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ブックマーク / ugatsumono.seesaa.net (8)

  • 「まだ初心者」症候群 ~絶・初心者できないゲーマーの危険性~

    上級者に真の上級者と僭称上級者がいることを前回話しました。 今回はそれに似た初心者の話。 TRPGゲーマーの中には、2~3のゲームをそつなくプレイし、GMができるゲームが1つはあるという十分即戦力になる技量がありながら初心者を自称している人が結構います。場合によってはそれ以上の経験がありながら。 そういう人ってのは、プレイ経験を問われればつい「いやいや、僕はまだ初心者ですよ」と答えてしまいます。何度か遊んでいるゲームでも「まだ初心者です」と断ってしまうし、初心者卓など立とうものなら当の初心者を押しのけてでも入ってしまいます。 彼ら「まだ初心者」組は扱いに難しいところがあります。 初心者を名乗っても経験は中級者ですから、GMの問いかけに答えるのが主の模範的初心者プレイヤーの行動から一歩抜け出し、ちょいとクセのあるキャラクターを作ったり、小粋な演技をしようと試みます。 初心者卓のGMとしては

    「まだ初心者」症候群 ~絶・初心者できないゲーマーの危険性~
    moto_hi
    moto_hi 2006/10/26
    ゲームに興味を持ち始めたけど、1人であれこれするには臆病な状態。ゲーム以外の事の共同作業やコンベンションへ行くのがいいんじゃない?という話。
  • マンチキンは死せり ~80年代1マンチキンの習性とその意義の終焉~

    製作者側が「そういうこともできるよ」と明記しているのに、遊び手の方はまったくやらない遊び方ってのがあります。 『GURPS』は色々なステージ(ゲームの舞台設定。ダブルクロスの用語を使用)が用意されているが、それらのステージ特有のルールをカクテルして使用しても構わないのがダブルクロスとの違いです。MMORPGのキャラとして電脳世界に幽閉されている設定のロストエデンのキャラを、平安時代が舞台の平安京物怪録に登場させたいと云ってもまず断られるでしょう。だが、マーシャルアーツのルールで作ったキャラをファンタジーに登場させてもいいわけで、各サプリメントには別サプリにカクテルする際の指針が記載されています。 そもそも、「西武開拓時代のガンマンが第二次世界大戦の特殊部隊員とルネサンスのイタリアに飛ばされる」ような世界でも支障なくキャラを動かせる……『TORG』と違い、文明差による技術的なハンディキャップ

    マンチキンは死せり ~80年代1マンチキンの習性とその意義の終焉~
    moto_hi
    moto_hi 2006/10/22
  • 経験値を廃止してもよいTRPGもある ~成長の意義あれこれ~

    TRPGは目標を達成するゲームですけど、その後PCたちはどうなるのかと云う問題があります。ゲームとしてのTRPGなら経験値与えてお開きなんですけど、物語としては色々語れちゃう展開ってのがあります。 今日はTRPGでいう「成長」に関する以前とは違った話。 D&Dの頃と云えば、成長は単なる経験値をご褒美にもらうことではありませんでした。赤箱レベルなら迷宮漁り専門だったゲームが、青箱では野外での冒険に現代風の物語がついたシナリオがついて、緑箱だと領地経営したり戦争したり異世界行ったりして、黒箱では半神になって司馬遷(小学生にはスーマ・チェンが司馬遷だなんて分かりませんでしたよ)に会ったりして、レベルアップしていくにつれて楽しみ方の幅も広がったものです。 ガキの頃ですから、ファイターレベルが5で「短剣家」になってしまって、それで学校の漢字テストで間違ったり、レベル9で「郷士」になって、それで郷士っ

    経験値を廃止してもよいTRPGもある ~成長の意義あれこれ~
    moto_hi
    moto_hi 2006/10/12
  • TRPGが現代神話になるには ~TRPGにおけるイメージと物語~

    9月19日をもって、旧melma! Blogを含めてのBlog活動2周年を迎えました。今年に入ってから仕事や家庭の都合で執筆量が減少してしまいまして、これは誠に申し訳ないです。 ですけど、これからも無理なく活動を続けていきますので宜しくご贔屓のほどお願いします。 今日はTRPGにある「語りたい欲求」を考察します。 TRPGにおいてなぜ戦闘が最も仔細かつ豊富なシステムと、ゲームオーバーを伴う厳密なルールによって管理されているかと云えば、ゲーム側からでは元々が対戦・競技ゲームであったウォーゲームから派生した以上物語は後付けであるということと、メディア側からすれば戦闘は遊び手にロマンをもたらす彩りとして役立つからであると僕は考えています。 物語にこそTRPGの醍醐味だと信じる人の中には、いっそウォーゲームの要素を撤廃し、説話と談笑のみで楽しむのが究極のTRPG像だと考える人もいます。いわゆる「R

    TRPGが現代神話になるには ~TRPGにおけるイメージと物語~
    moto_hi
    moto_hi 2006/09/21
    個々人の抱く「イメージ」、複数人のイメージを共同幻想へ昇華した「物語」。
  • TRPGはもっとも小さなセカイ?

    以前、そろそろiPodをと書きましたけど、実質4時間弱というバッテリー容量の関係で最初目星をつけていたiPod nanoが候補から脱落。結局、長年愛用しているi-RIVERからT30を購入。6月末にオンラインと直営店限定販売として出た2GBモデルです(通常は1GB)。なかなかいい感じ。 今日はセカイのお話。 ラノベにはまるで自信のないので、軽い言及に留まりますけど。 セカイ系と呼ばれるエンタテイメント形式の図式は、「自分 ⇔ 社会 ⇔ 世界」という個人と世界のあり方のうち、社会性が抜き取られて個人の自我が直に万物根源と向き合い物語を構成するというものらしいです。 詳しいことは各自検索して知ってください。 セカイ系がどうのこうのと云う話を聞いて、TRPG畑で活動する僕としては、TRPGにもセカイ系の影響はあるのかどうか気になりました。 TRPGの作品自体に関してはセカイ系視点が楽しめるゲーム

    TRPGはもっとも小さなセカイ?
    moto_hi
    moto_hi 2006/08/21
  • まずはサイコロを振ること ~TRPGの「敷居の高さ」視点~

    今日はダイスの話を。 よく6面体以外のダイスを用いるTRPGは敷居が高い、ゲーム初心者に敬遠されるマニア要素ではないかという意見を聞きます。それが発展して、入手しやすい6面体のみ使用するゲームこそが初心者向けTRPGの必須条件だと思っている人もいるはず。 気持ちは分かるが、僕から見れば「コアなマニア」が「コアと呼ぶほどでもないマニア」の視点に立って、初心者に受ける方法を考えているように見えます。まだまだ部外者の立場に踏み入りきれていません。 敷居が高いということはどれほどのものか、少し考えてみましょう。 まず第一に、TRPGを遊んだこともない素人さんにとっては4面体も6面体も20面体も関係なく、サイコロを使って遊ぶゲーム自体に経験が乏しいことが予測されます。 そもそも、TRPG以外に日の青少年少女が、日常的な遊びの中でどれだけサイコロを使っているか考えてみてください。おそらくは双六の中で

    まずはサイコロを振ること ~TRPGの「敷居の高さ」視点~
    moto_hi
    moto_hi 2006/08/10
    ”多面体ダイスをサイコロに変えるのは敷居を下げることにはならない。ゲームプレイの満足度は、自発的に参加したことで得られるから、ダイスを振った結果どうなるのかが直感的に分かる方が重要。”
  • 活躍する人と、活躍を用意してくる人

    最近コラムの数がめっきり減った原因……それは0時過ぎると眠たくて仕方がない最近の体調にあると思います。夏バテはイヤなので夜更かしせずに早寝することにした結果ですけど、22時ぐらいからもう瞼が下がってきます。 「夜に強い」というある程度不健康な性質も物書きとしては必須なんでしょうか。 24時間テレビのテーマが絆。とうとう黒いチャンプとして白い目で見られている親子も篤い親子愛が喧伝されていて、その一方で親子の絆が破綻してるような事件が次々明るみに出てきてため息もでる昨今。 最近は遊び手同士の連携もバラバラで、昔より他のプレイヤーに期待していた絆も共有感も疑わなくてはならないイヤな状態だなと思っていたけど、それはTRPGに限ったことではなく、日社会そのものが抱える空気そのものなのかもしれないのでしょうか。 今日はそんな絆の希薄さを考えながら、PCの活躍ぶりに関する話を。 ◆◆◆ TRPGでは

    活躍する人と、活躍を用意してくる人
    moto_hi
    moto_hi 2006/08/06
    ”一緒に”遊ぶことを忘れたくないものです。それはそうと最後の一文が意図不明。
  • みんなで楽しむのは日本人だけですか? ~TRPGは民族性とは縁があるのか~

    『クロちゃんのRPG見聞録』などでTRPGゲーマーにはおなじみのイラストレーター・中野豪氏が今月11日、大腸がんのためご逝去なされました。氏の功績を称えるとともに、謹んでご冥福をお祈りします。 ◆◆◆ TRPGは協調性が大事だ、円滑なコミュニケーションが必要だとはよく聞くものです。なんでと問えば、「プレイヤー全員が生き残るため(参加者全員が最後までプレイに参加できるようにするため)」であり、「シナリオをよき展開に導く(参加者がよき思い出作りのために楽しみを共有し、プレイ後のしこりを回避する)」であるのでしょう。 このうち、「参加者全員が最後までプレイに参加できるようにする」ってのは、DMとプレイヤーとの化かし合いがメインだった時期ではむしろ生温い言葉で、鬼畜極まりないDMの罠を掻い潜った狡猾なプレイヤーのみが生き残って当然、PCを死なせたプレイヤーは甘ちゃんであると豪語する豪傑プレイヤーは

    みんなで楽しむのは日本人だけですか? ~TRPGは民族性とは縁があるのか~
    moto_hi
    moto_hi 2006/06/17
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