2022年、世界的に有名かつ貴重な日本の建築が解体された。東京・銀座にあった「中銀カプセルタワービル」だ。竣工は1972年。それからちょうど50年を経て、文化庁が定める登録有形文化財の登録基準を満たした年に、この世から消え去ってしまった。しかし、ただ無くなるのではなく、使用されていたカプセルの一部は有志によって修復され、世界へ送り出されようとしている。この保存活動の意義、そして多くの日本人が知らない中銀カプセルタワーの世界的評価を専門家に聞いた。東大大学院で教える工学博士が「壊すべきではなかった」と話した理由とは?【華川富士也/ライター】 【写真14枚】いまも世界中の建築関係者から絶賛される黒川紀章氏の代表作、“再生”のプロセスを一挙公開 “救出”されたカプセル23個の行方 中銀カプセルタワービルの解体は今年4月から始まり、すでに跡形もない。解体作業中、140あったカプセルの大部分はその場
人口約200万人を擁する札幌の市街地に「電車が来ない駅舎」がポツンと佇んでいます。ここに走っていた定山渓鉄道は、かつて北海道の観光開発の核となるはずでしたが、その運命はオリンピックに左右されます。 札幌・平岸通りにポツンと建つ「電車が来ない駅」その正体は? 札幌市南区・石山地区の中心部、片側2車線の幹線道路「平岸通り」沿いに、「石切山駅」と駅名標が掲げられた洋館造りの木造駅舎がそびえ立っています。真っ白い壁と赤い三角屋根がとても目立つこの建物の基礎部には丁寧に切り石が平積みされ、幾多の冬を乗り切ってきた歴史が伺えます。 “駅”を出てすぐの場所に「石山中央」バス停があり、平日朝には数分に1本と待たずにバスに乗車することが可能です。しかしその裏側に回るとレールはなく、もちろん列車が来ることはありません。 拡大画像 札幌の郊外にたたずむ旧石切山駅(宮武和多哉撮影)。 この駅に発着していた“じょう
今朝方、メロンを貰った。これは夕張市についてエントリを書けというなんかの神様の思し召しであろうか。しかし、夕張市自治体破綻については、話がどうも腑に落ちない。わけわかんないという感じだ。ま、それでもブログってみる。 報道などを見るに問題は、基本的には、予算書に記載しない一時借入金が三百億円に達し、これを自転車操業にしていたのが原因である。それはわかる。夕張市の標準財政規模は四十五億円なのだからどう考えても異常な事態だ。 わからないのは、これだけの額がチェックできなかったのだろうかということ。それはありえないとしか思えない。北海道庁と総務省はわかっていたのだろう。特に北海道庁は夕張市がむちゃな地方債発行をしているとわかっていて認可した経緯がある。 そう考えると、北海道庁と総務省はどうするつもりだったのだろうか。いや、それが今回の結果ということなのだろうか。 こうした隠れ借金は夕張市だけではな
風光明媚な日本海沿いをかけ抜ける列車。“空の駅”と呼ばれる、兵庫県の「余部(あまるべ)鉄橋」は、集落と海が織りなす、まさに絶景スポットだ。周辺には日本有数の温泉街があり、冬には新鮮なカニまで食べられる! …そんな魅力あふれる街を行くローカル線だが、何と関西で1、2を争う「赤字路線」だ。その実態を取材した。 岐路に立つ「JR山陰線」 乗客激減で廃線の危機 JR山陰線の城崎温泉駅。大阪方面から、毎日のように多くの旅行客が降り立つ。しかし、その先の「城崎温泉~浜坂」間では、事情が変わってくる。列車内で話を聞いてみると…。 この記事の画像(23枚) 買い物帰りの男性: きょうは買い物、竹野から来ました ――普段から列車を使われるんですか? 買い物帰りの男性: 使います。僕、車持ってないので 病院帰りの女性: 病院に、注射して薬をもらいに。1週間に1回乗る ――もし列車じゃなかったら行きづらい? 病
ここ数日のことなのだが、当ブログの訪問者数がいつもより格段に増加し、しかも「荻窪ロフト」なるキーワードで検索してここに辿り着く方が圧倒的に多い。ちょっと調べてみたらみたら理由はすぐに判明した。数日前、読売新聞にこんな記事が掲載されていたからだ(「[東京の記憶] 荻窪ロフト」 →これ)。 三年前に書いたエントリーにアクセスが集中したのは明らかにそのせいだろう。他愛のない思い出話なのだが、例に拠って「まだ書きかけ」のまま尻切れトンボに終わっているのが申し訳ない。そこで末尾を書き足して、完全版(?)に仕上げ再録しておこう(後半の「どうしてそんなことになったのか」以降が加筆部分)。まあ愚にもつかない笑い話で終わるのだが、なにせ四十年近く前の実話なので今となっては歴史の一齣。どこかで何かの役に立たぬとも限らない。 ******** 数年前たまたま荻窪に出向いた折り、南口周辺を少し探索してみた。 道筋
大正15年に開園し、地域に根ざした遊園地として親しまれてきた、東京・練馬区の「としまえん」が31日、94年の歴史に幕を下ろしました。 最後の営業日となった31日、「としまえん」は、開園後から多くの人でにぎわいました。 園内では、来場者に長年の感謝を伝えるさまざまなイベントが開催され、このうち、としまえんへのメッセージを書くことができるコーナーでは、大勢の人がとしまえんの思い出や感謝の気持ちなどをつづっていました。 最後の営業はプールが午後5時に終わり、園内の乗り物は午後7時をもって終了しました。 午後8時からは、すべての来場者への感謝を込めて夜空に花火が打ち上げられました。 このあと、としまえんのシンボルで、世界で最も古いとも言われているメリーゴーラウンドの「カルーセルエルドラド」の前でセレモニーが行われました。 多くの来場者が見守る中、最後の運転が終わり、すべてのライトが消えると会場は大
2021年11月9日追記 本記事では2020年10月をもって閉店とご案内しておりますが、後続の記事でもご案内の通り、諸般の事情により2021年12月末まで営業期間を延長しております。2021年中は営業しておりますので、ぜひ最後のこの期間、皆さんのご来店を心よりお待ちしております!中村です。 これまでのnoteでは、株式会社トレタの代表として記事を投稿してきましたが、今回は、「豚組」や立ち飲み「壌」などの飲食店を運営する株式会社グレイスの創業者、そしてオーナーというもうひとつの顔で投稿します。 さて、今回は残念なお知らせをお伝えしなければなりません。僕らは、六本木の豚しゃぶ専門店「豚組しゃぶ庵」を、2020年10月末をもって閉店することを決定しました。 豚組しゃぶ庵を愛してくれた皆さんと直接お店でお会いし、感謝をお伝えし、思い出を語り合える時間を少しでも多く取りたいと思い、4ヶ月も前のタイミ
スティーヴ・ハウが、エイジア初期におけるジョン・ウェットンの状況や彼との別離について語った。 ◆エイジア画像 エイジアは80年代初め、ハウ(G)、ウェットン(Vo,B)、カール・パーマー(G)、ジェフ・ダウンズ(Key)のラインナップで結成され、1982年にデビュー・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』を発表。アルバムは9週間全米1位に輝き、1stシングル「Heat Of The Moment」のヒットと共に、彼らは瞬く間にビッグ・バンドとなった。 ハウはこの成功はウェットンにとって必ずしも居心地のいいものではなかったと、『Classic Rock』誌に語った。「もちろん、素晴らしいことだった。イエスがあんな風にばらばらになった後、正しさを証明できたように感じた。でも、僕はすでにイエスで、アメリカでソールドアウトのアリーナ・ツアーをやるみたいなレベルのことは経験していて、カールもそ
日本経済の先行きに不透明感が強まる中、注目を集め始めた中小企業の「淘汰論」や「不要論」。この大胆な理論を実行に移すとすれば、社会の混乱を防ぐために少なくとも次の2つの条件をクリアすることが欠かせない。 ①消滅する中小企業が生み出している付加価値を、残された企業(大企業中心)でカバーする。 ②消滅する中小企業が生み出している雇用を、残された企業(大企業中心)でカバーする。 2019年版の中小企業白書によれば、全ての日本企業に占める中小企業の比率は99.7%に上り、GDPのおよそ4分の1を支えているとみられる(2015年時点で25.4%、分母のGDPは531兆円で試算)。雇用でも日本の全雇用の約7割(68.8%)の受け皿になっているのが現実だ。 生産性の低い中小企業の淘汰を説くデービッド・アトキンソン氏の言う通りに、中小企業を半減させれば、残された企業が補わねばならない付加価値と雇用は膨大にな
10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日本大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し
一般の人が配達員として料理を客に届ける代行サービス「ウーバーイーツ」の配達員たちが労働組合を結成し、サービスの運営会社に労働条件の改善を求めていくことになりました。 3日は東京・渋谷区で「ウーバーイーツ」の配達員と支援する弁護士が会見を開き、労働組合の設立を発表しました。 「ウーバーイーツ」はアメリカのライドシェア大手「ウーバー」が運営するサービスで、配達員は、好きな時間に働けるというメリットがある一方、会社と雇用契約を結ばない「個人事業主」として働くため、けがをした場合でも労災保険は適用されないなど課題が指摘されていました。 今回、組合を結成したのは17人で、代表を務める前葉富雄さん(29)は「事故の問題などで困っているという声も多く届いているので組合として会社と交渉していきたい」と話していました。 ウーバーは、今月から配達中の事故でけがをした場合は治療費を25万円まで支払うなどの補償を
釧路の石炭輸送列車が廃止されたことについて色々書いた。 karamandarine.hatenadiary.jp 幼少の頃から「いつでもあるもの」だと思うと、かなりな鉄の私ですら「別に…」という感情で、なんだかどうでもいいと思ってたフシがあると書いたが、私が興味を持たなかった理由は実はもう一つあって、それはこの路線が「貨物専用線」であることである。 それも過去記事で書いたけど、私は昔から、どうも貨物列車というものに興味がなく、だから全く詳しくもなかったし、多数連なってる黒い貨車の集団も、外国人の顔のごとく「区別がつかない」状態で一絡げに見ていたし、なんなら機関車ですら「ああなんか引っ張ってますよねえ」でしかなかった*1。 まあそんなこんなで、故郷を走ってた石炭輸送列車にも「どうせ貨物線やん」と、さほど興味はなかったという話だが、実はこの鉄道、1963年までは「旅客営業」していたのである!
というわけで前回の記事。 karamandarine.hatenadiary.jp 予告したとおり「鉄」なお話。 子供の頃から日常に「釧路臨港鉄道(旧社名)」があったせいで、鉄ヲタの私でも「ああ、あるよねえ」的に「どうでもよかった」感があったと言いましたが、ひとつだけ気になるものがありました。 それは「先端部」です。 鉄道というのは大阪環状線みたいなループじゃない限り、必ず「始まりと終わり」があります。釧路には「釧路駅」があり、北海道内でもかなり大きめな重要拠点で、すべての方向からの全列車が釧路止まりになる「終着駅」だったのですが、にもかかわらず根室本線の途中にあるため「終着駅」という感じする作りにはなっていません。 みなさんご存知の「阪急梅田駅」みたいな「これこそターミナル駅だ!!」みたいな光景は、自分の身近な場所では全く望めなかったのです。なので、そういうものに子供の頃から憧れていまし
あぁ、夢の中銀カプセルタワー… 知らない方のために説明すると、「中銀カプセルタワー」は銀座にある黒川紀章設計のマンションです。 複数のカプセルから成り、それらを取り替えることで細胞のように新陳代謝されるビルとして設計されましたが、1972年の竣工から現在に至るまで、カプセルが取り替えられたことはありません。 70年代に思い描かれた「近未来」感と、退廃的な美しさに魅了されたマニアも多いです。 リンク Wikipedia 中銀カプセルタワービル 中銀カプセルタワービル(なかぎんカプセルタワービル)とは、黒川紀章が設計し、世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅(マンション)である。1972年(昭和47年)竣工。 黒川の初期の代表作であると共に、メタボリズムの代表的な作品である。 それぞれの部屋の独立性が著しく高く、部屋(カプセル)ごとに交換することも、技術的には可能な設計になっているが、実
<div class=\"Section videoranking\" id=\"VideosSlide\">\n<div class=\"Title\">\n<h2><a href=\"//www.asahi.com/video/?iref=com_rnavi_video#ranking-list-wrap\">動画ランキング</a></h2>\n<ul class=\"SubLink\"><li class=\"Fst\"><a href=\"//www.asahi.com/video/?iref=com_rnavi_video\">動画一覧</a></li></ul>\n</div>\n<div class=\"VideosSlide cFix\">\n<div class=\"VideosListOuter\">\n<ul class=\"VideosList cFix\">\n<
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く