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しみじみに関するmojimojiのブックマーク (3)

  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
  • ことばをひろう - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    I(錦)オモニと、N中さんと三人で、交換日記を始めてから、二週間の間に、Iオモニ、私、N中さんの順番で、ノートが一巡しました。今は、Iオモニのお手元に、ノートが戻ってきています。今日、Iオモニにお会いしたとき、また、なにか書いてもってきてくださるか、すこしドキドキしています。  Iオモニと交換日記をしようと思ったきっかけは、watasiwaの「わ」と「は」の音の書き分けが、わかるようになってもらえたらなあ、ということだったということは、少しまえに書きました。Iオモニが、「うまれて、はじめて、文章をかきました」と、ほおをちょっぴり赤くしながら、おっしゃられた文章を、わたしも、ドギマギして、ほっぺを赤くしながら、読ませていただきました。そんな、Iオモニのラブレターのような文章は、とてもとても、上手にかけていて、文章からも、Iオモニの優しさが伝わってくる、そんな、すてきな文章でした。「わ」と「は

    mojimoji
    mojimoji 2008/11/14
    汎用性のためには規範性が不可避ではあるけど、規範性の中に権力性が不可避に伴うことを忘れずにいたい。
  • あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー

    わたしは、知的障害者の施設で しごとを しています。きのうは当直でした。2時間くらいは ねむりました。けれども、ずっとずっと かんがえごとを していました。決着が ついたのか。結論は でたのか。なにも わかりません。 わたしは ゴフマンの『アサイラム』を まだ よんでいません。ゴフマンは、精神病院を フィールドワークしました。そして、「トータル・インスティテューション(全制的施設)」という用語を 提示しています。 山田富秋(やまだ・とみあき)「障害学から見た精神障害―精神障害の社会学」『障害学への招待』285-311ページ。 ここでは、うえの論文を 参照します。まず、『アサイラム』というについて。 社会学者ゴッフマンの先駆的研究である『アサイラム』は、1950年代の終わりにアメリカの大規模精神病院を一年間にわたって参与観察した調査結果をもとに、精神病院も含めた「全制的施設(トータル・イン

    あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー
    mojimoji
    mojimoji 2008/11/05
    今の世の中、矛盾を感じないでできる仕事なんてそうないと思う。でも、やらないわけにもいかない仕事をやりながらも、小さくても可能性を開くような仕事もコッソリしこんでいったり。絶望はしない。共に生きよう。
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