レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 技術は極限まで磨かれ無意識的に行われるまでにならなければ、 目的を達することは不完全になる。 自動車の運転はすべての操作が無意識的に行われてこそ、 景色を楽むことができる。技術者は技術の先にある成果を目標とすべき コメント欄から抜粋 コメント欄を読ませていただいて、 こういう考えかたもあるんだな、と正直驚いた。「技術の先に見えてくる世界」というものは、 自分にとってはしばしば、「技術を商売に結びつけること」だったから。 注) 以降「エンジニア」「技術者」という言葉を、設計や製作を行う人たち以外に、 広告を考えたり、プレゼンテーションを行う人達にまで、しばしば拡張して用いています。 うちでは昔からそうだったので。 武芸的な、技術的な
『坂口安吾研究I』(冬樹社、一九七四年二刷)を読んでいる。なかなか面白い。驚いたのは坂口三千代の回想で安吾の通夜に来た石川淳がさめざめと泣いたというくだり。 《お通夜の晩は尾崎士郎さんも檀さんも、小林秀雄さんもお見え下さいましたが、きつい表情でいらしたので私の心はおびえてまいりました。私が大切なお友達をとりあげてしまったような気がしてとてもおこっていらっしゃるのだと思ったのです。でも、それはやがて違っていることがわかりました。石川淳さんが伊香保からお見えになって、お帰りの間ぎわ、坊やを抱かれてさめざめとお泣きになりました。それはもう、とめどなく涙を流されました。それをみているうちに私のおびえた心がだんだんにときほぐれ、ただただ惜しんで下さるお気持ちがひしひしと胸にこたえてまいりました》(「亡き夫へ」) 『中央公論』昭和三十年四月号に発表された文章。石川淳の年譜によれば石川は「坂口安吾を悼む
書こうとしてめんどくさくなって投げ出しかけたけどちょこっと ある程度歳をとって(具体的には20歳超えて)オタクであり続けるのは基本的には無理である。なぜなら、たいていのアニメ(マンガ、ゲーム、小説、プロレス、映画、なんでもいいが)はクズだからだ。スタージョンの法則でも言うではないか、「…しかし、すべてのものの90%はクズなのだ」と。20歳こえればそんなことにはイヤでも気が付くはずだ。早いやつは中学、高校くらいでそんなことには気が付いているはずである。 歳をとってそれでもなおオタクであり続けている人は、ゆえに ・よいところ探しに長けている または ・あら探し、欠点の指摘することにエネルギーを費やす のどちらかである。 前者はあらゆる物事の専門家について言えることで、素人からすれば退屈きわまりないことについていろんなロジックをアクロバティックに展開することによって称賛する技術にた
先日、著作権に関するとても興味深い話を弁護士の人から聞くことができた。実際にあった法廷闘争に基づく話だが、トピックは、「他の人が書いた料理の本に乗っているレシピを参考に、似たような料理の本を出版した場合、どんな法律を破っていることになるか」という話である。 適用できる法律は、著作権、特許、登録商標の三つ。それぞれについて考察を加えるとこうなる。 【著作権】このケースで言えば、著作権で守られているのは、文章そのもの・イラスト・写真。レシピそのものは著作権では保護されない。つまり、オリジナルの料理本の文章を丸写しにしたり、イラスト・写真をそのままコピーしさえしなければ、(材料・調理方法などが)まったく同一のレシピの本を書いても著作権法違反にはならない。言い換えれば、著作権で保護されるのは、「特定の表現」であり「情報そのもの」ではない。 【特許】レシピに特許権が成立するかどうかは微妙ではあるが、
もはやミシュラン憎しというよりも、「マスヒロ潰し」ではないかと思うほどの過激な批判を展開している「ゲーテ 4月号」。 山本益博氏の品性下劣さを示すためなのか、業界関係者には公然の秘密だった彼の問題点を実名挙げて暴露してきました。 見城社長は「おねだり益博」、宇田川悟氏は「小判ザメ」と揶揄したマスヒロさんの「タダ飯要求」問題です。 ミシュランの掲載を拒否したと堂々と発言した麻布十番の「かどわき」の主人が、またまた以下のような爆弾発言をしています。 マスヒロさんが店へ予約の電話をしてきて「私が食べるということは、いろいろなところで批評して紹介することですからタダにしてくれ」と言うので断ったと。 私もこの手の「マスヒロタダ飯要求」、別の店での話として聞いておりました。私が好きな鮨屋でも要求したとか、ある星一つの鮨屋では直接主人から「特別待遇をしなかったので以後まったく来なくなった」とい
信田さよ子著『依存症』(文春新著)読了。 味も素っ気もないタイトルといい、生真面目な内容といい、文春新書というより昔の岩波新書みたいな本(馬鹿にしているように聞こえるかもしれないが、ほめているのだ)。 これは、意外な拾いもの。堅すぎず柔らかすぎない明晰な文章で、ていねいに綴られた良書だ。 依存症の手際よい概説書であると同時に、依存症問題を「窓」として日本社会を考察した書でもある。(私のようなシロウトにとっては)目からウロコの知見や卓見が多数ちりばめられている。 たとえば、酒類の自動販売機があるのは世界で日本だけだということを、私は本書で初めて知った。 そのことが象徴するように、日本は世界水準から見たら著しい「アルコール容認文化」の国であり、諸外国に比べ薬物乱用者が少ない一つの要因がそこにあるのではないか、と著者は言う。つまり、酒容認文化の国であるからこそ、他国なら薬物依存に走る層が、かなり
RPGに限らず「勇者が魔王を倒してハッピーエンド」という形式の話は多い。もちろん類型的な話であるということは同時に定番であるわけで、下手に奇をてらった話よりは余程良いのではないかと思う。しかし、魔王を倒した勇者を止められる者などいないのだから、勇者が暴君になったら少しもハッピーではないのではないか。 もちろん勇者のその後に触れている物語もある。良い王様になったり、元の生活に戻って幸せに暮らしたり、人知れず遠くへ去っていったり、といった結末のものが多い。後日談なのだから当たり障りない話にしているというのもあるだろうが。 逆に物語の本編で神を殺してしまう物語もある。その神が善か悪かどちらとも言えないかは別としても魔王が現れる前の状態での支配者を殺すというのは確実に世を乱す原因となるだろう。 真女神転生や*bandのような善も悪も全て等しく敵だという世界観では神を殺すのも当たり前だろう。そうでは
2008-02-28 ■ EurekAlert (http://www.eurekalert.org)より 2008-02-28 イチョウ葉は記憶に影響するか? 論文 Does gingko biloba affect memory? 27-Feb-2008 http://www.eurekalert.org/pub_releases/2008-02/aaon-dgb022208.php Neurologyに2008年2月27日にオンライン発表された研究によれば、イチョウ葉は記憶障害発症リスクに対して明確なメリットはない。 85才以… 2008-02-28 プロザックの問題 論文 ScienceNOWより The Problem with Prozac Martin Enserink 27 February 2008 http://sciencenow.sciencemag.org/cgi
川本三郎さんの新著『東京暮らし』*1(潮出版社)を読み終えた。 同じ版元から出た『旅先でビール』*2(2005/11/13条)とつくりが似て(カバーイラスト小林愛美、装幀鈴木成一デザイン室)、内容的にも似た感じの文章が収められているから、姉妹編的なエッセイ集となっている。 しばらく前新刊案内サイトで本書の刊行を知ったはずで、それから時々版元潮出版社のサイトにアクセスしては出ていないかチェックしていたものの、何の音沙汰もなかった。それではあの新刊情報は幻だったのかしらんとそのまま忘れかけていたところ、たまたま帰途自宅最寄駅前の新刊書店に立ち寄ったら本書を見つけ、即購入したのである。以前ここでは『映画を見ればわかること2』も購っている(→2007/10/25条)。この本屋で川本さんの本を買う人間は、ひょっとしたら私だけかもしれない。 本書でも、散歩、書物、映画、ビール、銭湯、温泉など、川本ファ
なんか昨日書きそびれたけんど、ヨドバシの店員さんのオタク臭は230.545ppmくらいありそうだ。 デジカメを買おうとしていたら、店員さんが親切に寄って来て説明してくれるんだがそのしゃべりのスピードと感じがオタクだった。「感じ」を説明するのは難しいが、とにかく、ちょいとそこんとこでブレスしたほうがいいんではないか?とアドバイスしたくなるぐらい説明してくれるんだが、こちらの脳のスペックが悪いので処理落ちしてしまい結局ナニを説明してもらったか判らない。 何故か、広告に美男美女を使う機種を憎んでいるらしいということは判った。そして広告に美男美女を用いる機種はデザインに金をかけるのでどうしてもスペックが劣るとかなんとか主張していたが、職業として、その金をかけた「デザイン」とやらを教える身としては反論の一つもしたくなるのだが、処理落ちしているのでクチが動かん。 なんとなく不満が溜まっただけで終わって
たぶんみなさんも中学校の英語の授業で、“bread and butter”という表現は「パンとバター」ではなく、「バターを塗ったパン」という意味だと習ったのではないだろうか*1。ほーう、なんか英語っぽい……(英語だよ)。中学生が英語的な思考の一端に触れる瞬間として、わりとみんなおぼえてるみたいですね、これ。 おなじように“coffee and milk”という表現もあるけど、“coffee and cigarettes”となると、これは煙草入りのコーヒーのことではないので、みなさん注意してほしい。しかし、じゃあコーヒーと煙草ということですねと、分離可能な、それぞれ独立した存在であるかのようにいわれると、うーん、それもちがうんだけどなーという微妙な気持ちがあるわけです。ジャームッシュの映画のように、やはりそれらは同時に存在していなくてはならない。 とはいえ、最近の僕にとってそれはなかなかむず
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