を かいた。もくじは つぎのとおり。 はじめに 1. 言語権という理念 1.1. ひとつの言語とはなにか 1.2. 言語権のひろがり 2. 知的障害と「言語」 3. 言語学の倫理―ジーニーを実験台にさせたもの 4. 共生の条件とされる「ことば」 5. 知的障害者をとりまく社会環境―言語という障害と能力主義 5.1. 言語と世界観 5.2. 知的障害の判定テストと言語 5.3. 能力の個人モデルから「能力の共同性」へ 6. 言語主義からの自由、そして言語権のユニバーサルデザインにむけて おわりに 参考文献 こうした問題に関連して、最近 気になっていることがある。それは「言語能力」によって刑罰の軽重が左右されてしまうということだ。 浜井浩一(はまい・こういち)は『2円で刑務所、5億で執行猶予』光文社新書で、つぎのように のべてい

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  • 「毎日 うんこ」ですって? - hituziのブログじゃがー

    わたしは うんこと なかよくやってます。たくさんの うんこ。いろんな うんこ。ひとは たべたら、うんこが でます。 黙って他人のうんこの臭いを嗅ぐのも重労働 - いちヘルパーの小規模な日常 ケア労働について ブログを かかれておられる id:sugitasyunsukeさんの記事です。 青い芝の有名な言葉に「寝たっきりの重症者がオムツを変えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働としてみられるべきなのです」というのがあるけど、介助者にとっては時に「黙って他人のうんこの臭いを嗅ぐのも重労働」かもしれないのだ。そういうことを、すこし、思い出してみるのもいい。 そうですねー。わたしなどは、はなづまりなので、だいぶん 得を しているのかもしれません。うんこのケアは、けっこう たのしいです。 はなづまりって、基的に 睡眠が あさくなって、昼間に ねむたくなることが あっ

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  • 国民という差別。 - hituziのブログじゃがー

    言語政策学会のシンポジウムで李洙任(り・すーいむ)さんの報告を きいた。李さんには『グローバル時代の日社会と国籍』という田中宏(たなか・ひろし)との共著がある。 李さんの報告の題は「移民コミュニティの移民言語教育―オールドカマーを中心に」であり、「国民」と「外国人」という規定の問題を指摘していた。 おなじような内容を 最近、サイトに のせたので、紹介しておきたい。 「国籍ってなんだろう―日の入国管理政策の問題」 - あべ・やすし さて、李さんの報告にたいして、フロアから つぎのような発言があった。要約する。 わたしも法律の国民という表現について問題だと感じていた。だが、あるとき法律の専門家に「文言説」と「性質説」のちがいをおしえてもらった。つまり、法律の文言では「国民」とあっても、じっさいの運用では その「国民」には「外国人」が ふくまれるのだと。それをきいて、国民という語について問題

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  • 「わたしは いやだ」ということ。 - hituziのブログじゃがー

    公平とは なにか。 - hituziのブログじゃがーの つづき。 ずっとまえにブログで紹介したことがあるが、金 伊佐子(キム・イサジャ)さんの「在日女性と解放運動―その創世記に」『前夜』4号(2005年 夏号)という文章が わすれられない。一部だけ紹介する。 代弁する前に自身の有り様を問い直し、周囲の日人の意識変革、社会変革を実現してほしい。自身の意見と立場で放つ意見は他者の代弁よりも説得力をもつだろう。 (119ページ) 日の丸や君が代を「在日外国人もいる」ことを理由に反対されるのは困ったものだ。人をだしにせず、はっきりと自分がイヤだから、強要される非民主性がイヤだから、その歴史性や社会政治性を拒否するからと自分の立場で反対してほしい。…中略…日の丸や君が代は日の、日人の問題である。自分のふんどしで相撲をとってもらいたい。 (120ページ) わたしが いやだと感じるから反対する。わ

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    lotus3000 2011/07/12
  • 公平とは なにか。 - hituziのブログじゃがー

    「こういう ひとたちが いて、一方で こういう ひとたちも いる。どちらも尊重しよう!」というとき、その関係が どうなっているのかを ちゃんと確認するようにしたい。片方が圧倒的に多数派で、権力的であるなら、「どちらも尊重しよう!」なんてのは そもそも公平ではない。 非対称な関係にあるという現実から出発して、いかにして平等な関係を きずいていくのか。どのように むきあい、対話していくのか。そういうプロセスを すっとばして、ただ「どちらも大事」とだけ主張するのは、なにも いっていないのと おなじだ。 「こうすることも、ああすることも排除につながる。」 それは ただしい。 しかし、それならば、「わたしは どちらを えらぶのか」ということじゃないか。どちらの側に たつのかという主体的な選択じゃないか。えらべないなんてことはない。わたしたちは、現に えらんでいる。 はっきりと意見を 表明することを

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    lotus3000 2011/07/11
  • 集団主義をこえて、世界をいきる - hituziのブログじゃがー

    反日デモにせよ、反中国デモにせよ、韓国で集団主義的に さわいでいることに、なんでもかんでも肯定的にみるのは ちょっと いやだなあと感じてしまう。みくだして、あざわらうのは論外にしてもさ。まあ、日では韓国の反中国デモとかは あんまり しられていないか。あれも はげしいよね。はげしいから いやだなあと おもうのではなくて、その思想の方向性の問題。 韓国の反アメリカデモは「ろうそくデモ」とか、おもしろいし、魅力を感じる。だけど、反中国デモとかをみると「あーあ、はやく やめましょうよ」と感じる。排外的なナショナリズムでしかないから。もちろん、中国側で あおっている側面もあるやね。 いいたいのは どういうことかというと、韓国にいる キョクサ(極左)の友人たちとか、わたしの お気にいりの批評家たちは、そうした騒動があるたびに、いやーーーーーーな気分にさせられていることを おもうと、あーあと おもって

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    lotus3000 2011/07/01
    ここが僕とあべさんの違いかな。理念によるつながりを可能にするものってなんだろうというのがぼくの関心だし。
  • 本が でました: かどや/あべ編『識字の社会言語学』生活書院 - hituziのブログじゃがー

    かどや ひでのりと共編著を だしました。 「識字」と「非識字」を どのように認識するかという問題、日の識字率に まつわる幻想について、文字を かくということ/よむということの身体性と社会性について、識字運動を 障害者運動や障害学の視点から とらえなおし再検証する こころみ、識字問題への公共図書館の役割について、文字が よみかきできなくても社会生活で こまらないような社会にするには どうすれば いいのかについて かいてあります。読書案内と さくいんもあります。 識字の社会言語学 生活書院Amazon 第1章 日の識字運動再考 第2章 均質な文字社会という神話―識字率から読書権へ 第3章 てがき文字へのまなざし―文字とからだの多様性をめぐって 第4章 識字率の神話―「日人の読み書き能力調査」(一九四八)の再検証 第5章 近世後期における読み書き能力の効用―手習塾分析を通して 第6章 識字

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  • 介護職の あなたへ。 - hituziのブログじゃがー

    介護職でも、看護師でも なんでも いいけれども。ケア労働者へ。 ありたい わたし。期待されている わたし。そういう理想像が かたほうに ある。 そして、そうでは いられない わたしが いる。そのとき、ひきさかれるように、つらくなってしまう。そういうことが ある。 武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』に引用されている短歌。朝日新聞に のったもの。 天使にもペテン師にもなりきれぬまま 二年目ナースの今日が始まる これは ないてしまう。ゆらぐ きもち。自信が もてないようす。肯定できずに、くるしい きもち。孤独。そういった感情を 感じさせる。 だけどなあ。これは ほんとうに、あなたは ひとりではないんだ。あなたの ことばに、うなづく ひとが たくさん いる。そして、それが わかったとき、わかちあえたとき、あなたは すこし楽になるだろう。そして、「今日も始ま

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  • 「当事者」を 尊重しつつ、依存しない。 - hituziのブログじゃがー

    当事者の意見を 尊重する。当事者の声を きく。だいじなことですよね。その当事者が 社会的に排除されてきた 現実があるなら、きちんと はなしを きくことから はじめないといけない。 いろいろな社会問題が あるなかで、これは ゆるせないと感じ、その問題の解決に とりくむことがあります。そのとき、「わたし」の主体で、「わたしは こんなことは ゆるせない」という問題意識から出発する必要があると おもいます。 逆に、差別に反対したり、日社会の問題に とりくんだり、なぜ そういう社会運動を「わたし」はするのか。それを、いわゆる「当事者」が「いやがっているから」というリクツでやっていると、当事者とされる ひとが「いやがってくれないと こまる」ってことになってしまう。 そうなると、自分の主体よりも「当事者」の主体に依存してしまうことになる。「わたしが いやなんだ」というリクツで うごかないかぎり、「運動

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  • たすけない。孤立させる。そんなテストは もう いらない。 - hituziのブログじゃがー

    テストは なぜ、ひとりで こたえないといけないのか。たすけあっては いけないのか。わからないところを おしえてもらっては いけないのか。「カンニングは いけない」とか、うるせえ! わからないとき、わからないと いう。おしえてほしいことを、おしえてくださいと いう。それって だいじなことでしょう? まちがっているかもしれないと不安になり、確認したいというとき、ちょっと だれかに きいてみる。そういうのって、だいじでしょう? ひとり。もくもくと。だまって。自分のちからで。なんで そんなことばっかり。 自分で べんきょうして、それをテストして、これが わたしの点数。わたしのもの。ほんとうに そう? いっしょに べんきょうしたのに、テストするときは どうして個別テストなの。カンニングしたら点数おまけしてもらうくらいで いいじゃないか。だって がんばってるじゃないか。 協力しあって こたえを さがす

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    lotus3000
    lotus3000 2010/11/02
    賛成と思う反面、ストイックな勉強をも評価したい気持ちも同時にある。社会的関係資本でどこまで代替可能なのかな?もう少し考える。
  • 『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 - hituziのブログじゃがー

    小澤勲(おざわ・いさお)/黒川由紀子(くろかわ・ゆきこ)編『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 すこしまえに よんだですが、いいです。とはいっても まだ半分しか よんでいませんが。 このを つくった背景を、おざわさんは つぎのように解説しています。 このは、共編者の黒川さんが教えておられる学生さんが、ゼミで「認知症に関するには、啓蒙書もあり、専門家向け、ケアスタッフ向け、家族向けのものもあるのに、なぜご人に向けたがないのですか」と問われたことから計画されました。 おざわさんは、「たしかに、誰よりも不安で、悩み苦しんでおられるに違いない方に向けたが、これまではなかった」、「認知症と診断された方に、まず読んでいただくようなも必要なのでは、と考えました」としています(7ページ)。このは「認知症をかかえるあなたの、日常生活に役立つガイドブックを目指している」ということです(8

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  • 介護職とボランティア。 - hituziのブログじゃがー

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20101022/1287712210 社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。 んー。介護職が適切にアドバイスしたうえで、できることを してもらえば だいじょうぶだと おもいますね。「素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかり」というのは、責任を ボランティア側だけに おしつけてしまっている。そういうのは、うけいれる側(介護職)の問題でもあるでしょう。共同作業ですからね。 人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽう

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  • よみやすさって、なんだろう - hituziのブログじゃがー

    漢字の すくない日語の文章を かいていると、すぐに よみにくいという反応が かえってきます。はたして、よみやすいって どういうことだろう。きょうのテーマは、「よみやすさ」です。 日語学/日教育の研究者であるシュテファン・カイザーさんの「日語と漢字・日人と漢字 : 日語の表記と国内外における捉え方について」という講演が あります。これが、とても よく まとまっています。まず、これを よんでみてください。PDFで公開されています。 あるいは、つぎの文章が とても参考になります。 山口 光(やまぐち・ひかる)1987 「表意文字と表音文字」『日語学』8月号 山田尚勇(やまだ・ひさお) 1987 「文字体系と思考形態」『日語学』8月号、43-64 山田尚勇 1990 「文字の型と読みの速さ」『日語学』11月号、4-29 マーシャル・アンガー「漢字とアルファベットの読み書き能力」

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  • フィリピンについての本。 - hituziのブログじゃがー

    『顔の見えない定住化―日系ブラジル人と国家・市場・移民ネットワーク』 名古屋大学出版会というを しっていますか? よく まとまったです。 ふと感じたのです。日で くらすフィリピン人についてのは なにか いいのが ないだろうかと。 とりあえず、てもとにあったでは『もっと知ろう!! わたしたちの隣人―ニューカマー外国人と日社会』の第5章「地域社会にみる多文化共生―名古屋市中区のフィリピン・コミュニティの試み」が参考になりました。 『ブエノス・ディアス、ニッポン―外国人が生きる「もうひとつのニッポン」』の第6章「国が作り出すジャピーノ」と第21章「愛しのフィリピーナはどこへ行く」も参考になりました。 もっと しらべてみよう。ということで、フィリピンについてのを 検索してみました。 『物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年』中公新書 『現代フィリピンを知るための61

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