元JKT48でインドネシアを拠点に活動する仲川遥香(33)が、10日にインスタグラムを更新し「Hi 33」と投稿。33歳を迎えたことを報告した。 【動画】ジャカルタ時代の苦悩を語る”はるごん”こと仲川遥香 自身の誕生日である2月10日に、ロングの黒髪にデコルテと背中の開いたブラックワンピース、印象的な赤いリップという大人っぽい姿を披露した。日本やインドネシアを中心にした世界各国のファンや仲間たちから「おめでとう!」「今も変わらぬ美しさ」など、祝福の声が届いていた。

スヘミさんは、インドネシアの首都ジャカルタで、小さな食堂を営んでいる。今、この食堂を海から隔てているのは、狭い未舗装道路と高さ2メートルの防波壁だけだ。スヘミさんの家族の運命は、この壁に委ねられている。 ここ北ジャカルタのムアラバル地区で育ったスヘミさんは、昔は家の前の砂浜でよく遊んでいたという。しかし2000年代に入ると、砂浜は消え去り、海水が頻繁に街なかまで押し寄せるようになった。 2002年、政府は海岸沿いに壁を建設した。沈下を続ける土地と、上昇を続ける海面に対する住民の不安をやわらげ、時間をかせぐためだ。しかしわずか5年後の2007年、近代ジャカルタ史上最悪の洪水が発生。暴風雨と集中豪雨が引き起こした洪水は、市内各地で80人の命を奪い、何億ドルもの被害をもたらした。ムアラバル地区でも暴風雨が壁を破壊し、海水がスヘミさんの家に流れ込んだ。
インドネシアの国会は、首都を現在のジャカルタから国内の別の場所に移転させ、新たな首都の名前を「ヌサンタラ」とする法案を18日可決し、インドネシア政府は、移転先となる土地を開拓して、首都機能の移転を本格化させる見通しとなりました。 インドネシアのジャワ島にある首都ジャカルタは人口の過密化や交通渋滞などが深刻な課題となっていて、インドネシア政府は2019年に首都を国のほぼ中央に位置するカリマンタン島の東部に移転させる計画を公表していました。 これを受けて、インドネシア政府は、去年9月、首都の移転に必要な法案を国会に提出し、審議が行われた結果、18日賛成多数で可決され、新しい首都の名前もインドネシア語で「群島」を意味する「ヌサンタラ」となることが決まりました。 これによりインドネシア政府は今後、移転先となる25万ヘクタール余りの森林などの土地を開拓して、2024年から順次、首都機能の移転を本格化
インドネシア政府は、ジャカルタにある首都機能をジャワ島の外に移すと閣議決定しました。今後、場所や経費について基本計画を作成し、10年ほどかけて移転させるとしています。 こうした中、インドネシア政府は29日、ジャカルタの首都機能を移転させることを閣議決定し、今後、移転先の選定や経費調達についての基本計画を作成し、10年ほどかけて移転させるとしています。また、移転に必要な資金について民間からの投資も活用し、政府の負担を抑えたいとしています。 政府は、移転先の候補として、ジャカルタやスラバヤなどの大都市が集中するジャワ島以外を選ぶとする一方、ジャカルタには中央銀行や経済関係の一部の政府機関を残すとしています。 ただ、移転の実現には議会の承認が必要で、日本を含めた外国の企業がジャカルタに拠点を置く中で、首都機能の移転が経済活動にどのような影響を及ぼすのかを見極める必要があります。 インドネシアでは
国旗掲揚のトラブルで急きょ手持ちでの掲揚となった競泳の表彰式=ジャカルタで2018年8月19日、宮間俊樹撮影 【ジャカルタ倉沢仁志】18日に開幕したジャカルタ・アジア大会で大会運営上のトラブルが相次いでいる。競技の進行が遅れることも多く、日本選手団も「何が起こるか分からない」と受け止め、柔軟に対応している。 日本勢が競技初日から金メダルを獲得した競泳会場。男子200メートル自由形決勝は2016年リオデジャネイロ五輪金メダルの孫楊(中国)が優勝、松元克央(セントラルスポーツ)が2位だった。表彰式で、孫楊が国歌を歌っていると、金属製の高さ約5メートルの支柱に掲揚されていた中国と日本の国旗が落下した。スタンドからは悲鳴や怒号が飛び交い、孫楊は競技役員にやり直しをアピール。再び国歌が流れたときは競技運営側が国旗を手で持ってしのぎ、その後支柱は交換された。 同じ日の女子400メートルリレーで日本選手
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