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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (38)

  • 42歳で復帰するJ1の舞台。ジュビロ磐田・遠藤保仁が思い描く「最高のシーズン」とは

    高村美砂●取材・文 text by Takamura Misaphoto by Masashi Hara/Getty Images ジュビロ磐田 遠藤保仁インタビュー(後編) 前編はこちら>> この記事に関連する写真を見る ジュビロ磐田がJ1昇格、J2リーグ優勝を決めた試合後、印象的だったのは遠藤保仁が歓喜の輪から少し離れたところで、控え目にその瞬間を喜んでいたこと。記念の集合写真を撮影していた際も、常に最前列で写真に収まったガンバ大阪時代とは違い、最後列で笑顔を見せていたのも印象的だった。 「ある意味、自分は外国人選手枠というか、助っ人のような活躍を期待されていると思っている」 思えば、2020年10月の加入に際しては、そんなふうに自分に課せられた責任を口にしていた遠藤のこと。歓喜の瞬間に胸にあったのは喜び以上に安堵感で、それが"控え目"につながったのか。 真意を尋ねるとあっさり「空いて

    42歳で復帰するJ1の舞台。ジュビロ磐田・遠藤保仁が思い描く「最高のシーズン」とは
  • 遠藤保仁がジュビロ磐田への完全移籍を正直に語る――「なんとなくこうなりました」

    高村美砂●取材・文 text by Takamura Misaphoto by Masashi Hara/Getty Images ジュビロ磐田 遠藤保仁インタビュー(前編) この記事に関連する写真を見る 2021年12月27日に発表された、遠藤保仁のガンバ大阪からジュビロ磐田への完全移籍。その決断を人は「あまり悩むこともなく、ごく自然に」導き出したという。 2001年から約20年という長い時間を過ごしたガンバへの愛着、感謝の気持ちは今も心の奥底にある。だが、それがプロサッカー選手としての自分を悩ませる材料にはならなかった。 「去年のシーズンが終わってガンバからも、ジュビロからも来シーズンに向けた提示をいただいたなかで、何がどうと言葉にするのは難しいけど、なんとなくこうなりました、というのが正直なところ。 そう言うと、『もっと理由があるでしょ?』と突っ込まれそうですけど、期限付き移籍でガ

    遠藤保仁がジュビロ磐田への完全移籍を正直に語る――「なんとなくこうなりました」
  • 大黒将志は伝えたい「偶然はダメ。理屈でやるからゴールを決められる」

    鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao 大黒将志インタビュー 後編 前編はこちら>> 222ゴールを決めた現役生活を終え、ガンバ大阪で育成年代を指導することになった、大黒将志。今後、どんな指導をしていくのか。ストライカーとしてゴールを決めるコツは何かを聞いた。 ◆ ◆ ◆ ストライカー育成に着手する大黒雅志に、ゴールを取るコツを聞いた 2021年2月より、古巣ガンバ大阪のアカデミーでストライカーコーチとして、育成年代の指導を始めた。「将来は監督を目指している」と言う大黒の指導哲学は、次のようなものだ。 「指導者としては、プロで長く活躍できる選手を輩出したい。FWはいつでも、どこでも、誰とでもプレーできる選手になってほしい。どこのクラブでプレーしても、ゴールを決められる選手。途中出場でも、スタメンでもゴー

    大黒将志は伝えたい「偶然はダメ。理屈でやるからゴールを決められる」
  • 大黒将志が語る点取り屋の極意「DFが見失うタイミングをわかっている」

    鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao 大黒将志インタビュー 前編 後編はこちら>> FW大黒将志が現役引退を発表。今後はガンバ大阪で後進の指導にあたるという。22年間で12クラブを渡り歩き、ゴールを決めつづけてきた理論派のストライカーだ。ここまでどんなプレーを心がけ、これからどんなストライカーを育てようとしているのか。 ◆ ◆ ◆ 現役引退を発表した大黒将志をインタビュー。ストライカーとしての考えを聞いた 濃紺のスーツに細いネクタイ、黒い髪の毛を下ろした見た目から、現役時代はゴールという獲物を狙いつづけた雰囲気は感じられない。まるで外資系のビジネスマンといった出で立ちだ。しかしサッカーの話題になると、自らが決めたゴールを、昨日の出来事のように語り始める。しかも、驚くほど描写が細かい。 大黒将志ほど"ス

    大黒将志が語る点取り屋の極意「DFが見失うタイミングをわかっている」
  • 遠藤保仁「今の順位がおかしい」。ガンバの実力者たちの調子が上向きだ

    一分の隙もない完勝劇。ガンバ大阪が3−0で湘南ベルマーレを撃破した。 第29節を終えて勝ち点35で11位。プレーオフに回る16位の湘南とは4ポイント差で、この直接対決に敗れれば1ポイント差に詰められる危険性もあった。だが、残留争いの重圧にさらされることもなく、G大阪は力の差を見せつけた。 遠藤保仁は39歳になってもピッチで存在感を示した この結果、湘南との勝ち点差は7に拡大。数字上ではまだ降格の可能性は残されているものの、残り試合数を考えれば、残留争いから大きく抜け出したと言えるだろう。 今季のG大阪の基布陣は、3バックの前にアンカーを配置した3−1−4−2。配球を担うアンカー役は矢島慎也が務めることが多かったが、この試合では遠藤保仁が起用された。 10番を背負う倉田秋が負傷離脱したことも要因だが、3試合ぶりに遠藤をスタメン起用した理由を、宮恒靖監督は次のように説明する。 「ボールを動

    遠藤保仁「今の順位がおかしい」。ガンバの実力者たちの調子が上向きだ
  • 遠藤保仁は願う。「俺らを超える新しい黄金世代が早く出てきてほしい」

    佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun牛島 寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato 世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第10回:遠藤保仁(3) 日が準優勝を果たしたナイジェリアのFIFAワールドユース(現在のU-20W杯)から、20年目を迎えた2019年、遠藤保仁は、今もガンバ大阪でプレーしている。昨シーズン末に小笠原満男が引退し、黄金世代での現役は遠藤を始め、小野伸二、稲潤一、山雅志、南雄太、永井雄一郎しかいない。 「黄金世代」の20年を振り返る遠藤「俺が20年もやれたのは、運が良かったからやと思っている。1年目に(カルロス・)レシャック監督にサッカー観を変えられて、大きなケガがなくここまでやってこられた。でも、まだ、上にはシュン(中村俊輔)がいるし、俺らの同期では(小野)伸二やイナ(稲)を始め、ツボ(坪

    遠藤保仁は願う。「俺らを超える新しい黄金世代が早く出てきてほしい」
  • 遠藤保仁が黄金世代のライバルを語る「追い抜いてやろうと思っていた」

    佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun牛島 寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato 世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第10回:遠藤保仁(1) 「最初はベンチスタートを覚悟していた」 1999年のFIFAワールドユース(現在のU-20W杯)・ナイジェリア大会で、全7試合にスタメン出場を果たした遠藤保仁は、大会前、そう思っていたという。 1999年のワールドユースについて語る遠藤 前年の98年アジアユースでは、遠藤は2試合にスタメン出場したが、基的にはボランチの稲潤一と酒井友之の控えだった。その後フィリップ・トルシエが監督になり、99年2月のブルキナファソ合宿でも、主軸は稲でキャプテンにも指名されていた。トルシエ監督の信頼が厚い稲は、大会を戦うレギュラーポジションを確実にしていたのだ。 だが、その稲が大会

    遠藤保仁が黄金世代のライバルを語る「追い抜いてやろうと思っていた」
  • 黄金世代・遠藤保仁が忘れられない「いちばんキツかった」悔しい経験

    佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun牛島 寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato 世界2位の快挙から20年...... 今だから語る「黄金世代」の実態 第10回:遠藤保仁(2) 準優勝を遂げた1999年FIFAワールドユース(現在のU-20W杯)・ナイジェリア大会から帰国し、遠藤保仁は京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に戻った。 遠藤たち黄金世代は、ワールドユースで準優勝を遂げた photo by Yanagawa Go チームは調子が悪く、低空飛行を続けており、ワールドユース組の遠藤、辻茂輝、手島和希はチーム浮上の起爆剤として期待された。 だが、遠藤が最初に感じたのは、自分たちを見る視線の変化だった。 「準優勝して帰国したけど、俺はそんなに騒がれてなかった(笑)。(小野)伸二とかモト(山雅志)とか、活躍した選手が注目を集めていた。ただ

    黄金世代・遠藤保仁が忘れられない「いちばんキツかった」悔しい経験
    mozunikki
    mozunikki 2019/06/25
  • 王者・川崎を撃破。ガンバ大阪に、王座奪還への道は見えているのか

    J1第4節、ガンバ大阪が昨季J1王者の川崎フロンターレを1-0で下した。 ガンバは前節までの3試合を終え、総得点8、総失点8という"出入りの激しいサッカー"で、1勝2敗と黒星が先行していた。せっかくの高い攻撃力を生かし切れない。そんなもどかしい結果が続いていただけに、ある程度川崎に攻め込まれる時間が長くなることを承知のうえで、「0-0の試合にしていけば、どこかでチャンスがくる。とにかくゼロ(無失点)で進めて、勝つチャンスを増やそう、という話はみんなにしていた」(ガンバ・宮恒靖監督)。 その結果が、後半アディショナルタイムの91分に決勝ゴールを決めての劇的勝利である。MF遠藤保仁が語る。 「(相手にボールを)握られても我慢強くやれた。多少ピンチはあったが、全体としてはよく守れた。大きな勝ち点3。チャンピオンチームに勝てたのは自信になる」 もちろん、喜んでばかりはいられない。J1で2連覇中の

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  • 橋本英郎は「稲本潤一ら、えげつない同期のおかげでプロになれた」

    ベテランJリーガーの決断 ~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか 第6回:橋英郎(東京ヴェルディ)/前編 1998年、ガンバ大阪のアカデミーからトップチームに昇格した。「79年組」と注目された黄金世代のひとりではあったものの、プロとしてのキャリアは大学に通いながらの"練習生"としてのスタート。それゆえ、当時の仲間も、指導者も、「まさか日本代表になるとは、思ってもみなかった」と声をそろえる。 だが、周囲の予想をいい意味で裏切り、橋英郎は着実にキャリアを積み上げ、日本代表入りを果たし、今もまだボールを蹴り続けている。プロとして21年目。「とにかく、サッカーをやるのが楽しくてたまらない」と屈託なく笑う39歳の今に迫る――。 ◆         ◆         ◆ 「79年組」――いわゆる「黄金世代」という呼称は、日サッカー界では1979年4月〜1980年3月に生まれた選手を表現する際によく

    橋本英郎は「稲本潤一ら、えげつない同期のおかげでプロになれた」
  • オシムが語るコロンビア戦。「日本は相手の退場で勝ったのではない」

    W杯が始まった。各国の戦いを興味深く見ているが、なかでも特別な思いで追っているのは、かつてユーゴスラビアという名の同じ国であったクロアチアとセルビア、そして私が率いたことのある日だ。 その日が初戦でコロンビアに勝利した。W杯でアジアのチームが南米のチームを破ったのは史上初だ。まさに快挙という言葉がふさわしい。 コロンビア戦で決勝ゴールを決めた大迫勇也 photo by Sano Miki 正直、大会が始まるまで、日がコロンビア相手に勝ち点3を挙げられるとは思っていなかった。日が勇猛なチームであることは知っていたが、W杯前のデリケートな時期の監督交代は、あまりにもリスクが高かった。 おそらく西野朗氏が新監督に就任したことが、日を救ったのだと思う。西野氏はもともとチームの中にいた人間で、詳細なチーム内の状況を熟知していた。新監督に与えられた時間は少なかったが、それがあまり足かせになら

    オシムが語るコロンビア戦。「日本は相手の退場で勝ったのではない」
  • クルピ新体制で攻撃に苦しむガンバ。「J2陥落時のような不安が...」

    遠藤保仁をどこで、どう生かすのか――。沖縄2次キャンプを見る限り、そんな興味深いテーマが浮かんだが、今やそれどころではなくなってしまった印象だ。 レヴィー・クルピ新監督を迎え、攻撃的サッカーへの回帰を掲げるガンバ大阪のことだ。 今季からガンバの指揮を執るクルピ監督 遠藤を2シャドーで起用する4-3-2-1の新フォーメーションを導入して挑んだ、京都サンガ、東京ヴェルディとの練習試合をともに0-0で、遠藤をアンカーに置く、中盤がダイヤモンド型の4-4-2で臨んだ浦和レッズとの練習試合を1-1で終えると(いずれも主力組同士の結果)、帰阪してから4-2-3-1に変更。2月17日に徳島ヴォルティスとの最後のテストマッチを迎えたが、後半は完全に主導権を握られ、0-2と完敗してしまった。 指揮官は「収穫はこれが練習試合だったこと。まだ修正する時間がある」と気丈に語ったが、一方で「チームとしてレベルが低い

    クルピ新体制で攻撃に苦しむガンバ。「J2陥落時のような不安が...」
  • 堂安律がオランダでムキムキと体重増、監督にはビシビシともの申す

    今年に入り、FCフローニンゲンの堂安律はコンディションのよさを感じている。 現在、彼の体重は75kg。日にいたころより、3kgほど増えたのだ。堂安のことをよく知る者は「律、お前、筋トレしすぎと違うか?」と言う。しかし「筋トレ嫌い」と公言する彼は、「フィジカルコンタクトの激しい試合と練習によって、自然と筋肉がついた」と理解している。 強豪フェイエノールト相手にマッチアップを「楽しんだ」堂安律「やっぱり試合が一番、鍛えられると思います。次の日に筋肉痛が残って、ほどよい疲労感があるのが好きなんです。筋肉痛があると『ああ、もう筋トレをしないでいいな』という感じになります」 フローニンゲンのトレーナーからは「あと2kg増やして、77kgまで持っていきたい」と言われている。 堂安人は「(自分のフィジカルは)通用しているから(それまでの体重に対して)ネガティブに感じてない。今は重たくなってキレがなく

    堂安律がオランダでムキムキと体重増、監督にはビシビシともの申す
    mozunikki
    mozunikki 2018/02/16
  • 今の環境は「ある意味ヤバイな、と」井手口陽介が悩み抜いて海外へ

    1月4日、ガンバ大阪のMF井手口陽介が、イングランドのリーズ・ ユナイテッドへの完全移籍を発表した。 海外への移籍を決めた井手口陽介 彼にとっては、子どもの頃から憧れだった"海外移籍"。その決断にはサッカー人生でいちばん、時間を要したと言う。 「去年の夏頃から現実的に"海外"を考え始めましたが、そこからの半年は、何度も気持ちが行き来しました。シーズンが終わって、そろそろ決断しなければと思っても、答えがなかなか出せず......一度は答えを出したのに、また迷いが出たりもしました。 それを払拭できたのが、オグさん(小椋祥平/ヴァンフォーレ甲府)に言ってもらった『若い今のうちにしか、そういうチャレンジはできないんだから、チャンスがあるならビビらず行け』という言葉でした。 また、代理人の新井場徹さんが実際に現地に足を運んでくれて、僕が不安材料としていた、子どもの病院や育児にまつわる家族の生活環境や

    今の環境は「ある意味ヤバイな、と」井手口陽介が悩み抜いて海外へ
  • ガンバの堂安律、J1でも世界でも「マラドーアン」が止まらない!

    2017年、私のイチオシ「Jリーガー」(6) 堂安 律(ガンバ大阪/MF) スタンドから眺めていて、あるいはテレビで見ていて、自然と目がいくタイプがいる。レフティーの選手である。 「どうして?」と聞かれれば、「好きだから」としか答えようがない。左利きの選手、それも中盤のファンタジスタ系、マエストロ系のプレーヤーが。 日人では、名波浩、中村俊輔、家長昭博......。海外では、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)、ゲオルゲ・ハジ(ルーマニア)、デヤン・サビチェビッチ(ユーゴスラビア/現モンテネグロ)、アルバロ・レコバ(ウルグアイ)......。 そもそもレフティーは希少価値が高いうえに、ボールのさらし方や相手との間合いが独特かつ絶妙で、プレーのリズム、ドリブルのテンポも右利きの選手とは異なっている。さらに芸術性に優れた選手が多いから、攻撃で"違い"をもたらすことができるタイプが多い。 そん

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    mozunikki
    mozunikki 2017/01/23
    魔羅堂安
  • もはや相手も怖がらない。遠藤保仁が語るガンバ大阪「停滞のシーズン」

    ガンバ大阪・遠藤保仁インタビュー(1) Jリーグセカンドステージの天王山となった第14節の浦和レッズ戦。首位レッズを勝ち点4差で追う3位のガンバ大阪は、勝てばレッズとの差が勝ち点1差に縮まり、逆転優勝を狙える状況に持っていくことができる。しかし、ガンバは0-4で大敗し、優勝争いから脱落した。 「あれが、今の俺らの実力だと思う」 遠藤保仁は淡々とそう語った。 確かにこのレッズとの一戦、2014年に三冠を達成したときの勢いや、昨季のチャンピオンシップでサンフレッチェ広島と激闘を繰り広げたときのような勇ましさはなかった。 ガンバ大阪の今季の戦いぶりについて振り返る遠藤保仁 2016年シーズン、ガンバはファーストステージ6位、セカンドステージ4位、年間勝ち点4位という結果で終えた。チャンピオンシップ出場を逃し、ルヴァンカップでも決勝でレッズにPK戦の末に敗れてタイトル獲得を逃した。まだ天皇杯は残し

    もはや相手も怖がらない。遠藤保仁が語るガンバ大阪「停滞のシーズン」
  • 遠藤保仁が語るガンバ低迷の理由「選手の考え方にギャップがある」

    V候補はなぜ沈んだのか(3) ~ガンバ大阪編~ 7勝7敗3分け、勝ち点24。順位は6位だった。 ファーストステージでは上位争いにまったく絡めず、優勝した鹿島アントラーズには勝ち点15もの差をつけられた。昨季はベスト4入りしたAFCチャンピオンズリーグも、グループリーグで敗退した。 遠藤保仁は「この成績で6位というのも信じられないけど......」と、自嘲気味に語って厳しい表情を見せたが、まさかガンバ大阪がこんな成績で終えるとは、誰も想像できなかったはずだ。 開幕前は、多くのメディアや識者らが優勝候補に挙げた。 2014年シーズンには三冠を遂げて、昨季もナビスコカップ準優勝、天皇杯で連覇を達成。リーグ戦ではチャンピオンシップ決勝で敗れたものの、2ステージ制を最後まで戦った経験が、チームを一段と骨太に成長させた。そして今季、主力選手が軒並み残留し、さらにFWアデミウソン(横浜F・マリノス→)、

    遠藤保仁が語るガンバ低迷の理由「選手の考え方にギャップがある」
  • 福田正博が語る「宇佐美貴史が代表で輝くための宿題」

    ハリルホジッチ監督が就任した新体制の日本代表はいいスタートを切った。チュニジア、ウズベキスタンに連勝し、結果としても内容としても「いい船出」と言うべきだろう。 招集されたメンバー構成を見ると、バックアップも含めて新しい選手が呼ばれており、その新戦力を試したうえで結果を出した。しかも、監督が各選手の良さを引き出してくれた。この点も評価できるポイントだ。 ブラジルW杯やアジアカップでは、メンバーを固定化することで、競争がなくなる弊害が指摘されていたが、この先、若手や新戦力が起用されることで、競争意識がいい方向に働いていくことに期待したい。 2018年のロシアW杯へ向け、田圭佑や長友佑都、岡崎慎司ら北京五輪世代がチームの中心になっている現状から脱却し、これからはロンドン五輪世代や、その下の世代の突き上げがもっと必要になる。若手の活躍によって田らも刺激を受け、さらに成長していくはずだ。それが、

    福田正博が語る「宇佐美貴史が代表で輝くための宿題」
  • 【自転車】片山右京「僕が自転車にハマッたある人との出会い」

    西村章●構成・文 text by Nishimura Akira 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro 遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~ 【連載・第2回】 世界最高峰のレース――、ツール・ド・フランスに自らのチームを率いて参戦する、と宣言した片山右京。その壮大な夢に、誰もが驚きを隠せなかった。F1、そしてヒマラヤ山脈と、片山は様々なものにチャレンジし、その夢を実現させてきた。そして今、彼は何をキッカケに、自転車という新しい分野に目を向けるようになったのか――。 (前回のコラムはこちら) 自転車競技の魅力に引き込まれたキッカケを楽しそうに語る片山右京 片山右京は、昔から自転車競技と深い関わりを持っていたわけではない。この世界にのめり込む前は、自転車のスポーツライディングに対して、むしろ揶揄するような言辞(げんじ)を弄(ろう)

    【自転車】片山右京「僕が自転車にハマッたある人との出会い」
  • 【自転車】片山右京「F1、登山......。僕が見つけた、次なる夢」

    西村章●構成・文 text by Nishimura Akira五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro 遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~ 【連載・第1回】 今から22年前の1992年、ラルースチームから日人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦し、F1ブームの中心にいた片山右京。「カミカゼ・ウキョウ」の愛称でF1界に旋風を巻き起こした片山は、その後も耐久レースなどで活躍し、多くのモータースポーツファンに愛された。一方、登山家としても活動し、2001年にはヒマラヤ山脈にある世界第6位のチョ・オユー登頂に成功。さらに2006年にも、世界第8位のマナスル登頂を成し遂げた。そんな多方面で活躍する片山が、現在は自転車競技チームを率いて、新たな夢を追いかけているという。彼はいったい、次に何を目指しているのか。今、50歳になった片山

    【自転車】片山右京「F1、登山......。僕が見つけた、次なる夢」