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ブックマーク / erlkonig.hatenablog.com (4)

  • ライトノベルの形をした「物語」批判 - 大樹連司『勇者と探偵のゲーム』 - 魔王14歳の幸福な電波

    「勇者が巨大侵略UFOを撃退すれば、次の日には防衛法が整備される」「探偵が妊婦連続殺人事件を解決すれば、出生率が上昇する」などなど、社会問題を象徴する「物語」を次々と生成しては現実と直結させる「日問題象徴介入改変装置」。この装置によってライトノベル的な予定調和物語が日常のものとなり、現実と物語に対して冷め切ってしまった人々が暮らす街。といったあたりが、作の骨格となる舞台と心性です。 装置によって生成されるライトノベルの「お約束」が徹底的に揶揄的な態度で語られていくなど、作はきわめてメタライトノベル的な要素が全編に(しかも否定的に)散りばめられています。ただし、作が批判しようとする対象は決して「ライトノベル」に限られるわけではなく、むしろ「物語」の恣意的な性質そのものを糾弾しているように見えました。だから、書を「ライトノベルのお約束批判」と評して話を終えてしまう向きが多いのは、ちょ

    ライトノベルの形をした「物語」批判 - 大樹連司『勇者と探偵のゲーム』 - 魔王14歳の幸福な電波
  • 私たちの文芸には、システマーがいない - 魔王14歳の幸福な電波

    野球プレイヤー/野球システマー 野球にたとえます。 野球のプレイヤーは、野球をします。プレイヤーは「野球のシステム」を熟知しようとし、「野球のシステム」に則ったハイレベルなプレイを目指します。自身の能力を磨くと共に、「野球のシステム」の中でどう動けば良いプレイができるか、を追求します。 野球のプレイヤーは、野球のシステム=ルールをどうこうしようとは、あまり考えません。"優れた野球プレイヤーは、いつもより良いルーリングを提案しようと模索している"というような話は、あまり聞いたことがありません。 「野球のシステム」は、たとえば「公認野球規則」の作成に当たる人たちによって決められます。彼らを野球システマ-と呼ぶことができるでしょう。重なるところはあるでしょうが、野球プレイヤー=野球システマ-ではないと言えます。 文芸プレイヤー/文芸システマー 以上を文芸に当てはめます。 文芸の場合でも、「"……

    私たちの文芸には、システマーがいない - 魔王14歳の幸福な電波
  • 宗教結社【客観教】 - 魔王14歳の幸福な電波

    教義 「絶対的に客観的な事実」としての【絶対客観】は存在する 【主観】的存在である人間が【絶対客観】に到達することは決してできない しかし【理性】によって【絶対客観】に"近づく"ことはできる 【絶対客観】の所在は【理性】的手法によって"推測"することが可能である われわれが【絶対客観】に到達することは不可能だが、われわれ客観教徒は【理性】の力によってなおそれに漸近し続けることを望む 【主観】は【絶対客観】と相反しない 【主観】はわれわれが【絶対客観】を観察するための唯一の窓口であり、尊重せねばならない 【主観】が【主観】であることを否定することこそ、われわれ客観教徒が最も恥ずべき行いである 「馬鹿な……あの技は『純粋理性批判』! 滅びたはずでは!」 みたいな会話が繰り広げられる愉快な宗教結社。 客観教 - フリーシェアワールド - はてなハイク

    宗教結社【客観教】 - 魔王14歳の幸福な電波
  • 奈須きのこvs竜騎士07、人間関係の「断絶」の正反対な描き方 - 魔王14歳の幸福な電波

    空の境界読んだ感想として。Fateとか月姫はよく知りません。 『ひぐらしのなく頃に』と『空の境界』は両作とも人と人との「断絶」を描いているんですけれど、よく見てみるとその断絶の描き方が正反対であることがわかります。あくまで傾向、の話ではありますけれど、その違いを大雑把に箇条書きすると次のような感じになります。 『空の境界』 会話は抽象的で曖昧だが容易に通じ、お互いの言わんとすることはすぐ理解できる 思想のレベルで互いの価値観は相容れず、両者は対立する他ない 『ひぐらしのなく頃に』 会話はなかなか通じず、すれ違いと誤解が重なってなかなかお互いを理解できない 一度相手の心を理解すれば、質的に相容れないところはないことが分かり仲良くできる 空の境界はある種の思想闘争が描かれた作品です。対立する者同士が交わす言葉は抽象的で、日常生活では使われない特殊な「文脈」に沿っています。でもこのやり取りに

    奈須きのこvs竜騎士07、人間関係の「断絶」の正反対な描き方 - 魔王14歳の幸福な電波
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