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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (68)

  • 羽入辰郎と市野川容孝 - jun-jun1965の日記

    羽入辰郎の『学問とは何か』(ミネルヴァ書房)という大著は、先の『マックス・ヴェーバーの犯罪』に対する折原浩一派の執拗でかつヴェーバー教に凝り固まった攻撃への反論の書である。実に分厚い。 その中に、論とはとりあえず無関係なエピソードとして、1984年の春、山中湖で起きた、東大のオリエンテーション合宿の際の五人の死亡事件のことが出ている。羽入は埼玉大学を出てからいったん精神科のソーシャル・ワーカーとして働き、東大に再入学していたから、当時31歳になっていた。そしてこの事件の際、救助の陣頭指揮をとったという。 そこに「市川芳孝」という名で、ボートに乗っていながら助かった当時の二年生が出てくる。仮名としてあるが、今では駒場で医療社会学を教えているとあるから、市野川容孝以外ではありえない。市野川は64年生まれである。この事件当時、私は英文科の三年生になったところだった。 酒に酔って深夜、ボートで、

    羽入辰郎と市野川容孝 - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2013/05/05
    "1984年の春、山中湖で起きた、東大のオリエンテーション合宿の際の五人の死亡事件"
  • 指揮者に哲学など要らない - jun-jun1965の日記

    『新潮45』の一月号に、八田利一という人による小澤征爾批判が載っていたのを読んだ。この八田利一という名は、国会図書館で検索すると一冊カメラのがあるが、これは「としかず」と読む別人らしく、「りいち」のほうは『新潮45』で年一回くらい、クラシックの演奏家批判を書いていて、石井宏の変名、というのが定説らしい。「ハッタリ」という洒落か。 さて私は、小澤については、特段の感想もない。というか、クラシック音楽の演奏家に対して、一般的に関心がない。あれは、他人が作ったものを再現しているだけだからだ。落語の場合、自分で演目に工夫を加える落語家も多いし、うまい下手はある。歌舞伎の場合、新作以外は型というものがあるが、役者の柄とか見た目というのがある。楽器演奏家であれば、やはりうまい下手、好き好きはあるし、グレン・グールドのように独自の演奏をする人もいれば、見た目の美しい女性演奏家というのもいる。 しかし指

    指揮者に哲学など要らない - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2010/12/23
    "クラシック音楽の演奏家に対して、一般的に関心がない。あれは、他人が作ったものを再現しているだけだからだ"あほ。
  • 何を騒ぐか - jun-jun1965の日記

    戸籍上二百歳だの何だのと、何を騒いでいるのかと思う。これは『中央公論』の松原隆一郎が正しいので、年金の不正受給だけが問題であり、死亡を行政が把握していないというのは、リベラリストにとってはいいことではないか。まあ新聞を読んでいないから今どういう論議を誰がしているのかは知らないが、「国民総背番号制」に反対してきた人たちは、今こそ、把握していないのはよいことであると声を揃えるべきであろう。 - 英国でも米国でもドイツでもオーストラリアでも、40代が指導者になる時代に、三役が50代だと言って若いと思っている自民党ってバカ? - 『比較文學研究』の最新号が届いた。西原大輔氏が、私の『谷崎潤一郎伝』と『里見紝伝』の書評をしてくれている。前に、谷崎伝のほうを誰かが書くと聞いていたのだが、載らないからもう載らないのかと思っていたので、ありがたい。 さて全体については措くとして、西原氏は、谷崎伝は面白かっ

    何を騒ぐか - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2010/09/16
    "「国民総背番号制」に反対してきた人たちは、今こそ、把握していないのはよいことであると声を揃えるべきであろう"んむ。筋が通っている。
  • インターナショナル - jun-jun1965の日記

    私が『バカのための読書術』で、岩井克人の『貨幣論』に、『資論』の冒頭部分は多くの人が暗記している、と書いてあったのを、そんな人どこにいるのだ、と書いた時のことである。高橋源一郎氏と対談したら、そこについて、1968年頃はみな暗記していたんですよと教えられて、あとで追記した。 それと似たようなことがもう一つあって、1980年頃、高校生だった私は音楽に関心があり、といってももちろんクラシックなのだが、前田憲男の『作曲入門』というを買ってきて読んでいた。すると、「インターナショナル」の歌とかいうのの冒頭部が引かれていて、「ご存知!」と書いてあった。私は、おいご存知じゃないよ知らないよと思ったが、このは1972年の刊行だった。そして、私がその「インターナショナル」という歌を初めて聴いたのは、恐らく二千年以降のことだった。大島渚の『日の夜と霧』の中で歌われたのを聴いた時で、それはまったく、未

    インターナショナル - jun-jun1965の日記
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    mobanama 2010/08/16
    あるある。
  • 狂人の相手をしてもなあ・・・。 - jun-jun1965の日記

    中村うさぎの『狂人失格』を、書評用に読んだのだが、まあ正直言って、狂人の相手をしてもなあ、というところである。 うさぎさん、相変わらず計算しているなー、という印象である。自分がさほどダメージを受けない相手を選んでいる。せいぜい、角川書店から顰蹙をかい、時々変なメールが送りつけられてくる程度の迷惑しかこうむってはいない。うさぎさんは、はなからそういう相手だと見当をつけて選んだのである。 この種の人格障害の女は、私は軽いのから重いのまで五、六人は知っている。どうも、大阪ー京都へんに多いらしい。作家を目指していると言いつつ、実際にはエッセイとしてすらどうかという程度のものしか書けない女とか、ちょっと芸能界にいたとか言いつつ何のことはない当にちょっとで、それを名刺に刷り込んでいる女とか。 優花ひらりこと渚×帆こと××愛は、恐らく統合失調症で、境界性人格障害ではない。もしそうなら、うさぎさんにもっ

    狂人の相手をしてもなあ・・・。 - jun-jun1965の日記
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    mobanama 2010/02/11
    あんたが言うなと思ったが相手を見て一応納得。//知ってる韓国人の人は大概ひっくり返してたな。名刺交換時にお互い誤解しまくってたw。漢字で書いたらまだなんとなくわかるのに。
  • 貧農史観の見直しの見直し - jun-jun1965の日記

    呉智英さんも書いていたが、徳川時代の米穀生産高と武士の人口の少なさを根拠に、農民は十分米をべていたという話。これはよく考えると、都市部の町人に行った分とか、豪農層が蓄えた分とかを計算していないから変なので、それに何より変なのは、もしそんな単純計算でことが済むなら、もっと農業技術が発達した明治以降、うに困る人間などいるはずがない、ということになってしまう。それは資制が始まったからだと言うかもしれないが、その資制が既に徳川時代に始まっていたわけだから。 - 「蜘蛛の糸」の原典については、1963年山口静一がケーラス『カルマ』を指摘し、68年に片野達郎が鈴木大拙訳からであると指摘、70年安田保雄が神代種亮の文章により実証した(上條杏美の『長野国文』の論文による)。

    貧農史観の見直しの見直し - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2010/01/26
    農民85%、武士7%、商人5%という話があるそうだが。もしそうなら、町人に行くファクターってそんなに大きくないってことない?備蓄しても放出されるんだから、酒とか加工原料に回った分を評価しないと批判無理じゃね?
  • 鴻巣友季子の日本語と原爆ファシズム - jun-jun1965の日記

    西部邁先生が東大を辞めたあと、学生らを集めて喫茶店で経緯説明みたいなのをしたのは前に書いたと思うが、結局西部先生を怒らせてしまって、その時「あんまり老人をからかうもんじゃない」と言って怒ったのだがあの時先生はまだ48歳だった。 - 「死んだ人は反論できないのだから悪く言うな」というのは田中純先生も言っていたがおかしな話で、この世には死んだ人のほうが多いわけで、じゃあシェイクスピアやホメロスや夏目漱石や大岡昇平も死んでいるから批判しちゃいけないのかね。 こういうことは何度も言っているのだが、麻生建にせよ平井正穂にせよ、当時は歴然たる国家公務員であり、その学生指導や人事は田中角栄なんか問題じゃない歴然たる職務権限による国家の一部による行為であって、厳しい視線にさらされるのは当然のことである。その自覚のないやつが多くて困る。 - さてそこで鴻巣友季子の日語を批評する羽目になったわけで、私は特に

    鴻巣友季子の日本語と原爆ファシズム - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2010/01/26
    "こうの史代『夕凪の町 桜の国』""下手すぎ。これが礼賛されてしまうのはまさに「原爆ファシズム」だね"絵?物語?もう少し具体的なところを聞いてみたい。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    トラックバックをたどったらこんな日記を見つけた。その人の父親は子供が生まれたとたん煙草をやめ、ヘヴィースモーカーである祖父つまりその父の父に、孫の前で吸うなと厳重に言い渡したというのだが、その人自身もそれをよしとしているらしい。 しかしそれならその祖父は父つまり子供の前で吸っていたことになるが、それでその父には何か悪影響があったのか。20世紀には子供の前で吸う父親などたくさんいたが、それが悪影響を与えたというデータを見たことがない。私は、子供の前で煙草を吸うのが悪いとは、ちっとも思っていない。 - http://homepage1.nifty.com/suzuri/hypatia.htm キングズリーの『ハイペシア』を訳している人がいた。これは大正時代の翻訳があるのだが古いから私が訳そうかと思っていたものだ。英語読みでハイペシア。森田草平の『煤煙』にこの小説の題が出てくる。谷崎潤一郎も英語

    ■ - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2010/01/05
    "20世紀には子供の前で吸う父親などたくさんいたが、それが悪影響を与えたというデータを見たことがない"データがないと言わないだけ正直だね。見ようともしたことがないんだろうね。//頭が悪い。
  • ミラーマン対シルバー仮面 - jun-jun1965の日記

    最近、『シルバー仮面』のDVDを観ている。私の世代の男子の多くは、ミラーマンとシルバー仮面という、日曜七時という同じ時間帯に放送されたうち、『ミラーマン』を選んだだろう。1971年1月に『宇宙猿人ゴリ』が始まって以来の第二次怪獣ブームは、一年をへずして、二作の競合という事態を生み、翌年四月には『ウルトラマンA』の裏番組に『変身忍者嵐』をやるという状況を招く。この場合ももちろん私は大多数と同じように『A』を観たわけだが、たぶんテレビ局的に、裏へぶつけろといった命令が下るのだろうが、観る側からすると迷惑である。何しろビデオもない当時で、テレビは一家に一台が普通だった。もう、どっちかを選ばなければならないのである。 あとになって「シルバー」は再放送で観たが、今回きちんと観てみて、渋いし、大人の鑑賞に堪えるドラマが、佐々木守、市川森一、上原正三らによって作られていると感じはしたが、わずか11話で「

    ミラーマン対シルバー仮面 - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/09/04
    "私の世代の男子の多くは、ミラーマンとシルバー仮面という、日曜七時という同じ時間帯に放送されたうち"田舎じゃそういうことは起きないんだよ!ムキー。//"私なら『1971』を書くね"書いて。是非。
  • 雉も鳴かずば - jun-jun1965の日記

    『週刊朝日』と『文學界』の連載のおかげで、東浩紀ってのはアニメとゲーム以外に碌な教養がないということが分かってきた。今月の『文學界』なんて、まるで修士課程の院生のレポートだ。「アウシュヴィッツのあとで詩を語るのは野蛮である」なんて、性格の悪いアドルノの思いつきでしかないだろう。『啓蒙の弁証法』なんてのもインチキで、いくら教育したってバカはバカってことでしかない。 だいたいヘーゲルからして出鱈目なんだからね。東の文章を見ていると、ああ留学したことがない奴だなというのがよく分かる。「スタンフォード日センター」って別にスタンフォードにあるわけじゃなくて京都にある。 - これも東が言いだしたのじゃないかと思うが、「顕名」ってまあもとは法律用語を「匿名」とは違うものとして言うのだが、そりゃ十分に匿名の一種である。 筆名というのもあるが、じゃあ「狐」が筆名だと主張したら? 「東川端三丁目」なんてすで

    雉も鳴かずば - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/08/08
    "どこかに「誰がこまどり殺したの」とあるのを見つけて"どこかってポーの一族とか?だったら一応間違いじゃないわなw。直接参照しているのはそこだし。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    先日、テレビの取材が来た。なんか恋愛について意見を聞きたいというので、ビデオを持ってのV取材で、昼ごろ自宅に、初老のディレクターとカメラマンと二人で来た。 台所にカメラを据えて、私がタバコを吸いながら話していると、ディレクター氏、「それじゃあ、一服してから」と言う。「何言ってんですか、私が喫煙してない映像なんか撮らせるわけないでしょう」とまでは言わなかったが、「ダメですよ、私は吸いながらでないと話せないんですから」と言った。ディレクター氏、「いやあ最近はタバコはうるさくて」と言う。カメラマンも「僕も吸うんですが、肩身が狭くて」と言う。そんなこと私には関係ないのだ。私が渡した名刺は、最近作ったもので、「禁煙ファシズムと戦う会代表」と書いてある。 それでそのまま撮影が始まったのだが、ディレクター氏、私が、非喫煙映像を拒否した時点から挙動不審で、「今の話を、こうまとめて下さいませんか」と二、三度

    ■ - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/06/15
    映像なら煙たくないから構わない。隔離されたプライベートスペースにいるのなら好きに吸えばよいし、その映像だけで文句をつけようとは思わない。(ただし撮影スタッフ等にパワハラ受動喫煙被害が生じない限り。)
  • 無灯火自転車が多い - jun-jun1965の日記

    最近、無灯火自転車が多く、怒りを覚える。 しかし、怖そうなお兄さんとかおじさんだと、下手に注意をすると怖いから、それ以外のやつに注意しているが、何せ無灯火自転車なので、遠くからだと分からない。近寄って、怒っても安全な相手だと確認してから「あかりをつけろ」と言う。我ながら情けない。怖い外見がほしい。 - Wikipediaの私の項目で、村上春樹が「性を美学化」していると批判している、と書いてあるようだが、そういう変な言い方はしていない。簡単にセックスできるような書き方を批判したはずだ。直すように。 - 笠間書院のウェブサイトで、藪禎子先生が亡くなったことを知った。『たけくらべ』論争の時に山田有策が、そんな論争は存在しないかのような態度を繰り返しとったので藪先生は怒っておられた。あれは私も、山田の底知れぬぶきみさを感じたね。

    無灯火自転車が多い - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/06/06
    まあ確かに多いな。//"怖そうなお兄さんとかおじさんだと、下手に注意をすると怖い"ね、わかるでしょ?
  • ■ - jun-jun1965の日記

    芳賀・平川時代に「トンデモ修論」がいくつかあった、と書いたが、その一つは私のである。あれは創造的誤読評論だが、学術論文ではない。 ただ、そういう、無理やり関係ないものを比較したみたいなのとは別の意味でのトンデモ論文が、五年くらい前に出たことがあった。 合評会で私が評者になったので、読んでぎょっとした。エマソンが「詩人」と対比して「sensual man」と書いているのを、北村透谷が「俗人」と訳している。なぜ透谷は俗人と訳したのか、が論じられているのだ。 「sensual man」は「俗人」である。それで古い『エマソン選集』が、当時まだあった教養学科図書室にあったので見てみたら、斎藤光が「官能的な人」と訳していた。この斎藤光というのは性科学者の人じゃなくて、英文学界の重鎮で孫に殺された斎藤勇の長男で東大教養学部教授だったが、著書も『エマソン』一冊しかないし、よほどのダメ学者、親の七光り学者だ

    ■ - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/05/13
    CTでも有意差をもってCT検診群が高いとする報告はないみたいだし、胸部X線でもそっち方向のは古くて問題点が指摘されているデータ。ほんと都合の良いとこどりがお好きな方で(嘲)
  • ■ - jun-jun1965の日記

    営・大政翼賛会的マスコミが「喫い逃げ続出」などと報道しているが、路上喫煙の課金なんて憲法違反なんだから、払う必要はない。 悔しかったら俺をつかまえてみろ。名刺を渡すから、取立ての裁判でも起こしてみるがいい。まあもっともこのニュースは、憲法がちゃんと守られているということを示すものだ。だって「罰金」じゃないから、取り立てられないのだから。 - 最近、人から来るメールに「世間はWBCで」などと書いてあるのだが、このWBCというのが分からん。どうやら野球の話らしいのだが、私もも野球嫌いなので、調べる気にもならず「何だろうねえ」と言っている。四方田犬彦も野球嫌いらしく、昔「野球が嫌いな人間だっているんだ」と書いていて、これは蓮實先生への挑戦状だな、と思ったものだ。 「私小説」について、こういう文章もあった。 http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/pocket/20

    ■ - jun-jun1965の日記
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    mobanama 2009/04/16
    もっとやれ。どんどん自分の首を絞めるが良いや。
  • 査読を信用しない - jun-jun1965の日記

    http://sociology.jugem.jp/?eid=277 確かに社会学にはそういう傾向があるのかもしれないが、少なくとも私は査読者って信用していないんだよね。 たとえば私のこの論文は、結果として明治大学の紀要に載せたんだが、 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050814 田中貴子さんがよく寄稿している日文学協会の『日文学』に投稿して没になった。短すぎるから、というなら仕方ないと思いつつ、没の理由を聞かせてくれと言ったら、もちろん無記名の返事が来て、 「『源語提要』の著者が五井蘭洲であることは、伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』に暗に示されているから」というのだよ。なんで「暗に」示すのか。明に示せばいいではないか。私はそれで日文協を脱退して、「まじめにやれ」という手紙を書いておいた。田中貴子の「安徳天皇女性説について」なんて、エッ

    査読を信用しない - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/04/02
    何を言おうが査読自体を信用しないなどと、科学の方法論から逃げ出した時点で説得力全然ないよ。おかしな査読を喰らうことくらい普通にあるでしょ。査読に文句をつけるか、さもなくば粛々と投稿先を変えるのみ。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    私はWHOや厚生労働省が出しているという「受動喫煙」の害に関するデータというのを信用していない。これは、別に私が信じたくないからではなくて、私だって「害は確かだが現在の規制は過剰だ」と言ってしまえばよほど楽だと思うくらいだ。だが、学者としての良心がそれを許さない。 なぜか。 さる地方の医師が送ってくれた『統計学を拓いた異才たち』(サルツブルグ、日経済新聞社)に「喫煙はがんの原因か」という章がある。その中に、バートランド・ラッセルが記号論理学を整える過程で「原因と結果」というものだけがどうしても記号論理学で表現することができなかった、とある。「原因と結果というものは存在しない。それは通俗的な妄想であり、純粋理性の攻撃に耐えられないあいまいな概念なのである。それは矛盾したアイディアにおいて相互に一致しないものを含んでおり、科学的言説においては、ほとんど、もしくはまったく価値を持っていないので

    ■ - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2009/02/20
    "別に疫学でなくて人文学の分野でも、たった一人の権力者の説を覆すのに何十年もかかるとか"ばーか。
  • 国民の権利 - jun-jun1965の日記

    国会図書館が、著作権が生きている著作のコピーを半分までしか許さないのはよく知られている。しかし、よほどのバカでない限り、国会図書館で全部複写しようとするのは、普通では手に入らない著作物なので、全部複写しても著作権者に損害は与えない。もし現在流通しているを全部複写したら、国会図書館の料金では、買うより高くつく。また地域図書館を通じて借り出せば複写できる。だから原理的にも現実的にも無意味な規定である。著作権法を改正すべきである。 さて、以前私は、国会図書館で、あるパンフレットの後半部を複写しようとした。館員は、「これは前に前半を複写しましたか」と訊いてきた。私は、「その質問に答える義務があると法令に定めてありますか」と問うた。館員は、ないです、と答えた。 国会図書館員は国家公務員であるから、憲法に従う義務があり、国民は国家公務員から、法令に定められていない質問を受けても答えない権利がある。宮

    国民の権利 - jun-jun1965の日記
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    mobanama 2009/01/28
    "「その質問に答える義務があると法令に定めてありますか」"いつもの猫猫節のイケズっぷりは鼻につくが、これ自体は同意したい。
  • 博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) (追記:言語学や心理学は理系だから博士号はあったほうがよい) (小谷野敦) (追記:不断見ていないブックマークを見たら、 「Britty 研究 うーん場合によりけりですよね。どこに就職するかにもよるし。旧帝大はいちおう教授はみんな博士号もっている状態ではないかなあ。。」というのがあったが、持ってない人が東大でもたくさんいることは前に示した通りである。

    博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2008/11/29
    ⇒"大学への就職というのは、あまり業績があり過ぎると妬まれて不利になるから、なるべく少なめにしておくというのが、学者の処世術だ"万が一(猫猫の信頼度相当)真実であれば私の知っている分野とは別世界だな。
  • 「皇太子」は呼び捨てか - jun-jun1965の日記

    石原慎太郎が皇太子を呼び捨てにしたというから、「徳仁」とか「ナルちゃん」とか言ったのかと思ったら、「皇太子が」って言っただけだという。それは「呼び捨て」ではないよ。 だいたい「陛下」だの「殿下」だのというのは明治より前には使われなかった言葉である。天皇のことは「ミカド」と言っていたし、皇太子なら春宮(東宮)だが、『日国語大辞典』で「東宮」を引いたって、誰も「東宮さま」だの「東宮殿下」なんて言っていない。「東宮」だけである。「今上」だって、それだけで尊称なのだ。 まあ皇太子というのは官製用語で、たとえば今の皇太子が天皇になったら秋篠宮は「皇太弟」になるわけだが、どうするのかね。いっそのこと、伝統に則って「東宮」呼称を復活させたらいかがでしょうか。それなら「東宮」でいいわけだし。一切合財プロイセンあたりの流儀に則って天皇制を近代化してしまった連中が、伝統がどうのこうの言うのは実にかたわら痛い

    「皇太子」は呼び捨てか - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2008/09/30
    『石原慎太郎が皇太子を呼び捨てにしたというから、「徳仁」とか「ナルちゃん」とか言ったのかと思ったら、「皇太子が」って言っただけだという』
  • 三年前、国会図書館で - jun-jun1965の日記

    2月最終日、国会図書館に行った。そこで妙な光景にでくわした。 6階に堂がある。券を買う。カウンターに並んだら、隣にいた五十年配の男、突然、自分の焼き魚定職の魚の皿を突き出して「くせえくせえ! 代えてくれ!」と叫んだのである。おばさんが「はい、あの、これ、粕漬けなんですけど」と言う。確かに粕漬けである。そして臭いといえば臭い。しかし粕漬けとして普通に臭い程度に臭いだけである。が、おっさん、聞かばこそ、「くせえんだよ! 代えてくれ」と言う。おばさん、あら、とか言って相談している。しかしおいそれと別の魚が出るわけはない。男、「腐った魚でも出してんじゃねえか」と何か非常に苛立っており、「もういい! 伝票くれ伝票」と、券代わりのレシートをもぎとると去っていった。 あれで払い戻しでもしたのであろうか。 国会図書館というのは、どうも苛立つ場所である。出入りにゲートを通るから、閉塞感があるのは確かで

    三年前、国会図書館で - jun-jun1965の日記
    mobanama
    mobanama 2008/09/22
    いいから車と同レベルの対策をまずしてこいよ。