具体的にやってみると、読む人にとって相当めんどくさいことになっているのに、ブログをわざわざ二つに分けたのは、この文章を書くことについての自分の中での躊躇と葛藤が、すごく強かったから。いまこの瞬間も書かない方がいいかな、という気持ちがかなり強い。でも書きたい、、読んでもらいたいという気持ちもすごく強い。あっちのプロジェクトを進めている「私」とこの文章を書いている「私」が同じ人だけど別の人。みたいな感じにならないか。 なんで、そんなこと考えたか。というと。 脱原発を、政治的な対立課題にせずに進められないか。そう思った理由は、初めのブログで書いたとおり、まずは実効性の問題。政治対立になると、ことはなかなか進まない。そして、推進しようとする方は、なかなかしたたかでしぶといので、若者や市民運動やが「盛り上がって、勝てそうな気分」になっても、政治的現実はなかなかそうは進まない。だから、大企業も、保守的