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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (6)

  • ひきこもりの品格―精神的扶養家族からの脱却― - yuhka-unoの日記

    前回記事『無意識に理想が高い人』を書いたところ、予想外にブクマが付いてしまった。良い機会なので、以前から思っていたことを書こうと思う。 母に誘導され洗脳されて行った進路先で学んだことは、今となってはほとんど覚えていない。「今となっては」どころか、一年も経たないうちに忘れていたと思う。 その理由はよくわかっている。当時は洗脳されていたので、「自分で選んだ道なんだ。自分がやりたいからやっているんだ」と、自分自身に思い込ませている状態だったが、当は、最初から全くやりたくなかったし興味もなかったし向いてもいなかったからだ。 母はその進路を、「学費があまり掛からず、そこそこ安定している」という理由で選んでいたのであって、肝心の「私に向いているかどうか」を考慮に入れていなかった。いや、母の意識上では、娘はこの進路に向いていると思っていたのだが、それはただの後付けで、娘を自分にとって都合の良いように解

    ひきこもりの品格―精神的扶養家族からの脱却― - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/06/12
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/06/11
    「他人に評価されるレベルの普通」って無茶苦茶ハードル高いんだよねぇ……それを「こうあるべき」枠として感じてしまう事が、自らを苦しめる原因でもある気がする。
  • 「普通」の親が子供を追い詰める - yuhka-unoの日記

    このブログの中で、私は母と自分との関係の問題点について、沢山エントリを書いてきたけれども、私の母は、ごくごく「普通」の人だ。母ぐらいの世代の典型的日人と言ってもいい。表面上は非常に善良な一市民なのだ。 母は「普通」に依存していると言っても良い。批判されることや失敗を恐れる性格なので、「普通」の中に住み込むことで、安定と安心を得ようとするのだ。だから、自分のテリトリーを「普通」に保っておかないと、途端に不安になる。そのテリトリーとは家族だ。ただし、夫は自分より力が強いので、コントロールし切れない。母のコントロールの手は、必然、子供たちに伸びることになった。子供が少しでも、母にとっての「普通」から外れようとする兆候を見せると、母は無意識的に、子供を「普通」の枠の中に引き戻そうとした。そうしないと母は不安だったのだ。 私は幼い頃、幼稚園で、他の子は皆一緒に何かをしているのに、別室で一人で黙々と

    「普通」の親が子供を追い詰める - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/02/17
    「普通」の親が守りたいものって、あくまで自分自身なんだよね。子供が心配じゃないの、子供を通して世間からされる自分の評価が心配なの。
  • 「子離れ」とは、親の期待を跳ね除ける子供に逆ギレすることではない - yuhka-unoの日記

    SYNODOS JOURNAL : 新春暴論 ――「幸福」な若者を見限ろう 山口浩 私は過去に『いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる』『若者は何も言わず、ただ去るのみ』という一連の記事の中で、今の日社会は機能不全家庭の構造と共通していて、機能不全社会だということを述べたが、こちらの記事の内容は、まさに機能不全家庭の親の思考回路そのもので、非常に興味深かった。あくまでも「暴論」だそうなので、ここはひとつ「ネタにマジレス」してみようと思う。 曰く、年輩者による若者論は、都合のよい批判対象である若者を使った自分語りであると。若者を心配するふりをしながら、実際には不安なのは彼ら年輩者であり、閉塞感が蔓延する現在の状況がさらに進んだとしても、困るのも彼ら自身ではないか、と。何せ自分たち若者は、ニコ動とモバゲーと、あとは日々える程度の収入と仲間がいれば幸福と感じることができる

    「子離れ」とは、親の期待を跳ね除ける子供に逆ギレすることではない - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/01/20
    全体に渡って激しく同意。自分が解決すべき問題を子供に投影・転嫁しておきながら、自分は良い親だと思い込む輩は多い。何様のつもりなんだろうと常々思う。
  • 群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記

    きゃあー、燃え上がってもうたわ http://anond.hatelabo.jp/20110904145941 あれ、何か増田で場外乱闘状態になってる(笑)。まぁ、私が前回記事『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』のコメント欄で書いた >あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。 これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。 この部分がお気に召さない人がかなりいたってことだよね。これについては、私が以前書いた『「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感』の中に、私の気持ちが書いてある。 冗談じゃない。加害者がやったことはただのいじめだ。そこを乗り越えて立ち上がったのは被害者の功績である。こともあろうに加害者は、この言説によって、厚かましくも他人の功績を横取りしようとする。加害者ばかりでなく第三者が、「その人のおかげで今

    群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/01/17
    『世間には、「どんな親でも、子供を愛している」「親子は、いつかわかりあえるもの」という幻想が存在している。』あるある。しかもその根拠が「血が繋がっているから」と言われた時の下らなさったらないね。
  • 他者を使った自己肯定―子供に自分と同じ人生を歩ませたい親― - yuhka-unoの日記

    自分は実際のところ、不幸で不意な人生を歩んでしまっている。しかし、今更自分は不意な人生を歩んでしまったとは認めたくない。認めるのはあまりにも酷だ。自分の人生は幸せだったのだと思いたい。 このような親の中には、子供に自分と同じような人生を歩ませようとする親がいる。子供に自分と同じ人生を歩んで欲しい、そしてそれを子供自身が幸せだと思って欲しいという願望を持っている。そういう子供を見て、自分の人生は間違っていない、自分の人生は幸せだと確認したいのだ。 これは、子供を使った自己肯定だ。このような子供は、子供自身のためではなく親のための人生を歩まされる。その一生をかけて、親に対して「ほら、あなたと同じ人生を歩んでいる私は、こんなに幸せなんですから、あなたの人生も間違っていないし、幸せなんですよ」と言い続けるために存在させられる。 このような親は、子供が自分とは違う方法で、子供自身の人生を歩んでい

    他者を使った自己肯定―子供に自分と同じ人生を歩ませたい親― - yuhka-unoの日記
    mu_hal
    mu_hal 2012/01/17
    「本当に自分にとって良い生き方を選んで、自分の人生に満足している親は、子供に押し付けたりはしない。」これに尽きる。
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