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歴史に関するmukunokiy0725のブックマーク (128)

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/09/24
    横浜から始まったというのは初めて知った。蒲田や大森もデマの中継地だったんだな。
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/08/16
    ツタンカーメン展で「シャブティって何? ミキティと関係(ry」的な話をしてたおっさんがあれこれ調べております
  • 大森捕虜収容所(1) | 大田区・大森

    証言・大森捕虜収容所: 06年夏・平和島から/1 作家・小関智弘さん /東京 ◇“大豆コーヒー”の記憶 ◇いたわり打ち砕くムチ 大田区の平和島競艇場は開催日、モーターボートが水面を水しぶきを上げながら滑走する。3万2000人収容の観客スタンドが巨大な軍艦のように横たわる。 レジャーランドとして名高い東京湾岸の平和島は太平洋戦争当時、名もない人工島だった。 □   □ 「大森収容所はあのスタンド付近に……」。作家の小関智弘さん(73)=同区山王3=が指さした。代表作に『大森界隈(かいわい)職人往来』がある小関さんは大田区で育った。「作業に出てきた捕虜のことをよく覚えています」 1944年、小関さんは国民学校(現小学校)6年だった。 そこには関東甲信越を管轄する連合軍捕虜収容所の部があった。正しくは「東京俘虜(ふりょ)収容所所」という。京浜運河開削に伴う土砂を埋め立てた人工島に43年7月開

    大森捕虜収容所(1) | 大田区・大森
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/06/07
    小関智弘さんの『大森界隈職人往来』、以前チェックだけして忘れていた。図書館で探してみよう。
  • 西暦775年、天の異変は記録されていたのか?

    麻里 @hashimoto_tokyo 【科学】共同:8世紀、宇宙環境が大変動 超新星か太陽爆発か…原因は謎 http://t.co/r0cOvqK8 「775年に地球外から飛来した宇宙線が前年比で過去3千年間では最大級の増加率で急増し、原因が特定できないことを名古屋大の増田公明准教授らが明らかに」 2012-06-04 02:10:49 しかのつかさ @sikano_tu 西暦775年に宇宙から強放射線が降り注いだとな。 http://t.co/7hyD28Ez 炭素同位体比を変えるのは高エネルギーなので普通は銀河放射線を疑うけど、先日可能性が指摘されたスーパーフレアならありかな。スーパーフレアなら赤気(低緯度オーロラ)の記録とかありそうだけど。 2012-06-04 06:48:57

    西暦775年、天の異変は記録されていたのか?
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/06/05
    Some people find description related to the news ”A signature of cosmic-ray increase in AD 774-775 from tree in Japan" http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature11123.html in Chinese and Japanese history books.
  • 昭和初期の『格差』について

    @bukrd405 昭和5年、東京の大企業に勤めるエリートサラリーマンは、新婚旅行まで含めると800円を超える豪華な結婚式を挙げていたが、同じ年の東北農村の親は、その五分の一にも足りぬ130円の金を得るために、娘を身売りに出していた。その数は、一つの村だけで数十名を超え、東北全体で数万に達した。 2012-05-22 11:57:50 @bukrd405 東北では娘売りとは別に、6~7歳の子を売る風習もあった。東京でも東端の職人街では、わずか3銭(100銭が1円)で買い与えた「うずら豆50粒」を兄弟3人で奪い合って母親は上の子を殴りつける家もあった。 2012-05-22 12:01:04 @bukrd405 《昭和初期の月収一覧》 職業軍人(中尉):85円 工場労働者:50円 巡査:30~60円 小規模商人:30~50円 住込工員(住つき):12円 住込奉公人(住つき):3~10円 

    昭和初期の『格差』について
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/05/25
    家船の話題に目が行く俺は興味が偏っとるな
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    mukunokiy0725 2012/05/22
    豊平文庫で青空文庫の『伊沢蘭軒』を読んでて。真光寺について出てきたので調べてたら目を惹かれた
  • 【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】

    徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも

    【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/05/20
    野村胡堂さんが『胡堂百話』でインタビューされてた相撲好きの徳川家達さんは系図がちょっと違うのかー。
  • 大井海岸三業地の成り立ちと歴史

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    mukunokiy0725 2012/05/12
    まつ乃家さんのサイトにある記事。勉強になります。
  • 子安宣邦先生-「起こるべくして起こった」南京事件の証言:〈南京事件〉に従軍した火野葦平、そして小林秀雄とのやりとりや二人の記録の戦前・戦後の変更から見えてくるもの。

    『麦と兵隊』で有名な従軍作家・火野葦平は南京攻略作戦に従軍していることでつとに有名。従軍の渦中、出征前に発表した『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞している。授与式は戦地で行われたが、日からは小林秀雄がおもむいた。火野は「南京事件」そのものについては作品で表現していない。しかし、前後の会戦を材料にしたのが「兵隊三部作」。戦前伏せ字で発表された作品、そして芥川賞授与に赴いた小林の証言に耳を傾けると「事件」が必然だったことは明らかであろう。加えて火野が戦後に改訂した作品には「武勇伝」は消え、火野の話を現地で聞いた小林の証言は、戦後の彼の著作集・全集からは削除されている。

    子安宣邦先生-「起こるべくして起こった」南京事件の証言:〈南京事件〉に従軍した火野葦平、そして小林秀雄とのやりとりや二人の記録の戦前・戦後の変更から見えてくるもの。
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    mukunokiy0725 2012/04/18
    参考。
  • ツラニズム再考

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/03/21
    ヤポネシア、とまた違う捉え方が面白く。
  • ツラン民族圏

    かつて日とアジア大陸、ユーラシア大陸との間の距離は今よりも近しいものであった。 それは日清・日露戦争、シベリア出兵という形を取って庶民の生活に否応なく 入り込んできたり、白系ロシア人の亡命や中国の革命運動との関わりや 朝鮮半島の併合といった、直接・間接取り混ぜた良くも悪くも”リアル”な 関係であった。 対米事大主義に陥った戦後外交政策と、一種の暗黒大陸であったソ連や 共産中国、緩衝地帯としての朝鮮半島という存在を対外認識の初期値として 与えられ育ってきた戦後生まれの世代にとっては、”大陸”は文字通りの 彼岸であったが、冷戦体制の崩壊後徐々にリアルな存在へと変貌を遂げている。 とはいえそれでもまだ昔に比べて大陸が身近かどうかは疑わしい。 「陰謀と幻想の大アジア」で海野氏が指摘しているように、20世紀の前半は 今よりももっと大陸と日の関係は深かったのではないか。 いずれここでも取り上げたい

    ツラン民族圏
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/03/21
    世界史の裏側として読むと面白いが、政治屋さん間に受けないで
  • 「鬼」描いた平安の土器 奈良・橿原の遺跡で見つかる - MSN産経ニュース

    「鬼」の顔を墨で描いた平安時代後期(12世紀初め)の土器が奈良県橿原市の新堂遺跡で見つかり、市教委が2日、発表した。同時期の出土例は極めて珍しいといい、市教委は「鬼を土中に封じ込める祭祀(さいし)に使われた可能性もある」としている。3日は「節分」。 市教委によると、鬼の顔は、割れた土器の底の部分に直径10センチほどの大きさで描かれていた。角はないが、「へ」の字口や上向きの牙、太い眉毛、丸い目などの特徴が表現されている。 木枠の井戸の中に、鬼の顔が天を向く状態で土に埋もれていた。井戸を埋め戻す際、意図的に土器を割って鬼を描き、埋めたとみられる。 市教委は「平安時代の末法思想の影響で、地下世界に住むと信じられていた鬼が地上に出るのを恐れ、封じ込める祭祀に使われたのではないか。鬼を払う国内最初期の儀式の可能性もある」としている。 4日~3月31日、橿原市千塚資料館で展示される。

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2012/02/02
    またタイムリーに節分前に発表しはったな。
  • 幕末の「京都大地震」も克明に 高僧の日記、京都の寺で発見+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    江戸時代末期の京都大地震や、幕末・維新の激動する京都を60年間にわたり記録し続けた高僧の日記135冊が、真宗興正派の山興正寺(京都市下京区)で見つかったことが23日、分かった。同派は「日史の空白部分を埋める貴重な史料」として、楷書体(かいしょたい)に直した上で平成24年中に刊行を始める。 日記は同派の27世門主、華園摂信(はなぞの・せっしん、寂上人)が、数え年11歳だった文政元(1818)年から、70歳で亡くなる直前の明治10(1877)年まで、天気や事、京の出来事をほぼ毎日欠かさずつけていた。 京都大地震は愛宕山(京都市右京区)付近を震源とするマグニチュード6・5の直下型地震で、死者は284人を数えたと伝わる。摂信の日記には、発生した文政13(1830)年7月2日、興正寺境内の宝蔵や塀などが倒壊し、宗祖親鸞の像を運び出して野営したことなどが記されている。 さらに数日間は「地動未止

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    mukunokiy0725 2012/01/24
    浄土真宗の華園摂信和尚の日記とな。
  • 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記 - 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記

    日(2011.11.7)からブログをはじめました。 よろしくお願いします。 海○○人さま、初めまして、わたくしは大分県由布市湯布院町に住む秋永祥治(あきながしょうじ)と申します。S23年福岡県久留米市篠山町生まれの62歳です。父・祖父等の実家は福岡県浮羽郡田主丸町以真恵という所で農家でした。久留米地域には秋永の姓は数が少なく学校でも珍しがられていました。父はH2年に亡くなりましたが、生前秋永家の由来を訊ねたことがあります。海軍将校だった父も青年のころ興味を抱いたらしく、菩提寺の過去帳等でいろいろ調べたところ、詳しいことは解らなかったが、『以前は柳川?の藩士であったが、お家騒動で脱藩して田主丸で農民として住むことになった。と想われる。』由。一緒に脱藩時、他の秋永姓のものは、大分県の耶馬溪の方に逃げたらしい。と父から聴いていました。それ以前のことは不明でした。 九州では秋永の姓は、福岡県は田

    「息長氏は秋永氏である。」の顛末記 - 「息長氏は秋永氏である。」の顛末記
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2011/12/26
    私研究だが面白そう。短期間に量ある文章が発表されている。これから読み始めよう。
  • asahi.com(朝日新聞社):江戸を語る人骨1万体 小柄な体躯・栄養失調・伝染病 - 社会

    印刷 国立科学博物館が収集している人骨。刀傷が残る骨もある=東京都新宿区百人町、渡辺延志撮影  東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館(科博)が大量に保管している。ざっと1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態も悪かった。時代劇のイメージとは違う江戸の人々の厳しい暮らしぶりが、浮かび上がってくる。  「この頭の骨は左の側面に鋭い刃物の傷が2。日刀で斬り殺されたのでしょうね」「青黒いシミがついたこちらの骨は、梅毒の痕跡ですよ」  新宿区百人町の科博新宿分館。人骨がびっしり並ぶ人類研究部の収蔵庫で、人類史研究グループ長の篠田謙一さんが説明する。  研究用に科博は20年ほど前から、開発業者などが持ち込む江戸時代の人骨を受け入れてきた。分館は来春までに茨城県つくば市に移転する予定で、荷造りを前に人骨の分類やクリーニングが続く。  骨は江戸の人々の暮らしぶりを伝えて

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    mukunokiy0725 2011/12/18
    分館移転するのかー/庶民に無理を強いることでも江戸は成り立ってたんだな
  • CNN.co.jp:魔女裁判の地で小屋発掘、壁の中にはミイラ化したネコ 英国

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    mukunokiy0725 2011/12/18
    猫よりも生活用品が残ってるのが魅力的
  • なぜイスラム教は原理主義に走るのか?:日経ビジネスオンライン

    伊東氏の『常識の源流』は毎回欠かさず拝読していますが、今回の「イスラム原理主義とキリスト教原理主義」についてのご指摘には、目からうろこが落ちる思いでした。これは日の「権威ある学者」の口からはとても出て来ない内容で、あげ足をとられることなど意に介さず、イスラム原理主義の源流をつきとめようとする、伊東氏ならではの力作と感服しました。読書の醍醐味は、それによって知識を得ることもさることながら、著者の発言に触発され、それまでもやもやしていたものがすっと腑に落ちるところにあると思います。続編を心待ちにしています。なお一頁目で「イドリース朝が8世紀のイベリア半島を支配していた」、「イベリア半島は15世紀末までイスラム文化圏であった」と読めますが、これは定説とはすこし異なるように思います。ただこれも伊東氏が強調しようとしておられる、イスラム勢力圏がアフリカ北岸からイベリア半島にまで広く及んでいた時期が

    なぜイスラム教は原理主義に走るのか?:日経ビジネスオンライン
    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2011/11/22
    プロテスタントをそういう風に眺めたことなかった。僕が子供の頃通ってた福岡警固教会は日本基督教団だから僕の中には微かにプロテスタントの教えがあるはず
  • 女子学生と霊明神社に行き、名古屋で並河誠所とあそぶ - 歴史と地理な日々(新版)

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    mukunokiy0725 2011/09/27
    並河が考証の深浅に関わらず建碑・建墓しているのは知られたことなのね
  • 『むくげ通信』181号、2000

  • 王仁墓

    王仁博士の墓 2003.7.13 郷土の文化財を訪ねる会 JR長尾駅前に大きく掲げられた附近の略図だが、「王仁の墓」の紹介説明板である。 今年になってはじめて、「大阪文化財センター」の「郷土の文化財を訪ねる会」に参加した。今年4回目だが、 3回とも今まで行った事のある場所ばかりだったのでパスしていたのだが、今回はここへ行くというので参加 する事にした。雨が心配だったが家を出るときは降っていなかったので勇んで家を出たが、JR学研都市線の 長尾駅に着いたらパラリパラリと降ってきた。正俊寺、菅原神社と巡ってここへ来た。所狭しと植えられたむ くげの花が、折からの雨に打たれて妖艶な色合いをより一層艶やかにしていた。むくげは夏から秋まで長く咲 き続ける花で、とりわけ韓国では「無窮花(ムグンファ)」と呼ばれて、民族のシンボルの花としても愛され ている。 「古事記」の応神天皇15・16年の条に、「阿直岐(

    mukunokiy0725
    mukunokiy0725 2011/09/27
    墓の「捏造」についての話は興味深い