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古代とトルコに関するnagaichiのブックマーク (26)

  • ヒッタイト王国の粘土板か 日本調査隊 トルコ古代遺跡から発掘 | NHK

    3000年以上前、今の中東地域で強大な勢力を誇った「ヒッタイト王国」のものと見られる粘土板を、日の調査隊がトルコの古代遺跡からほぼ完全な状態で発掘しました。粘土板にはヒッタイト語のほか国家的な宗教儀礼で使われていたとされる言語「フリ語」も刻まれていて、発掘した研究者は「この遺跡が王国の重要な都市だったことを示唆するものだ」としています。 粘土板が発掘されたのは、トルコ中部にある「ビュクリュカレ遺跡」です。 この遺跡では、15年前から中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所の松村公仁研究員が率いる日の調査隊が調査を行っています。 去年5月、遺跡の北側から70行にわたってくさび形文字が刻まれた手のひらほどの大きさの粘土板がほぼ完全な状態で見つかりました。 粘土板は文字の形から今からおよそ3300年前、紀元前14世紀ごろのヒッタイト王国の時代のものだと考えられ、ヒッタイト語だけでなく当時

    ヒッタイト王国の粘土板か 日本調査隊 トルコ古代遺跡から発掘 | NHK
  • トルコの古代遺跡から未知の言語が記された粘土板が発見される : カラパイア

    3,000年以上も忘れ去られていた、失われた言語の存在が明らかとなった。 トルコのアナトリア中央部にあった、ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャの遺跡から出土した粘土板に刻まれていた楔形文字のおかげだ。 それはこれまで知られることのなかった、インド・ヨーロッパ語系の言語カラスマ語で、ヒッタイト帝国の歴史文化を知ることができる貴重な発見である。

    トルコの古代遺跡から未知の言語が記された粘土板が発見される : カラパイア
  • トルコで発見された円形の遺跡。失われた古代都市「ジッパランダ」か? : カラパイア

    約4000年前、古代民族アナトリア人は高度な文明をもつヒッタイト帝国を築いた。彼らが残したヒッタイト文書には、現在のトルコにあったという、失われた礼拝の中心地「ジッパランダ」についての記述がある。 トルコ、ウシャクル・ホユック遺跡で円形の遺跡が発見された。この新たな発見は、ここが古代の聖都「ジッパランダ」だったのではないかという推測をさらに濃厚なものにしている。

    トルコで発見された円形の遺跡。失われた古代都市「ジッパランダ」か? : カラパイア
  • ヒッタイト帝国滅亡の引き金か、3年続いた大干ばつの証拠を発見

    古代帝国ヒッタイトの首都ハットゥシャにあるライオンの門。現在のトルコ中部に位置する。ヒッタイト人は紀元前1千年紀に強大な帝国を築き、エジプトやアッシリアと戦ったが、紀元前1198年頃に「消滅」した。(PHOTOGRAPH BY ALI BALIKCI, ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES) トルコのアナトリア半島で発掘された3200年前の木の年輪を調べた結果、同半島の中部で深刻な干ばつが3年続いたことが判明し、紀元前およそ1200〜1150年の青銅器時代後期にいくつかの文明が崩壊した時期と重なることがわかった。アナトリア半島中部はヒッタイト帝国の中心地で、当時、最も大きな被害を受けた地域の一つだ。 この時期に起きた謎の文明崩壊は、一般的に「青銅器時代の崩壊」や「前1200年のカタストロフ(破局)」などと呼ばれ、ヒッタイト帝国やギリシャのミケーネ文明に加えて、多くの小国や

    ヒッタイト帝国滅亡の引き金か、3年続いた大干ばつの証拠を発見
  • 絶滅とされた古代ローマ「幻の植物」をおそらく発見、食べてみた

    マームット・ミスキ氏の手のひらに置かれたフェルラ・ドルデアナの花。トルコ中央部ハッサン山の近くで採取したもの。(PHOTOGRAPH BY ALICE ZOO) 黄金の花を咲かせる植物「シルフィウム」は、古代ギリシャの勃興前からローマ帝国の最盛期まで、地中海世界で最も愛された材のひとつだった。 腹痛からイボの除去まであらゆる症状に効く万能薬とされたほか、レンズマメを煮込む際に香辛料として使われたり、最高級のフラミンゴ料理に添えられたりもした。ユリウス・カエサルがローマに君臨した時代には、黄金とともに500キロ以上のシルフィウムが宝物庫に貯蔵され、その苗には銀と同等の値がつけられたという。(参考記事:「古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは」) シルフィウムに関する最古の記録は、紀元前638年のもの。北アフリカ、現在のリビアがあるキレナイカの沿岸で「黒い雨」が降った後にこれが生えたと

    絶滅とされた古代ローマ「幻の植物」をおそらく発見、食べてみた
  • 「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ

    トルコ・イスタンブールで一般公開された「地下宮殿(バシリカ・シスタン)」の名で知られる貯水槽(2022年7月26日撮影)。(c)Yasin AKGUL / AFP 【8月6日 AFP】国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産に登録されているトルコ・イスタンブール歴史地域で、「地下宮殿(バシリカ・シスタン、Basilica Cistern)」の名で知られる貯水槽の一般公開が再開された。 この貯水槽は、紀元542年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(Justinian the Great)によって建設された。5年の改修を経て、音と光の演出を楽しみながら涼を味わえる空間となった。 ユスティニアヌス1世の時代に首都だったこの街には、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて建設された貯水槽が100か所以上存在した。(c)AFP

    「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ
  • 7万人が居住可能な約2000年前の地下遺跡がトルコで発見される

    最大7万人が居住できたとみられる約2000年前の地下遺跡が、トルコ南東部のマルディン県ミドヤトで発掘されました。地下に広がる広大な空間には、ローマ帝国によって迫害された初期のキリスト教徒らが住んでいた可能性があるとのことです。 Huge Underground City Discovered in southeastern Turkey https://ftnnews.com/news-from-turkey/43832-excavations-in-cave-reveal-huge-underground-city-in-turkiye Excavations reveal huge underground city in Turkey’s Mardin | Daily Sabah https://www.dailysabah.com/life/history/excavations-r

    7万人が居住可能な約2000年前の地下遺跡がトルコで発見される
  • 3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国

    3000年近く前に彫られた古代の神々の横顔。警察が盗掘者を追跡し、この地下施設にたどり着いた。新アッシリア帝国がこの地域に進出した紀元前8世紀に建設されたと思われる(PHOTOGRAPH BY Y. KOYUNCU AND M. ÖNAL, ANTIQUITY PUBLICATIONS LTD) トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。5月11日付の学術誌「Antiquity」に発表された。(参考記事:「メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式」) この壁画が見つかった経

    3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国
    nagaichi
    nagaichi 2022/05/14
    宗教的な侵略を「ソフトな統治」と言い換えて良いならばだが。
  • 古代メソポタミアの戦車を引いていたのは「史上初のハイブリッド種」のロバだった! - ナゾロジー

    約4500年前のメソポタミアで、四輪戦車をけん引するために使用された動物・クンガ(kungas)。 その存在は古くから知られていたものの、クンガがどんな生き物であるかは分かっていません。 しかし今回、ジャック・モノ研究所(IJM・仏)により、クンガはロバの家畜種と野生種を交配させたハイブリッドだったことが判明しました。 これは、人の手による史上初のハイブリッド種であり、軍用馬の登場より500年以上も早いとのことです。 研究は、1月14日付で学術誌『Science Advances』に掲載されています。 These Ancient ‘War Donkeys’ Were Likely The 1st Human-Bred Hybrid Animals https://www.sciencealert.com/ancient-war-donkeys-kungas-were-likely-the-

    古代メソポタミアの戦車を引いていたのは「史上初のハイブリッド種」のロバだった! - ナゾロジー
  • nix in desertis:奇しくも『エーゲ海を渡る花たち』の逆コース

    ・修道院所蔵の刀剣、5000年前のものと判明 伊ベネチア(CNN) → タイトルに「5000年前のものと判明」とあるのに,文に「この合金は主に紀元前4世紀の終わりから同3世紀初めにかけて使われていたもので」とあって,どっちが正しいのかといぶかしんで原文に当たってみると,"the end of the 4th and beginning of the 3rd millennium BC" となっていたからタイトルが正しい。文の方はmillenniumを盛大に誤訳している。 → ついでに文の末尾に「修道院の記録文書の調査担当者によると、刀剣は1886年の8〜9月、トルコのトラブゾンにある同じ宗派の聖職者組織から贈り物として届けられたという。」とあるが,トラブソンとヴェネツィアで同じ宗派? となってこれも原文の該当部分を読むと,"the monastery is home to the M

    nagaichi
    nagaichi 2020/09/01
    歴史的にオスマン帝国領のアナトリア半島東部にもアルメニア人がかなりいたんだよなあ。帝国末期のアルメニア人虐殺を思うと悲しい。
  • Yahoo!ニュース

    山川穂高、FA行使なら候補1択か 元西武コーチ見解「金銭的に太刀打ちできない」「欠けたピースにはまる」

    Yahoo!ニュース
  • モンゴル高原に14本の大型突厥碑文に囲まれた方形列石タイプのユニークな古代トルコ王侯遺跡が出現!

    大阪大学大学院言語文化研究科の大澤孝(おおさわたかし)教授とモンゴル国科学アカデミー歴史・考古学研究所との合同調査隊は、2015~2017年の3年間にわたる共同発掘調査で、モンゴル東部のドンゴイン・シレー(現地語でシレーは’机‘を意味し、ここでは’高原状の草原’の意味)と呼ばれる広大な高原から、モンゴル高原及び中央ユーラシア地域を通じても唯一の、大型の突厥碑文14から囲まれた方形列石タイプの極めてユニークな碑文遺跡を発掘しました (図1) 。 今回の発掘の結果、遺跡の地中からは、復元すると全長4~6mほどの花崗岩からなる大型の突厥文字碑文が14も出土しました (図2) 。そのうちの2つの碑文表面からは、新種の契丹文字を用いた墨書碑文1点と刻文1点も新たに発見されました。これらの碑文は、これまでの突厥碑文の中でも最大級のものです。遺跡からは、放射性炭素分析から西暦8世紀代に遡る供物用の

    モンゴル高原に14本の大型突厥碑文に囲まれた方形列石タイプのユニークな古代トルコ王侯遺跡が出現!
  • 突厥、巨大碑文14本 8世紀、王侯の墓か モンゴル:朝日新聞デジタル

    6~8世紀に中央アジアを支配する大帝国を築き、歴代中国王朝とも渡り合ったトルコ系騎馬遊牧民、突厥(とっけつ)。その突厥文字(古代トルコ文字)が刻まれた14の巨大な碑文が、モンゴル東部でみつかった。大阪大大学院の大澤孝教授(古代トルコ史)が8日発表した。碑文が出土した遺跡は8世紀半ばごろの王侯の墓…

    突厥、巨大碑文14本 8世紀、王侯の墓か モンゴル:朝日新聞デジタル
    nagaichi
    nagaichi 2017/12/09
    https://twitter.com/imaikuni/status/939125324532531202 大澤説は『新唐書』突厥伝下で「判闕特勒」とされてる人かな。ビルゲカガン(毘伽可汗)の子で、オズミシュカガン(烏蘇米施可汗)や白眉可汗の父にあたる人物か。
  • 【動画】湖の底で3000年前の要塞を発見、トルコ

    トルコ東部、イランにも近い位置にあるトルコ最大の湖ワン湖(ヴァン湖)は、一見ほかの湖と同じように見える。美しい青色の湖面は多くの観光客を集め、周辺の町を潤している。だが、その湖の底には、何千年も知られることのなかった別の町が隠れていた。(参考記事:「【動画】湖底に沈んだゴーストタウンが出現」) 遺跡が見つかったのは、ダイバーたちのチームとワン百年大学の考古学者らが、湖の潜水調査を行っているときだった。 ダイバーチームを率いたタフシン・ジェイラン氏は、トルコのアナドル通信社に対して、この地域に詳しい考古学者からは、見つかるものはほとんどないだろうと言われていたことを明かしている。 チームはそれでも、水中に古代遺跡が存在するという地元の噂を信じて、調査を行うことにした。ジェイラン氏は地元メディアに対し、遺跡はほぼ1キロメートルにわたって広がっていると話している。3~4メートルほどの要塞の壁を目

    【動画】湖の底で3000年前の要塞を発見、トルコ
    nagaichi
    nagaichi 2017/11/20
    ウラルトゥの遺跡とな。
  • サンタクロースの墓を発見か、トルコの教会の床下

    トルコ、アンタルヤ県にあるミラの聖ニコラウス教会の内部。聖ニコラウスが葬られたと思われる墓が見つかったと考古学者らが主張している。(PHOTOGRAPH BY ALI IHSAN OZTURK, ANADOLU AGENCY, GETTY) サンタクロースはどこにいるのだろう? 北極でないことは確かだが、サンタクロースのモデルといわれる聖ニコラウスが眠っている場所についても、考古学者の意見は分かれている。(参考記事:「真夏にサンタ大集合、熱気あふれる写真23点」) 聖ニコラウスは、クリスマスのシンボル、サンタクロースのモデルとなったといわれる実在の人物だ。彼の墓について、トルコの考古学者チームが新たな可能性にたどり着いた。トルコ南西部、アンタルヤ県の教会にあるモザイクに覆われた床の下をスキャンして調査したところ、未知の墓の存在を示唆する結果が得られたのだ。(参考記事:「封印を解かれた「キリ

    サンタクロースの墓を発見か、トルコの教会の床下
  • 紀元前15世紀、アナトリア半島に築き上げられたヒッタイト帝国の首都ハットゥシャを訪ねて(トルコ) : カラパイア

    紀元前15世紀頃アナトリア半島にヒッタイト帝国を築いたヒッタイト民族。最初の鉄器文化を築いたとされており、他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。 トルコの小村、ボアズカレが古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャと確認されたのは、1906年のことだ。以来ゆっくりと発掘が進められている。

    紀元前15世紀、アナトリア半島に築き上げられたヒッタイト帝国の首都ハットゥシャを訪ねて(トルコ) : カラパイア
  • 8世紀後半のオーロラの絵?発見…世界最古か : 科学・IT : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    8世紀後半の中東で描かれたオーロラとみられる絵が見つかったと、京都大などの研究チームが明らかにした。 現在のトルコ南東部で暮らしていた修行者が書いた年代記の余白に、オーロラが横向きに描かれていた。オーロラの絵としては世界最古の可能性があるという。 京大の磯部洋明准教授(宇宙物理学)や大阪大の大学院生・早川尚志さん(東洋史)らのチームが世界の文献から過去のオーロラを調べる中で見つけた。 描かれていたのはバチカン市国の図書館が保管している「ズークニーン年代記」という書物。トルコ南東部の街ディヤルバクルの近くにあった修道院の修行者が、日々の出来事をシリア語で書き留めていた。771~72年にかけての出来事として、「東西の端から北の空いっぱいに、血のような赤、緑、黒、黄の 杖 ( つえ ) が下から上に立ち上がった」「それは70通りに形を変えた」などと、オーロラの特徴によく似た記述があり、その横の余

    8世紀後半のオーロラの絵?発見…世界最古か : 科学・IT : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 2400年前の漫画か?「元気に人生を楽しもう」というメッセージ付き骸骨モチーフのモザイクが発見される(トルコ) : カラパイア

    骸骨から人生を励まされるなんて滅多にあることではない。トルコで発見された2,400年前の骸骨の絵柄をしたモザイクは、「元気に人生を楽しもう」というメッセージを携えていた。 この珍しいモザイクはシリアと国境を接するハタイ県で発見された。ここはアンティオキアというかつてローマ帝国に支配されていたヘレニズム都市があった場所で、トルコ国内における古代モザイクの宝庫として知られている。

    2400年前の漫画か?「元気に人生を楽しもう」というメッセージ付き骸骨モチーフのモザイクが発見される(トルコ) : カラパイア
    nagaichi
    nagaichi 2016/04/28
    黒いユーモアがあってよろしい。
  • カッパドキアに新たな地下都市、過去最大と推定

    発見のきっかけは、市の住宅建設プロジェクトだった。2013年、ネブシェヒルの城を取り囲むように建っていた低所得者向け住宅を解体していた作業員たちが、地下への入り口を発見。その先にはトンネルと部屋が網の目のようにつながっていた。 市は建設プロジェクトを中止すると、考古学者や地球物理学者による調査を開始。2014年に居住空間や調理場、ワイン醸造所、礼拝堂、階段などから成る多層構造の地下都市を発見した。石臼や石の十字架、陶磁器といった遺物からは、ビザンチン期からオスマン帝国の支配下に置かれるまで、ここが実際に使用されていたことがうかがえる。 この地下都市は、デリンクユと同様に通気口や水路といったインフラを備えた巨大居住空間だった。カッパドキアの人々は危険が迫ると家畜を連れ、生活必需品を持ってこの地下都市に逃げ込み、丸い石の扉で入り口をふさぐと、脅威が去るまで籠城したようだ。 ネブシェヒル大学の地

    カッパドキアに新たな地下都市、過去最大と推定
  • 『トロイアの真実』 シュリーマンは何を見つけたのか - HONZ

    一冊のは、人の一生を変えてしまうほどの力を持つことがある。8歳のときに父親からプレゼントされた『子どものための世界の歴史』は、ハインリッヒ・シュリーマンの人生をハリウッド映画よりも劇的なものに変えてしまうこととなる。幼いシュリーマンは、そのに描かれていたトロイアが炎上する挿絵の虜になり、いつかその場を訪れることを誓った。ホメロスの『イリアス』にも描かれるトロイア戦争は空想の産物であると父親にいくらいわれても、シュリーマンは聞く耳を持たず、その争いを“史実”として信じていたという。 ビジネスマンとして大成功したシュリーマンは、子どもの頃の夢を忘れることはなかった。40歳を超えたシュリーマンは蓄えた資金を携えトルコへと発掘に向かい、気の遠くなるような作業の末、ついに夢物語と思われたトロイアを発見したのである。ロマンに満ちた彼の生きざまを知ったフロイトは、「シュリーマンこそもっとも羨むべき人

    『トロイアの真実』 シュリーマンは何を見つけたのか - HONZ