言語や宗教の違いも、軽やかに超えてしまうエチオピアの村人たち。 ふつうに複数の民族の言語を話せるし、宗教が違っても、 困ったときには、ためらいもなく別の神様に頼っている。 いっけん「民族」というものが、あまり重要でないかのようにも思えてしまう。 でも、人びとの付き合い方をよくみていると、 やっぱり「民族」が、ひとつのベースになっているのも事実。 こうした状況をどのように理解したらよいのだろうか? 文化人類学の有名な理論に「エスニック境界論」というのがある。 これは、フレドリック・バルトという人類学者が1960年代末に唱えた理論。 簡単にいうと、民族は、中身が違うから違うのではなくて、 違う民族だという境界線が引かれることで、違うものになる。 なんだか、なぞなぞのようだけど、もう少し具体的に説明していこう。 ふつう、民族が違えば、文化も違うと考える。 でも、よく調べると、同
KOREA JOONGANG DAILY Nov 13,2009 On changing citizenship laws(魚拓) 韓国法務部は、国籍法を改正し二重国籍の許容範囲の拡大を提言する予定だと発表した。提言の趣旨は、単一国籍政策の制限を緩めることにある。 国外で勤務あるいは研究に従事している両親から生まれた者は、韓国において外国籍者としての権利を行使しないと誓約する限り、二重国籍のままでいることが許される。現時点では、22歳までに二重国籍のうち一方を選択しない場合、自動的に韓国籍が放棄される。 才能ある外国籍者は、国内滞在期間に関係なく韓国籍の取得が許される。外国籍を行使しないと誓約すれば、韓国籍を放棄する必要はなくなる。この措置は、自動的国籍放棄の問題を是正し、世界中から才能ある人材を惹き付ける方法として歓迎されるものである。 出生地ではなく血統によって国籍を決定するという我々
「民族性」というものは、その自覚の有無にかかわらず、おそらく数千年だか数万年だか前から存在する。しかし、「民族主義」はそのような「民族性」の自覚の上に成り立ったものであり、たかだか100年から200年の歴史しかない近代の問題だ。なので、この二つの問題は明確に区別しなければならない(ここまでは当たり前の話)。 実際の話、「民族性」そのものは、誰にも否定できるものではない。たとえ様々な民族の間に生まれ育った場合であっても、いかなる「民族性」も持たない人間は存在しないし、人が母語として話す言葉はすべてどこかの民族語であり、誰もがどこかの民族的文化の中で育つのだから(例外はむろんある)。もっとも、そういう民族性も永遠に不変なわけではない。 ただ、そのことと「民族主義」の問題ははっきりと区別すべきだ。「民族性」を肯定することは、それ自体「民族主義」を肯定することではないし、「民族主義」を批判ないし否
「民族性」というものは、その自覚の有無にかかわらず、おそらく数千年だか数万年だか前から存在する。しかし、「民族主義」はそのような「民族性」の自覚の上に成り立ったものであり、たかだか100年から200年の歴史しかない近代の問題だ。なので、この二つの問題は明確に区別しなければならない(ここまでは当たり前の話)。 実際の話、「民族性」そのものは、誰にも否定できるものではない。たとえ様々な民族の間に生まれ育った場合であっても、いかなる「民族性」も持たない人間は存在しないし、人が母語として話す言葉はすべてどこかの民族語であり、誰もがどこかの民族的文化の中で育つのだから(例外はむろんある)。もっとも、そういう民族性も永遠に不変なわけではない。 ただ、そのことと「民族主義」の問題ははっきりと区別すべきだ。「民族性」を肯定することは、それ自体「民族主義」を肯定することではないし、「民族主義」を批判ないし否
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く