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2006年11月14日のブックマーク (7件)

  • 経済成長は手段か目的か? - 書評 - 貧困の克服 : 404 Blog Not Found

    2006年11月14日13:45 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 経済成長は手段か目的か? - 書評 - 貧困の克服 いいえ、違います。 貧困の克服 Amartya Sen 404 Blog Not Found:There's gotta be more than one theory to run the bazaar-山形さんのコメント あなたの最初の主張は、経済成長を求めるのがまちがっているということでした。 今の日においては、経済成長よりも先に考えるべきことがあるのではないか、と言ったのです。 また、経済成長一般が悪だと言った訳でもありません。発展途上国においてはまだ経済成長は必要です。まずパイそのものを大きくしなければ、配り切らないのですから。 しかしパイそのものが充分大きくなった世界においては、パイを大きくするよりも、どうパイを切り分けたかを考える方が重要なのでは

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  • 伽藍とバザール

    Eric S. Raymond 著 山形浩生 YAMAGATA Hiroo 訳    リンク、コピーは黙ってどうぞ。くわしくはこちらを見よ。 プロジェクト杉田玄白 正式参加作品。詳細は http://www.genpaku.org/ を参照のこと。 1999/07/30版、1999/08/16訳更新, 2000年5月2日更新 原文の最新版はhttp://www.catb.org/~esr/writings/cathedral-bazaar/にて各種フォーマットで入手可能。 翻訳の pdf 版はhttps://cruel.org/freeware/cathedral.pdfにある。 翻訳の PostScript 版 (tar+gzip圧縮)はhttps://cruel.org//freeware/cathedral.tgzにある。 第 2 部 「ノウアスフィアの開墾」 (Homesteadi

  • 先崎に学ぶ将棋 : 404 Blog Not Found

    2006年11月13日14:45 カテゴリ書評/画評/品評 先崎に学ぶ将棋 が〜ん。 最強の駒落ち 先崎 学 子供のころに出会っていたら、もっと将棋が好きになっていたのに。 将棋は、楽しむためにある、という当たり前のことを思い出させてくれた。 将棋というと、やはり真っ先に思い浮かぶのは「羽生 善治」なのだが、羽生といわず名人などのタイトルを取った人は、むしろ凄すぎて一般人は将棋そのものよりもその人の人生訓を学ぼうとしてしまう。それはそれで面白くてためになるのだが、むしろ将棋を教わるのは畏れ多いということになってしまい、実際頂上の人が書いた一般向けの将棋というのは以外に少ないようにも思われる。ここでいう「一般」とは、駒の動かし方から解説しているレベルののことである。私がおぼろげに思い出すのは、加藤一二三ぐらいだろうか。 その意味で、先崎学による将棋というのは、素晴らしいの一言。Wiki

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  • 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。 - アンカテ

    自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ これは物だと思う。 「両親へ」という手紙だけ論旨が支離滅裂で、他は筋が通っている。いたずらではこんな細かい芸はできないだろう。 この子は人権を奪われていて、それを回復できないから死ぬと言っているのだ。この子にとって自分の人権は命より大事なものだ。「僕の人権と僕の命とどちらが大切ですか?」と問うているのだ。 それに対して、「人権は後で何とかするから命を大切に」という答は意味がない。 人権とは、自分が言ったことを誰かが聞いてくれて答えてくれることだ。「クラスのみんなへ」「担任の先生へ」「クラスのみんなの保護者へ」「教育委員会へ」という4つの手紙で一貫しているのは、「僕が苦しさを訴えていることに、何らかの応答をしろ」ということだ。彼は、答えを求めている。 ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう(クラス

    人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。 - アンカテ
    maki_lax
    maki_lax 2006/11/14
    本当に可能なことの最後が「とりあえず、生きること」
  • 田口ランディの日記と情報 : 腹に力を入れておくか

  • 旅する読書日記 マンガ名作選

    Amazonマイストア 鈴木先生 3 越境の時 イッツ・オンリー・トーク 沖で待つ 星新一:一〇〇一話をつくった人 表現のための実践ロイヤル英文法 知識の哲学 ロボットの心 猛スピードで母は デカルト―「われ思う」のは誰か これが現象学だ 縷々日記 その名にちなんで 停電の夜に 気分転換にたまに行くのは「ブックオフ」ニューヨーク店。今日の夕方、2階のまんがコーナーで仕入れた柏木ハルコ『花園メリーゴーランド』を寝る前に読んでいたら、なんだか「まんが名作ベストテン」的なリストがつくりたくなってきた。最近毎日読んでいるブログの作者で51歳独身男性超音楽マニアの人が、テーマを決めた編集CD−Rづくりにすべての精力を費やしているのに感化されたこともある。といっても実際に考えてみたら無条件のベストテンなど決められるわけもなく、とりあえず「一定以上

  • 議論も何も - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

    まず、根的な部分を言っておきます。 「経済学」を最も揶揄し、貶めている人々とは、誰あろう「経済学信奉者」たちではないですか?一般の経済学素人などではありませんよ。勿論大衆でもない。学問に対する敬意ですって?敬意を持っていて、どうして彼らのような態度、言説が出てくるというのでしょう。 私は弾さんの気持ちが分るような気がしますよ。思わず訝りたくなる気持ちもね(笑)。 経済学を謳ってる連中が如何にいい加減なことを言って、デマをばら撒いていることか。 彼らが自ら笑いものにしているような「経済学」を、どうやって信頼ができると? 私の考える経済学信奉者たちというのは、学者とか、民間の所謂エコノミストとか、行政・政策に関与する人々とか、大学院生とか、大学生とか、経済学マニア?とか、そういう人々がいると思いますね。常にそういう人々の誰かが「ウソ」を言い、胡散臭いデマをばら撒き、「経済学理論ではこれが当然

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