シベリア抑留体験の記録を「面白い」と評しては怒られるだろうが、面白いといわざるをえない。山崎豊子の『不毛地帯』のような「苛酷労働」の体験には照準が合わせられていないだけに、なおさらそう言いたくなる。ぼくは仕事で泊まりをしなければならなくなって本書を読み始めたのだが、100ページほどまで止まらなくなってしまった。 『夜と霧』を書いたフランクル、『アウシュヴィッツは終わらない』を書いたレーヴィ、『俘虜記』を書いた大岡昇平の記録がそうであるが、本書もまた、ラーゲリにおけるすぐれた人間観察である。 〈日本の小市民生活からもって行った私の心理の波長に適合するものを彼らのなかに見つけては、その限りで彼らに親しみを感じていたようである〉(p.313) 著者の高杉がここでのべているのは、ソ連で接したソ連共産党員たちのことである。高杉が日本の生活の中で出会ってきたあれこれの人になぞらえて、彼らを理解しようと