関塚 隆(せきづか たかし、1960年10月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手、指導者。JFA 公認S級コーチ。現役時代のポジションはフォワード。 来歴[編集] 千葉県立八千代高等学校から1年の浪人期間を経て一般入試で早稲田大学教育学部に進学。当時の早大蹴球部には3学年先輩に原博実がおり、また吉田靖、城福浩らともチームメイトだった。卒業後、日本サッカーリーグ1部に昇格したばかりの本田技研工業(現Honda FC)に進み、チーム隆盛の礎を築いた。自身は1年目の1984年に得点ランキング2位(11得点)となり、新人王とベストイレブンのタイトルを獲得している。翌1985年も10得点の活躍でチーム初のリーグ3位に導いた。ところが、1987年4月6日にせきつい分離症の大手術を余儀なくされ、そのリハビリを含む一年間に及ぶ離脱もあってかチームも低迷した。1991年に現役を引退し、指導者へ