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2024年5月28日のブックマーク (3件)

  • 「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編) | 47NEWS

    太平洋戦争で親やきょうだいを失った「戦争孤児」で、戸籍がないまま79年間を生き抜いた人がいるらしい。わずかな情報から、その無戸籍の戦争孤児「Aさん」を探し始めた私は、首都圏のある河川敷で「ダイスケ」と名乗るホームレスの高齢男性に出会った。 ブルーシートや段ボールで作った「家」は橋の下にあり、1945年の東京大空襲で親を失い、4歳で孤児になった。戸籍もないと言う。探し続けたAさんと条件が一致する。 取材は約1年に及んだ。戦後80年をどう生きたのかを知りたくて、口が重い彼を何度も訪ね、対話を重ねた。訥々と語られたその半生は、社会の底辺から見た日の戦後史だった。(共同通信=森清太朗) ※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」をお聞きください。 ▽「83歳、家族は空襲で焼け死に、上野で浮浪児になった」 2023年8月初旬、河川敷には強い日差しが照りつけていた。ダイスケさんに名刺

    「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編) | 47NEWS
  • 家康家臣の立場で秀吉を叱り飛ばし、利根川の流れも変えた!? 埼玉県伊奈町の由来になった武将とは…<インフラ工事の神>が残した偉業の数々 どんマイナー武将伝説|教養|婦人公論.jp

    大河ドラマ『どうする家康』『麒麟がくる』などには著名な戦国武将が登場します。しかしその裏に、もっと注目されてもいい<どんマイナー>なご当地武将が多く存在する!と話すのが「れきしクン」こと歴史ナビゲーター・長谷川ヨシテルさん。長谷川さんがそんな彼らの生涯をまとめた著書『どんマイナー武将伝説』のなかから、今回は「インフラ工事のレジェンド・伊奈忠次」を紹介します。 徳川家家臣に至るまでの波瀾の前半生 どの時代も人々が恐れるもの、その一つに水害があります。そのため、河川の工事によって庶民の生活に多大なる貢献をしたお方というのは、その地域で“神様”として尊敬されていることがよくあります。 有名なところだと、「信玄堤」と呼ばれる堤防の基礎を築いたとされる武田信玄は、山梨県民にとって神様そのものです。 そんな神的な人物が関東にもいまして、それがインフラ工事のレジェンド武将・伊奈忠次です! 私は埼玉県出身

    家康家臣の立場で秀吉を叱り飛ばし、利根川の流れも変えた!? 埼玉県伊奈町の由来になった武将とは…<インフラ工事の神>が残した偉業の数々 どんマイナー武将伝説|教養|婦人公論.jp
  • 宝暦治水事件 - Wikipedia

    大榑川洗堰跡 宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん、ほうりゃくちすいじけん)は、江戸幕府によって行われた木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業、いわゆる宝暦治水の過程で、薩摩藩士51名が自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害したとされる事件。 宝暦治水は宝暦4年(1754年)2月から宝暦5年(1755年)5月まで行われた。実際の工事に当たっては薩摩藩などが御手伝普請として、人足・資金の負担を行い、多くの犠牲者を出した。濃尾平野の治水対策のため木曽川、長良川、揖斐川を分流する工事であり、三川分流治水ともいう。 明治時代中期からの顕彰活動によって薩摩藩士が治水事業で自害した「薩摩義士」であるという評価が広まったが、2000年代頃からは宝暦治水の自体の評価や藩士や平田の自害を再検討する研究も行われている。 背景[編集] 木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を

    宝暦治水事件 - Wikipedia