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  • 手の汚しかたを考える - レジデント初期研修用資料

    何らかの望ましい習慣に、確実な履行を期待しようと思ったならば、それを行ったことによる報酬よりも、それを行わなかったことによる不利益が明らかになる仕組みを作るとうまくいく。 手洗いは大事 病院において、手を洗う習慣は、とても大切なものであるとされる。手洗いは来、当然のように「必ず行われるべき」習慣なのだけれど、当然なされるべき何かが、「面倒くさいから」なされないことはよくある。 以前に読んだ、チェックリストの効用を説くにおいても、手洗いを病院スタッフに励行してもらうためにチェックリストを活用する事例が取り上げられていた。感染症に対する考えかたの進んだ米国においても、手洗いを徹底させるためにそうした工夫が必要だったということは、逆に言えばたぶん、手を洗わないといけない状況で、つい手を洗わずに次のステップに進んでしまう人が、やはりそれだけ多かったということなのだと思う。 手を洗うことによる効

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    mori99 2012/02/04
  • 熱心な人は恐ろしい - レジデント初期研修用資料

    それが敵であっても味方であっても、正義や熱意で動く人というのは恐ろしい。 損得勘定で動く人なら、立ち位置が異なっても会話はできるし、お互いの行動はある程度読めるけれど、正義や熱意で動く人はまず真っ先に損得勘定を除外するから、何が出てくるのか分からない。 有能な敵は頼りになる 「有能な敵」は、状況によっては味方よりも頼りになる。「無能な味方」は、もしかしたら真っ先に背中を刺しに来る。 嗄幼くてはいけない相手だからこそ、抜け目のない敵は相手をよく観察している。観察した相手だからこそ話は通じて、立場は異なっても、ゆがみのない会話ができる。味方を自認する人は、味方であることにしばしば安住してしまう。観察を怠った人は、「あいつならたぶんこうだろう」という予測が外れると怒り出す。味方であったはずなのに。 当直時間帯における頼るべき「有能な敵」は、「見逃すと翌朝までに患者さんが亡くなりうる疾患」のリスト

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    mori99 2011/09/29
  • 三輪車の達人 - レジデント初期研修用資料

    物事には暫定的な解決方法と、根的な解決方法とがあって、暫定的なやりかたは、すぐに結果が出るけれど、それに熟達することが、ならば根的な解決に熟達することにつながるのかどうか、暫定的なやりかたを学ぶ差異には、それをよく考えないといけない。 自転車に比べれば、三輪車に熟達することは簡単かもしれないけれど、三輪車の達人になったところで自転車に乗れるようにならないし、どこか遠くに出かけようと思ったならば、やはり自転車が使えるようにならないと意味がない。 点線書きの昔 大昔、解剖実習の骨スケッチが壊滅的に下手だった。鉛筆で線書きを試みて、どうしても線がまっすぐ引けなくて、手が震えて、なんだかおかしな形になってしまった。 上手に描けなかったとき、「望む線がうまく引けないのなら、まずは点線で線を引いて、あとからそれをなぞるようにしてみなさい」と習った。スケッチブックは大きくて、素人が一気に線を引こうと

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    mori99 2011/05/21
    勘違い者を扱う対人コミュニケーション技術は、広く人生全般に応用が効く基礎技術のような気がするので、このエントリーで言いたいことにたいする例としてはよくないのでは?
  • 悪い奴らは来なかった - レジデント初期研修用資料

    病棟で3年過ごした昔、上司の書いた処方箋を見て、「こうすればもっといいのに」なんて批評家気取りができるようになった頃、島に飛ばされた。邪魔な上司の指示が入らない、「こうすれば」を自分の責任で行える機会がいよいよ巡ってきて、それをやろうとして、手が動かなかった。 決断のお話。 実戦は怖い 島への派遣が決まったとき、粋がって英語ばかり持ち込んだ。世界的に権威のある教科書だから、信頼性なら完璧なのに、いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、そのがいきなり信用できないものに変わった。普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。 畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。模範解答を知っていることと、実際に決断ができること

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    mori99 2011/04/27
    逆に言うと育てるには権限を渡して実践させる必要があるって事なので、覚悟を決めて民主党を育てるしかないのかもしれない。
  • 相手から見える風景を想像する - レジデント初期研修用資料

    誰かを説得しようと試みるときには、その人から見える風景の中にあるものを使った説明を行わないと、成功しない。 同じものを見ていても、見えかたは人ごとに全く異なる。その人が物事をどう見ているのか、それを想像して、その人から見えた風景を材料にして論を作ると、説得はうまくいく。 夜中の紹介が増えた もう昔からのことだけれど、18時も過ぎた当直時間帯に、「2ヶ月前から欲がありません。入院をお願いします」という依頼が、毎日のように近隣老健施設から寄せられる。 入院を決定すると、たくさんの書類を書く必要があって、人手がかかる。当直時間帯は病院に人はいないし、真夜中に、急な入院で動転しているご家族に、当直帯の忙しい中、丁寧な説明に割ける時間は少ない。たとえそれが2ヶ月前からの症状でも、受ける側はやっぱり、大変な騒ぎになってしまう。 こういうのは、「2ヶ月前」のどこか日中で連れてきてくれれば済むことなのだ

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    mori99 2011/03/23
  • 本が出ることになりました - レジデント初期研修用資料

    昔話 まだまだ駆け出しだった大昔、院から派遣された僻地の病院で、患者さんを「追い出す」役割を仰せつかったことがあります。 80歳をずいぶん過ぎた糖尿病の患者さんで、血糖管理も素行も悪くて、夜になると居酒屋さんに飲みに行ったり、インスリンの量を勝手に変えてみたり、病棟でたばこを吸ったり、とにかく「問題が多い人」という評判でした。 看護師さんたちから「手に負えないから退院を促してくれませんか」とけしかけられて、ろくに事実関係も調べないまま、「不良」患者さんを追い出すために、「白衣を着た保安官」になった気分で病室に乗り込んで、このときは「勝てる」だなんて、当然のように思っていました。 「あなたは約束を守らないし、糖尿病のコントロールもいいかげんだし、入院していても良くならないから、あとは外来でやりましょう」なんて、丁寧に、それでも決然とした口調を意識しながら、自分よりもはるかに年上の患者さんを

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    mori99 2011/01/19
  • オムライスの底力 - レジデント初期研修用資料

    オムライスというべ物は、ファミリーレストランが外の代名詞だった昔、「2番手」を代表するようなべ物だった。 オムライスは、どこの洋屋さんであっても、材料の順列組み合わせで作り出すことができたから、 どこに行っても、メニューの片隅には、たいていオムライスが載っていたけれど、 レストランという「ハレ」の場にあって、オムライスはどこか日常を引きずっていて、 外に出向いて、あえてそれを頼む人は、当時は必ずしも多くない印象だった。 オムライスの専門店が流行ってる で、現代になって、「オムライスの専門店」というものがうちの県内にはいくつかあって、どこもけっこう繁盛している。 全国チェーンの支部もあれば、地元の養鶏所とタイアップしているのか、卵を売りにして、その中にオムライスの専門店を 置いているところもあるけれど、いずれにしてもメニューとしては洋一般、でも看板はあくまでもオムライスが主役であ

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    mori99 2011/01/03
    iPhoneのインターフェースが嫌なので首が痛くなるほど頷いて同意。iPhoneっぽくないスマートフォンを待っているんだよ。ボタンがたくさんあっても良いじゃないか。
  • 泳ぎかたと溺れかた - レジデント初期研修用資料

    当に溺れている人は、溺れているというよりも、むしろ静かに沈んでいく ものなんだという。 それを体験したことのない人が「こうだろう」と想像したことと、実際それに遭遇したときに起きることは しばしば異なっていて、見張る側は、もちろんそれに気をつけたり、実際に起きることに即した対策を 行わないといけないのだけれど、「溺れる側」の人は、泳ぎを習うその前に、「正しい溺れかた」の 講習を受けてもいいんじゃないのかなとも思った。 泳ぎかたと溺れかた 高校の体育の授業では、柔道とラグビー、スキーについては、それぞれ受け身のやりかたや、タックルをもらったときの転びかた、 スキーを履いた状態での転びかたを、まず真っ先に習った記憶がある。小学校の頃、近所にスイミングスクールがあって、 泳げなかったから、一時期通ったのだけれど、「溺れかた」というものは、習わなかったんじゃないかと思う。 運転免許を取ったばかりの

  • 動作が意識に先行する - レジデント初期研修用資料

    「動作には文脈があって、身体というものは、頭から、あるいは環境から入力された動作文脈に対して予測された次の動作を返す、 一種の推測変換エンジンである」と仮定する。 生まれたばかりの生き物は、恐らくは空っぽのデータベースしか持っていない。人間の子供は、だから手足をばたばたと動かして、 試行錯誤の結果として、はいはいとか、歩行といった動作を獲得していく。この獲得は、動作の拡張というよりも、むしろ 無駄な動作をそぎ落とすことによって行われる 様々な動作には、それに意味があったのかどうか、意識による重み付けが行われる。どこかにたぶん、状況ごとに推測されるべき、 「次の動作」のデータベースみたいなものがあって、意志だとか、外界からの環境刺激がそこに入力されると、 身体は、それまでの動作文脈から推測された、次に来るべき動作を返す。「推測」という工程を入れることで、動作が先、 意識はそれを追認するという

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    mori99 2010/06/20
    戦史シリーズとして読みたい。開発初期エピソードから、導入時の混乱、時代遅れになって廃棄される最後の機体のエピソードまで。
  • 根暗な報酬のこと - レジデント初期研修用資料

    ある日のテストが60点で、頑張って次回80点取れた子供がいたとして、その子はたぶん、「20点増えた」という喜びと、「20点分見下せる奴が増えた」という、根暗な喜びとを、報酬として体感することになる。 努力や頑張りの報酬には、明るく表明できるものの裏側に、必ず根暗な何かがセットになっている。人を誘ったり、説得するためには、もちろん「明るい報酬」を前面に出さないといけないのだけれど、報酬には、常に根暗な側面がセットになっていて、そのことに自覚的でないと、どこかで上手くいかなくなるような気がする。 「明るい報酬」は希望を生むけれど、「根暗な報酬」は、自意識の地盤を固める。脆弱な地盤の上に、希望のお城を打ち立てて見せたところで、お城が大きくなるに連れて、いつかは地盤ごと、お城が倒壊してしまう。 自尊心の不足で疲労する 新しい学問だとか、仕事を立ち上げるときにけっこう大切なのは、「そこで働く人が自尊

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    mori99 2010/05/12
  • 親の目線について - レジデント初期研修用資料

    謝罪というのはもちろん、来は失敗と紐付けられないといけないのだけれど、謝罪という行為、あるいは誰かから怒られるという状況それ自体が、問題の解決と紐付けられている人というのが、たぶん社会には、一定の割合でいるんだろうと思う。 昔は怒られた 小学生の頃は、怒られることというのは「みそぎ」になっていた。酷い嘘をついて、なにかをごまかして、それがばれたら、とりあえずそこいらにいる大人から怒られて、泣かされたら、両親はそれで許してくれた。問題は全然解決されていないんだけれど、そこから先のことは、大人が考えてくれた。 子供の頃は、周りを見渡せば「雷オヤジ」という役回りの人がいて、子供を叱って、殴るふりして、子供が怖がって首をすくめたら、ガハハと笑って、問題はそれで終わったことになった。 子供というのはけっこうしたたかだから、「ガハハ」が3回も繰り返されたなら、誰もが手段としての嘘泣きを獲得できる。頭

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    mori99 2010/05/08
    自戒
  • 読みやすさという価値のこと - レジデント初期研修用資料

    ずいぶん前から作っていた原稿が、ようやくとして出版された。出来上がったを、原稿の下読みを手伝ってくれた若い先生方にあげたんだけれど、「ずいぶん読みやすくなったんですね」なんて、驚かれた。 外からみて分かりにくいものの価値について。 読みやすさは分からない 原稿の読みやすさという価値は、というプロダクトを外から眺める人から見ても、分からない。世の中には、読みやすいと、読みにくいとは確実にあるけれど、同じ原稿を、作者が書いたそのままをにしたものと、編集者が手を加えて、読みやすくしたものと、両者を比較できる機会というのは、そう滅多にないだろうから。 読みやすさは、たぶん作者の側からも、よく分からない。を書いている側は、同じ原稿を、になるまでに何十回も読み返すから、編集者が原稿に手を入れる最終段階になると、もう書いた内容の大半を暗記してしまう。その内容に慣れすぎてしまって、今さらそ

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    mori99 2010/04/01
  • 交渉における補給の問題 - レジデント初期研修用資料

    恐らくは自尊心というものが、交渉における通貨になる。 「あの人はプライドが高い」という表現に出てくる「高さ」という考えかたは、お金で言うと「気前の良さ」や「お金の使いかた」みたいなものであって、高い低いだけでない、当はもっと複雑なものなんだろうと思う。 補給というもの べ物だとかお金の問題、「補給」というものは大切なのに、戦争が始まると、たいてい真っ先に無視される。無視されて地味なのに、補給を無視した軍隊は、必ず負ける。 医療の技術や診断能力、自分たち医師の「熱意」だとか、「能力」に相当するものは、これは戦争で言ったら「武器」する。見た目が派手で、能力はみんな磨きたがるのに、補給はしばしば無視される。 病棟で「補給」に相当するものは、たとえばその日勤務している看護師さんたちの人数だとか、勤務シフト、人間関係みたいなものなんだと思う。こういうものは来、「医師の関与するところではない」し

  • 「普通の人」に向けたサービスのこと - レジデント初期研修用資料

    恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。 「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、 お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分が真ん中にいる」感覚を共有することを好む気がする。 2つの入り口を持つ料理屋さん うちの近所にあるショッピングモールに「ドリア専門店」と「石焼き鍋専門店」とが入っていて、2つのお店は、中で厨房を共有している。 お店はモールの角地にあって、図面上はたぶん、「角地にある大きな店舗」なんだけれど、中を仕切ってあって、「三角形に分かれた2つのお店」に改造してある。お客さんは、ドリアをべたければドリアの門に、石焼きビビンバをべたければ石焼きの門にそれぞれ入って、お互いの行き来はできないようになっているんだけれど、バックグラウンドでは、同じ厨房で、いろんな料理が作られている。 そこは

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    mori99 2009/11/08
    例の店の話から結論にいたる流れが腑に落ちない。二つの店の内装や卓上調味料は同一だったのだろうか。石焼き鍋を無味な内装の店より民芸風の店で食べたいと思う理由が「みんなと同じ楽しみ」を追求するためだけ?
  • ゲームとジレンマ - レジデント初期研修用資料

    ゲームとは 問題の中心にジレンマがあって、参加者が、自らの選択を通じてジレンマの解消を試みるとき、その状況は「ゲーム」であると言える。 ゲームにはルールがある。ルールとはジレンマの設計であって、よくできたルールは、 ジレンマの観察が容易で、「誰にでもできる簡単なことをふたつ同時に行おうとすると難しくなる」状況を内包している。 ジレンマ解消の先にあるもの ゲームのルールがルールとして機能している時期、ジレンマに対する最適解がまだ見つかっていない時期のゲームは楽しい。 多様な戦略が提案されて、その多くは失敗するけれど、全ての失敗もまた、経験として参加者に蓄積される。試行のコストは低く、 失敗しても、失うものは少ない ルールの中心に見えていたジレンマが解消されたそのとたん、ゲームはいきなり地獄になる。多様性を競った時代は終わり、 定番となったある戦略に、全ての参加者が収斂していく。アイデアの価値

  • 今追っかけているページ - レジデント初期研修用資料

    新型インフルエンザに関して、個人的に見ているページのリスト。 全ては公開情報で、基的に、医療従事者だけが知りうる秘密の情報だとか、 我々だけに伝えられる、特殊な情報ルートとか、世の中にはたぶん存在しないはず。 海外のサイト CDC の翻訳版 CDC の新型インフルエンザに関するページ。Google 翻訳版。ある程度速報性があって、間違いなく公式の情報。 紋切り型の文章が多いからなのか、Google 先生の翻訳が案外読みやすくて便利。 2009 swine flu outbreak - Wikipedia, the free encyclopedia Wikipedia の新型インフルエンザに関するページ。世界の感染者数だとか、ニュースについて素早く更新される。 自動翻訳は、あんまり役に立たないので、英語のまま、数字を拾ったほうがいいと思う。 日語のサイト こういうのはいくつかまとめて追

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    mori99 2009/04/30
  • 法律というカードの切りかた - レジデント初期研修用資料

    「プロ法律家のクレーマー対応術」というの抜き書き。 法律の専門家である弁護士が、「自らの有効な使いかた」を指南してくれる、 おもしろい立ち位置で書かれている。 あくまでも「弁護士に相談できる」という状況でしか役に立たないけれど、 何というか読むと「勝つ予感」がしてくる。 意味のない責任回避が顧客を怒らせる 単なる責任回避は、交渉の成功に何ら貢献しない 企業側が、意味のない責任逃れをする態度を見せることで、「怒れる顧客」が「悪質なクレーマー」へと変貌してしまう 代理店の過失を、たとえば社に持ち込まれたとして、 それを「代理店の問題だからうちは関係ない」といった対応を行ったところで、 その責任逃れは、「社の人」を慰撫する役には立っても、顧客の不満解消には、全く貢献しない メディアを騒がす不祥事などでも、たとえば企業の代表者が「報告を受けていなかった」であったり、 「あれは現場の判断であ

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    mori99 2009/01/24
  • 理想には情が足りない - レジデント初期研修用資料

    大雑把に「理」と「情」というものがあって、情報の送り手と受け手との間で、 「理」と「情」と、両方が揃わないと、人は動かない。 情報の送り手が「理」と「情」両方を用意するときもあるし、提供のやりかたを 工夫することで、送り手は「理」を提供して、それに反応した受け手から、 「情」が引っ張られるやりかたもある。恐らくはその逆も成り立つ。 梅田望夫氏の書評を読んで、個人的に考えたこと。 書評のこと 企業家の梅田望夫氏が、書評を書いた。 たぶん氏にとってはとても大切な内容が書かれているで、抑えた文体で内容をほめて、 「全ての日人が読むべきだと思う」なんて書かれていた。 その文章に、あんまり肯定的な反応が返ってこなかったからなのか、 普段冷静な梅田氏が、珍しくいらだった調子で、Twitter に「はてなブックマークのコメントには、 バカなものが当に多すぎる」なんてつぶやいていた。 こういうのは、

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    mori99 2008/11/13
  • 交渉の自然治癒力 - レジデント初期研修用資料

    ベトナム戦争当時、制空権を握っていた米軍はヘリコプターが使えたから、 撃たれた兵士はすぐに後方に搬送されて、緊急手術を受けることができた。適切な治療が施されたにも かかわらず、兵士の死亡率は高かった。 フォークランド紛争でのイギリス軍は、制空権が不十分であり、夜戦が多かったことも手伝って、 撃たれた兵士の搬送は遅れがちになった。 外傷医療の技術には大きな変化はなく、撃たれた兵士は、応急処置だけで事実上放置されていたにもかかわらず、 ベトナム戦争のときよりも、兵士の死亡率は低かった。 こんな経験から、重篤な多発外傷の患者さんにおいては、「可能なかぎり早く手術し、治療する」という治療戦略自体に 疑問が持たれて、「ダメージコントロール」という考えかたが生まれた。 「ダメージコントロール」の考えかた たとえば肝臓と脾臓が破裂して、多発肋骨骨折に血気胸、大動脈にも損傷が疑われる外傷患者さんが運ばれて

  • ステレオタイプの疲弊 - レジデント初期研修用資料

    深夜の救急外来、よく分からない訴えの患者さんを載せた救急車を出迎えたら、 旅行鞄に大荷物抱えた患者さんのご家族が降りてきたことがある。「どうしましたか?」なんて、 いつもの問診取り始めたら、「どうもこうもない、今すぐ入院させろ!」だなんて、 お父さんから怒鳴られた。ゴールデンウィーク直前、まだ研修医だった頃。 何とかなだめて話を聞いて、要するに年寄りを旅行期間だけ引き取ってほしいだなんて、いつもの話。 ゴールデンウィークに旅行の計画を立てたけれど、 家にいる年寄り一人、引き受け手がいないままに時間だけが過ぎて、 飛行機の予約ぎりぎりのタイミングが「今」なのだと。 もう時間がないだとか、自分たちは悪くないんだとか、親戚は誰も引き受けないとか。 どこも悪くない、普通に歩ける高齢者挟んで、怒る父さんと研修医、明け方まで押し問答した。 あの頃はまだ、こんなケースは珍しかったけれど、今年のゴールデン

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    mori99 2008/05/08
    でもねぇ、チャーチルの言ではないけれど、無駄が多くてもバグ(人間不信)を前提として構築されたシステム(民主主義)が結局は生き残ると思う。
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