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24式太極拳の動画を公開しているサイトやページ 24式太極拳呼吸練習 ・・・24式太極拳の一つひとつの動作が呼吸との関係で解説されています。拳式名も表記されますが解説は中国語です。中国語が聞き取れる人にとっては参考になる資料です。解説の中でしきりに発音されるフーチとかシーチという言葉については太極拳豆文庫の拳勢呼吸のページをご参考に。解説ならびに演者は呉阿敏? 9分24秒 Everyday Tai Chi ・・・動画が載っているサイトです。ただし表記は英文です。 24式太極拳-Google Video・・・演者は陳思担。世界武術選手権大会男子チャンピオン。1990年北京アジア大会競技大会太極拳チャンピオン。ただし残念ながら拳式名称がありません。4分56秒 ChinaLifeCollege・・・拳式一つひとつについて丁寧で見やすい動画があります。説明文や拳式の中国語発音もついています。
最近、このブログのコメント欄や別ブログの方でちょっとくだらない議論をいくつかやってしまったのだけれど、その中でわたしのことを「左翼」と決めつける人がいたり、また別の人が「左翼とは思わない」と書いたりと、わたしの政治姿勢そのものが議題となった。また、どちらのブログにおいても経済学に関連した話題を取り上げることが最近増えており、なぜフェミニズムやセクシュアリティなど社会的公正の問題を中心的に扱っているブログにこうして経済学の話が頻出するのかと疑問に思っている人もいるのではないかと思う。本来わたしがどういう思想の持ち主であっても言っている内容を議論するのに関係ないだろうとは思うのだけれど、左翼フェミニストだから云々と「隠れた意図」まで想像されてあれこれ言われているようなので、今回はそのあたりを以前にも軽く取り上げた Thomas Sowell『A Conflict of Visions: Ide
フェミニズムにおける激しい論争のひとつに、売買春に代表される性労働/性産業をどう評価するかというものがある。その大まかな分類は以前「売買春とフェミニズム理論4分類」で紹介したし、わたし個人の立ち位置は過去エントリ「『性労働者のためのクリニック』をめぐる論争」や『バックラッシュ!』キャンペーンブログ内エントリ「性労働者コンファレンス@ラスヴェガス報告」に詳しい。 反売買春をかかげる女性団体やフェミニスト団体ーー必ずしもすべての女性団体がフェミニスト団体ではないーーは昔からあったけれども、1980年代には法学者キャサリン・マッキノンらが中心となってポルノグラフィや性産業を厳しく規制する条例を作るなど法律を使った活動が活発になった。わたしの住むポートランドでも、性産業の撲滅を掲げるフェミニスト団体がいくつか設置された。そのうちの一つの活動を見に行く機会が最近あり、とても驚かされたので、紹介したい
シカゴ大学法学部ブログではじまったグレン・レイノルズ(テネシー大学法学教授、保守系ブロガーInstapunditとして有名)との対論において、キャス・サンスティーンが政治学者ダイアナ・マッツの『Hearing the Other Side: Deliberative Versus Participatory Democracy』を引いて集団分極化について面白い指摘をしている。 サンスティーンの『Republic.com』(『インターネットは民主主義の敵か?』)では、集団分極化のメカニズムが人々を分断し、先鋭化を起こすことが懸念されている。しかしそうした先鋭化は、同時に人々の政治参加の動機を著しく強めることにもなる。もし自分たちに何が正しいか分かっており、敵対者はとんでもない悪人かバカのどちらかであるなら、自分たちの主張を通すためにより深く政治活動に関わろうと思うようになる。 逆に、閉鎖的な
文字通りの印象論。 北村弁護士の演説のこと やっぱりこういうアジは小泉さんが図抜けていて、余人が真似すると小さく見えてしまいますね。麻生さんですら小物に見えてしまうのだから、小泉さんの扇動力は53万を軽く超えているに違いありません。 で、確かに扇動手法の基本は万国共通なんですが、つらつら見てきた感じ、日本には他国にない独特の傾向があるように思います。 それは キモい方が負ける といういたってシンプルなもの。 逆に言えば、キモくない方が勝つ。 そのあたりはさすが小泉さんで、通常の扇動手法に加えてキチンとこの「キモ史観」をも押さえていました。なんせ小泉さんが設定した「抵抗勢力」のキモいことキモいこと。 こうなるともう勝って当たり前、テロリストに対するセガールの如し。 その点、安倍さんはぬかっていました。あろうことか、自らの内閣の中に「キモさ」を発生させてしまった。「美しい国」に始まり、教育再生
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ジャーナリストの 有田 芳生 氏が、北村弁護士の演説を、コラムで批判的に紹介していた。 「声が裏返り、口汚く語っている。どこの議員だろうかと冷ややかに見ていたらキタムラとかいうタレント弁護士だった」 有田 氏の言論は、一見見たままの事実を語ったようでいて、「口汚く」であったり、 「キタムラとかいうタレント弁護士」であったり、事実と事実とをつなぐ言葉に 自らの意思を忍び込ませる、伝統的な言論技法。 冷ややかに見たのは誰なのか。キタムラをしょせんタレントだと見下したのは誰なのか。 もちろんそれは文章を書いた有田氏自身なんだけれど、文章が上手な人は、 それを「読者一般」の視点から見たように描く。 「ジャーナリストである有田氏個人はこう思った」という
以前に紹介したアントニオ・ダマジオのインタビュー記事の中に、彼の語る次のような一節がありました。 前著「デカルトの誤謬(Descartes' Error)」では、感情は肉体そのもので起こるプロセスに大きく依存していると主張しました。たとえば、驚くと鼓動が早くなり手のひらが汗ばむのは、恐怖を感じたことの単なる副産物と思われるかもしれませんが、実際には恐怖という感情を産みだすメカニズムの一環なのです。 実は人間の感情に関して意識変化が必ずしも先行するのではなく、そこに心身相関的なメカニズムが働いているという知見はデカルト的な意識中心の考え方への基底的な批判となり得ます。なぜならそれは、「意識が肉体の変化をもたらすという枠組みで私たちが考えることが特権的な「意識」のポジションを作り上げている」ということへの気付きだからです。 さらにその「意識」にしても論理的な整合性に先んじて志向があり、また合理
おやおや朝日新聞が社説で。そういうものかと読む。ベ平連の話から「その後」でイラク戦争が接合されている文章というのは珍妙なものだなと思った。文革もポルポトもない戦後左翼の歴史か。 こうした市民運動のやり方は、さまざまな住民運動のほか、のちの非営利組織(NPO)や非政府組織(NGO)の活動にも影響を与えた。その原点をたどれば、組織よりも個人の自由な発想を大事にする小田さんの個性があった。 小田さんはその後も、阪神大震災の被災者救援や、憲法を守る「九条の会」などで、いつも社会にかかわっていくという姿勢を貫いてきた。 いま、イラク戦争に反対する声が世界に満ち、反戦デモもあちこちで見られるが、日本では大勢の人々が加わる反戦デモは影をひそめた。ベ平連が活発に動いていた時代の熱気は失われた。 沖縄で暮らしながら私は私なりにベトナム戦争の傷跡を探った。沖縄はベトナム戦争の当事者に巻き込まれていた。内地人に
id:ryotoさんのブログ、ヒロシマ関連で興味深い記事を拝読す。 リーバー理事長 - for dust you are and to dust you will return しかし、原爆という出来事の悲劇性を考えるとき、アメリカ人を館長に据え、「アジアの人たちの意見を聞く」という行いが、原爆の悲劇性を相対化してしまうことがあり得るのではないか、と思う。 「アジア諸国の意見を聞くヒロシマ」というあり方自体問題を感じないが、そのような主張をする館長でいいのか?という疑問とのこと。なるほどなぁと思う。 ところでわたしはこの前、「仕方ない」発言関連で↓のようなことを書いた。2007-07-05 - 新生★KARPOS わたしには「原爆、ゆるすまじ」「二度と、ゆるすまじ」が骨の髄まで浸み込んでおり、それを剥がすことはできない。それでもって、根本的なところで「恨」があるというのは、もう運命としか言
【ニュース系】 6・30アキハバラ解放デモ 女装・やらないか・ハルヒいろいろ 400人?以上が参加 - アキバBlog アニメとアキバ系カルチャーの総合情報サイト - アキバ総研 【ヲチ系】 http://jabro.jp/Entry/236/ 今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記 : 筆不精者の雑彙 「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」 : 筆不精者の雑彙 http://d.hatena.ne.jp/plummet/20070701/p1 2007-06-30 - Messhall@暫定避難 【2chまとめ】 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html 毎度毎度のデモ擁護エントリ。 僕は最後尾をまったりくっついていっただけだけど、集合場所の公園からしてそのカオスっぷりに大笑いし
6・30アキハバラ解放デモ 女装・やらないか・ハルヒいろいろ 400人?以上が参加 - アキバBlog http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html 未だにmixiのコミュの方は炎上中な、アキハバラデモ。*1 「そんなにムキになって批判するものかぁ?」っと、半ば呆れながら今回の騒動を見ているのだけれど、でもまぁ、批判者の気持ちもわからないでもないと思ったりもする。 例えば、私は憲法改正には賛成だし、自衛隊の活動に対しても好意的に見ているのだけど、どこぞのアホ左翼が「若者は憲法改悪に反対しています!」とか「国民は自衛隊を認めてはいません!」なんてのを聞くと、「ちょっと待てよ」っと異論を唱えたくなる。 何故そうなるかといえば、『若者』とか『国民』なんて言葉を使われ、勝手に解釈されまとめられ勝手に代弁されているからだ。いちよ『若者』でも
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