自民党の麻生太郎副総裁は26日、反撃能力保有を含む安全保障関連3文書への対応を巡り、公明党幹部を「がんだった」と批判した自身の発言について「山口那津男代表らが問題だったという意図だ」と説明した。共同通信の取材に答えた。
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「ビューティフル・ハーモニー」と、総理が言った自公連立政権。 10月5日でもう20年になる。 そもそも主張が違う両党がなぜ一緒に歩むことになったのか。 そして今後の憲法改正にはどう向き合うのか。 今回、公明党担当として公明側から改めて見つめた。 (清水阿喜子) 密会 自公連立を語る上で、見逃せないこんなエピソードがある。 時は1997年の6月。 公明党の草創期を支えた1人、正木良明の葬儀が大阪で執り行われた。 参列者の1人に、後に公明党の代表となる神崎武法がいた。 葬儀からの帰り際、その神崎に声をかけた人物がいた。 「よい機会だから、話をしようや」 自民党の元総理大臣、竹下登。言わずと知れた重鎮中の重鎮である。 場所は大阪駅のVIPルーム。 そのころ、竹下が率いていた自民党最大の派閥「経世会」は分裂。一時、非自民の政権が誕生するなど、政界は大いに揺れていた。 「これから自民党と別の保守の政
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