はじめに 諏訪大社上社の #神長官(じんちょうかん)として中世をピークに明治期まで続いた #守矢家。当ブログ #物部さん考 の一環として #神長官守矢家資料館 を訪問 目次 神長官裏古墳 27代目に現れる武麿(弟麿) 点を繋ぐ線 地域に残る物部守屋の伝承 本文 神長官裏古墳 直径約九メートルの土の盛り上がりの頂上に玄室が露出しています。 案内板には、元はもっと規模の大きな円墳で、西暦六百年代(七世紀頃)の築造と書かれていました。 神長官裏古墳(神長官守矢家敷地内)七世紀頃築造 「神長官守矢史料館のしおり(有料)」に「(先代が)用明天皇(第31代)の御世の我が祖先武麿君(弟君)の墳墓です。といった内容の説明をしていたことをかすかに記憶しています」という子ども時代の記憶を、現当主(第78代)守矢早苗氏が紹介しています。 ※武麿(たけまろ)。弟麿(おとまろ)とも 神長官裏古墳 玄室 神長官裏古墳
![【神長官守矢家①】伝・武麿(守矢家27代)の円墳と出自の謎 - ものづくりとことだまの国](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6b3e5b270155a43d113ff1de5981fc3ef00a9dc6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2FK%2FKaimotu_Hatuji%2F20221115%2F20221115145318.jpg)