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ブックマーク / merubook.hatenablog.jp (14)

  • 中原昌也『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆中原昌也『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』河出文庫、2000年9月 よく分からない。中原昌也の小説は苦手だ。暴力とエロとナンセンスに満ちている。だから意味や物語を求めても仕方がなく、既成の言葉が使い減らされていくさまをただ眺めるのが、書を楽しむコツなのだろうか。中原昌也の作品は、おそらく好きな人は好きだし、嫌いな人にはどう説明しても受け入れられない。評価が両極端に分かれる作家だ。私は、後者の立場で、つまりこの小説は価値がないのではないかと考える。 マリ&フィフィの虐殺ソングブック (河出文庫―文芸コレクション) 作者: 中原昌也出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2000/10/01メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 29回この商品を含むブログ (77件) を見る

    中原昌也『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』 - Sound and Fury.::メルの本棚。
    morutan
    morutan 2008/01/28
    見る価値なさそうだな。町田康みたいなもんか |関連:中原昌也の作品は「隠喩」ではなく、「換喩的」表現なのだという http://d.hatena.ne.jp/merubook/20050910/p4
  • 本多勝一『中学生からの作文技術』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    多勝一『中学生からの作文技術』朝日新聞社、2004年10月 作文というより文章の技術を説いただ。中学生からとあるけれど、中身はかなり難しいと思う。社会人向けのではないだろうか。 書で述べられているテクニックは、割とシンプルで実践的。納得することが多い。実際に文章を書くときに使えるのは、もちろん、作文の授業で学生に教える際にも役に立ちそうだ。 中学生からの作文技術 (朝日選書) 作者: 多勝一出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2004/10/09メディア: 単行購入: 10人 クリック: 44回この商品を含むブログ (24件) を見る

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  • ショック… - Sound and Fury.::メルの本棚。

    許せる? 許せない? 新入社員のあきれた言動 新入社員のあきれた行動が紹介されていて、これはおもしろい記事。将来日系企業に就職する学生もいるから、学生にこういう行動は嫌われるのだよと教えておきたい内容。 それにしても、個人的にはこの調査結果に大きなショックを受けた。というのも、私も節目節目で就職活動をしてきたけれど、どの企業からも内定をもらったことがないのだ。しかし、この調査結果を読むと、たとえば「上司に対しては社内のことで済むのですが、来社されたお客様に対してのものすごいタメぐちには驚きあきれ果てました」といったあきれた行動が紹介されている。こういう人でも就職ができているにも関わらず、どの会社にも就職できなかった私は…と考えるとかなり落ち込む。つまり、私はこのような「あきれた行動」の人たちよりもダメだったということなのか…。面接のときには、けっこうがんばって敬語を使って話したり、挨拶や身

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    morutan
    morutan 2007/04/20
    『私はこのような「あきれた行動」の人たちよりもダメだったということなのか』 | 良すぎてもとられないですしね(よっぽど必要な専門知じゃない限り)
  • 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆斎藤英喜『読み替えられた日神話』講談社現代新書、2006年12月 日神話が、各時代の人々がどのように神話を読み、そこから神話をどのように読み替えてきたのかをたどる。 いわゆる「国民国家」批判の類の論文にありがちなタイトルなので、あまり期待せずに読み始めたが、これがかなり面白い。書は、バカでもできる「国民国家」批判*1のではない。むしろ、神話をそうした近代国家批判の中でしか捉えてこなかったことへの批判がある。 神話は各時代にいろいろな読まれ方をしてきた。そして、神話を読み替えたのは、何も近代に限ったことではない。神話を読み、そこから自分たちの手で新たな神話を生みだす。そうした人々の豊饒な想像力に驚かされる。著者は、あとがきのなかで触れているように、中世に生みだされた自由奔放な神話に注目している。しかも、中世の人々は単に荒唐無稽な神話を生みだしていたわけではないことにも注目している。

    morutan
    morutan 2007/04/04
    神話を読み替えたことの積極的な意義について。「神とはなにか」の考察に繋がってるらしい
  • 綿矢りさ『夢を与える』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆綿矢りさ『夢を与える』河出書房新社、2007年2月 前2作とすっかり雰囲気が変わっていたのに驚いた。いかにも「小説」らしくなっていて、それは作者の技術が良くなったのかもしれないが、逆に言えば「小説」という枠の中にきれいに収まってしまって、『インストール』や『蹴りたい背中』のときのようなふてぶてしさが無くなってしまっているように思う。 主人公が芸能人ということで、『蹴りたい背中』に登場していたモデルの女性を発展させた小説なのだろう。他者にどのように自分が見られるのかという自意識は、『インストール』以来、綿矢作品の主題になっていて、だから人に見られることが仕事である芸能人が主人公になったのか。 それはそれとして、主人公の「夕子」に、前2作の主人公の女の子に見られた「能」というものを感じることができなかった。たとえば、思考よりも先に男の子の背中を蹴ってしまうような能が見られない。 たしかに

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    morutan
    morutan 2007/03/04
    ここでも「歴史の断絶」か
  • 「恵まれた」人間は、社会批判をする資格がないのだろうか - Sound and Fury.::メルの本棚。

    大正時代の有島武郎とか、その周辺の文学者、すこしあとだと太宰治のような文学者たちの苦悩は、現代でもすこしも解決されていないのだなあと思う。 たとえば、幸か不幸か「恵まれた」*1環境にいる人がいるとする。そして、彼らがいくらプロレタリアの階層のために、社会変革を求めても、貧しい人たちから「なんだよ、お前ら恵まれてんだろ」といわれて相手にされない。「お前らに、貧乏人の生活がわかるか」と言われるのが落ちだ。そういわれると、たまたま「恵まれて」しまっている層の人間は、何も言えなくなる。真面目な人は、自分が恵まれていることに「罪」の意識なんか感じてしまったりするだろう。たまに、「恵まれた」生活を一切捨てて、ホームレスになってしまうという選択する人もいて、それはそれですばらしい決断だと思う。が、しかし、「恵まれた」環境を捨てなければ、理想社会を追い求められないというのはどうなのか。 問題は、「恵まれた

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    morutan
    morutan 2007/01/15
    赤木さん問題とかかなぁ。ってか、ぼくも批判される側だな。。
  • 愚痴 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    の大学は卒業生や修了生の追跡調査に必死だ。私のところにも、院を修了したときから、進路調査の依頼が何度かきた。 要するに、特に修了生の進路を大学側の業績として報告して、いかにすばらしい教育を行っているかを証明しないといけないのだろうが、そんなことつまり大学の資金稼ぎのために自分自身が利用されるのは迷惑だなと思う。 院を修了しても、就職や進路についてはまったく世話をしないくせに、院を修了した学生が必死になって就職すると、それは大学のおかげだとされる。「大学は就職の世話をしろ・世話をすべきだ」とは言わない。そんな必要もないと思う。しかし、大学は実際何もやっていないのに、あたかも学生の進路や就職活動のために何かをやりましたと報告し、そして教育で実績を上げていますと宣伝するのは許せない。面倒なところは学生に任せ、おいしいところは大学がもっていく。学生自身の努力の結果をかっさらうような大学の態度に

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    morutan
    morutan 2007/01/11
    『いっせいに進路調査で「無職」の報告をすれば、大学もなんらかの変化を余儀なくされるのではないか』 | ガッコのパンフ見たら就職率9割越えみたいなの書いてあって笑けた。そんな感じで水増しするだけだと思います
  • 藤原和博・宮台真司『人生の教科書[よのなかのルール]』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆藤原和博・宮台真司『人生の教科書[よのなかのルール]』ちくま文庫、2005年5月 なかなかよくできた「教科書」。日の社会の仕組みあるいは「ルール」がよくわかる。概説的ではなく、具体例に沿って解説しているところが、学校の教科書と異なるところ。 「少年犯罪」から「仕事」「性」「結婚離婚」「自殺」などといったテーマが語られる。「大人はなぜ接待をするのか」という章などは、日人あるいは日社会を考える上で非常に興味深い。こういう話を、日語を勉強している学生たちに教えたら、日社会に少しは興味を持ってくれるのではないかと思う。 私自身、「社会」経験が著し不足しており「社会」のルールをよくわかっていないので、その勉強のためにも書は役に立つ。 人生の教科書 よのなかのルール (ちくま文庫) 作者: 藤原和博,宮台真司出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2005/05/01メディア: 文庫購入

    藤原和博・宮台真司『人生の教科書[よのなかのルール]』 - Sound and Fury.::メルの本棚。
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    morutan 2007/01/04
    『日本人あるいは日本社会を考える上で非常に興味深い。こういう話を、日本語を勉強している学生たちに教えたら、日本社会に少しは興味を持ってくれるのではないかと思う』 | おもしろそう。ルビが振ってあるといいな
  • 柳父章『翻訳語成立事情』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1982年4月 書では、「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」という10の言葉を取り出し、これらが近代になって、翻訳のためにつくられた新造語であったり、もともと日語の歴史のなかにあったが翻訳語として新たな意味を与えられたものであることを論じる。 いいか悪いかは別の問題として、ともかく私たちは「翻訳語」のおかげで学問や思想を学ぶことができた。だが、一方では日常生活と遊離した言葉であるのも事実で、それゆえに言葉の意味に混乱が生じている。著者は、しばしば翻訳語の「カセット(=宝石箱)効果」ということを指摘する。つまり、翻訳語は、なんだかよくわからないが、きらびやかでありがたそうな言葉に思えてしまう。翻訳語はなるほどたしかに翻訳を効果的に進めてきたかもしれないが、一方で一つの言葉を巡って混乱を生じさせてしまった。

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    morutan 2006/12/30
    あ、まだ読んでなかった。。どうでもいいことだけど「翻訳後」⇒「翻訳語」ですな
  • 人に何かを教えたがることについて - Sound and Fury.::メルの本棚。

    いわゆる新人類世代というのは、結局のところ、他人に何かを教えたがる世代なんじゃないかと思う。(もしかすると、世代の問題ではないかもしれないが、とりあえず世代でくくってみる。) 下の世代から見ると、彼らの教えたがり的なところが、非常に厄介というか目障りというか、そんな印象を持つことがある。厄介というのは、彼らは他人にとって良かれと思って、他人に対して教育的に振る舞うからだ。ある意味、彼らの行為は、善意の押しつけなのではと思う。 論争に勝って動機付けに失敗することが多い彼らは、自分たちの行為が、他人に対し自分の考えに押しつけになっていることに気が付いていないからではないか。 いくら正しい考えでも、押しつけられると、カチンとくるというか、不愉快になることがある。相手が非常に正しいことを言っている場合ほど、かつ自分が支離滅裂なときほど、相手の教育的な振る舞いに不愉快になる。なぜなのか。 正しさとか

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    morutan 2006/10/06
    自省。めんどうなので今度からは自分より詳しいこと書いてるとこだけにコメントしようかと思う(基本的にコメントなしで)
  • 『明暗』の「小林」と私 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    『明暗』に登場する一風変わった人物である「小林」の言葉を、このまえの日記で引用した。というのも、小林の状況と今の自分自身の状況が似ているではないか、と思ったからだ。このまえ引用した部分のつづきをみてみよう。 小林は、《「僕は君の腹の中をちゃんと知つてる。君は僕が是程下層社会に同情しながら、自分自身貧乏な癖に、新らしい服なんか拵へたので、それを矛盾だと云つて笑ふ気だらう」》と津田に絡みつづける。いい加減面倒になった津田は、《「さうか、そりや悪かつた」》と適当な返答をする。すると小林はちょっと態度を変えて、《「いや僕も悪い。悪かつた。僕にも洒落気はあるよ。そりや僕も充分認める。認めるには認めるが、僕が何故今度この洋服を作つたか、その訳を君は知るまい」》という。 その理由はとは何か。小林は、「朝鮮」に行くからだと答える。小林は、それまで雑誌の編集をやったり、校正をしたり、その合間に自分の原稿を書

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    morutan 2006/07/29
    めでたい
  • 問題は「硬直性」にあるのではないか - Sound and Fury.::メルの本棚。

    よくよく自分の心に照らし合わせて考えてみると、私自身の不安は、たとえば宮台真司氏が唱えるような「過剰流動性による不安」にあるのではない。むしろ、流動性と言われているのに流動的ではないところに不安がある*1。つまり「硬直性」の不安だ*2。 これに対し、「歩行と記憶*3」ではもっと「過剰流動性」を進めるべきと述べていて、それはおそらく正しい。しかし、kuriyamakouji氏は「過剰流動性」のために、「自営」か「自営と変わらない働き」をしたほうがいいという。これは物事の半面しか見ていないのではないか*4。 「過剰流動性」よりも「硬直性」に不安を抱く私にとって、自営をしても不安は解消されない。自営に失敗して、別の道に進もうとしても「硬直性」のある社会では、その変化が難しい。過剰に流動的であるのなら、おそらく自営から会社員、さらに自営へと次々に移動できるはずだが、おそらく事はそう簡単にいかないの

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    morutan 2006/07/13
    ・・それは自分への言い訳ではないか?
  • 木村英樹『中国語はじめの一歩』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆木村英樹『中国語はじめの一歩』ちくま新書、1996年4月 必要に迫られて、最近、中国語の勉強を始める。独学なので、発音がうまく出来ているのかどうか判断できないのがつらい。発音は仕方ないので、文法だけでもきちんと身につけたいものだ。 書は新書だが、けっこう詳しい解説があって面白い。ちょっと事項が多くて、一気に読むのが大変なのだが。それでも、中国語の原理というか、単に文法や用語の説明だけではなく、その背後にある考え方も説明しているのがよいと思う。 中国語はじめの一歩 (ちくま新書) 作者: 木村英樹出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1996/04メディア: 新書この商品を含むブログ (1件) を見る

  • たとえ「幻想」だとしても - Sound and Fury.::メルの本棚。

    小説読者の質は果たして落ちたのだろうか*1」について、少し考えることがあったのでメモしてみる。 佐藤亜紀の「この世からは小説を読むための最低限のリテラシーさえ失われてしまったらしい」という意見に対し、筆者は違和感を覚えるという*2。その理由として、「「昔」とか「かつて」が「上等」で、「現在」や「いま」が「劣等」であるという議論は、気をつけたほうがいい」からだとする。そして、メルヴィルは『白鯨』以降の作品で、同時代人に評価されなかったことや、ホーソンも当時の「センチメンタル・ノベル」に対し、うらみつらみを日記を書いているなど例に挙げ、昔から「エモい人」はいたのだと主張する。そして、いつの時代も「小説の質」は低いのだという。 これは、はなはだまずい書き方だと思う。これだと、あらかじめ「小説の質」なるものが存在しているかのような印象受けてしまう。だが、筆者はすぐ近くで、こうも言っている。すなわ

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    morutan
    morutan 2006/06/23
    blogに対する読み違えのことをちょっと思った。「作者の意図」「読者の読み」が対等だとしても、質の低い読みというものもあるだろう。ポイントは「書かれたときに終わり」ではなく協働でどのようなものが作られるか
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