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現代史とイギリスに関するnagaichiのブックマーク (18)

  • 「タラ戦争」イギリスとアイスランドの漁業紛争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    200カイリ排他的経済水域策定のきっかけとなった紛争 タラ戦争(The Cod War)は、主にイギリスとアイスランドとの間で戦われた、タラなどの水産資源をめぐった紛争です。 第一次から第三次まで断続的に争われたこの紛争で死者は出ませんでしたが、この紛争はアイスランドのイギリスとの国交断絶までエスカレーションし、結果的に現在主流である200カイリ排他的経済水域制度の策定につながっていきます。 1. 漁業水域をめぐる欧州の協定 北海漁業協定の策定 北海からスカンジナビア半島沖は豊かな漁場で、歴史的に近隣諸国の水産業を支えてきました。特に有名な資源がタラです。タラとジャガイモを油で揚げたフィッシュアンドチップスはイングランドを代表する料理です。 19 世紀以降にトロール船が普及して漁獲高が増えますが、一方て資源の乱獲が進んだことで、近隣諸国で漁業水域に関する関心が高まりました。特に経済を水産業

    「タラ戦争」イギリスとアイスランドの漁業紛争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 植民地支配の「罪」をエリザベス女王は結局、最後まで一度も詫びることはなかった

    1961年には旧植民地ガーナを訪れ、かつて栄えたアシャンティ国の王族に会った KEYSTONE-FRANCEーGAMMAーKEYSTONE/GETTY IMAGES <黒人奴隷を酷使して植民地で儲けたことで大英帝国の礎を築いたという過去を、逝去したエリザベス女王は謝罪しなかった> まずい、わが国は出遅れたぞ。16世紀の半ば、エリザベスという名のイングランド女王は周辺諸国を見回して、そう気付いた。見よ、大陸の諸王国は世界の果てまで領土を広げているではないか。 先鞭をつけたのはポルトガルとスペインだった。まずはポルトガルが15世紀半ばに西アフリカまで船を出し、現地の金を輸入し始めた。それからサントメという小さな島を占領し、大規模農場で「売買可能な商品」としての黒人奴隷を働かせるという画期的な手法を考案し、サトウキビの大量生産を始めた。 大西洋を南下してサトウキビを栽培・加工し、そこで働かせる奴

    植民地支配の「罪」をエリザベス女王は結局、最後まで一度も詫びることはなかった
  • 植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影

    ナイジェリア・ラゴス(CNN) エリザベス女王2世が亡くなってすぐ、インターネットは人々の回想や反応であふれかえった。だが誰もが悲しみに暮れていたわけではない。アフリカの若者の中には、女王の長い在位期間中に、英国植民地史でも凄惨(せいさん)な時期を耐え忍んだ祖父母など高齢者の写真や物語をシェアしている者もいる。 「追悼する気にはなれない」。あるユーザーはこうツイートして、祖母の「通行証」の画像を投稿した。英国が東アフリカのケニアを統治していた時代、人々の自由な移動を禁じた植民地時代の書類だ。 植民地時代に「女たちが殴られ、夫と引き離されて1人で子どもを世話しなければならなかったという話」を祖母からよく聞かされたという投稿もあった。「彼女たちを決して忘れてはならない。彼女たちは私たちのヒーローだ」とも書かれていた。 こうした追悼拒否の姿勢から浮き彫りになるのは、女王のレガシー(遺産)の複雑さ

    植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影
  • エリザベス女王死去 世界から追悼の声相次ぐ【詳しく】 | NHK

    イギリスの君主として歴代最長となる70年にわたって在位してきたエリザベス女王が8日、96歳で亡くなりました。 女王の死去を受けて即位したチャールズ国王は、ロンドンのバッキンガム宮殿に戻り、多くの人が出迎えました。 国際社会からは女王の功績をたたえ、追悼する声が相次いでいます。 国内外の反応や動きを詳しくお伝えします。 エリザベス女王死去後初の週末 宮殿前で大勢の市民が追悼 イギリスのエリザベス女王の死去から初めての週末を迎え、ロンドンのバッキンガム宮殿の前には、家族連れなど大勢の市民が集まり、追悼する姿が見られました。 9月8日にエリザベス女王が亡くなってから、初めての週末となる10日、ロンドン中心部のバッキンガム宮殿の前には、朝から花束を手にした大勢の市民が集まっていました。 そして宮殿の門の前や宮殿の近くの街路樹のもとに、花束を手向けたり、「私たちの女王、愛しています」など書かれたメッ

    エリザベス女王死去 世界から追悼の声相次ぐ【詳しく】 | NHK
  • あるオタクの多くは高度に抽象化されたこの図が何を表しているのか分かるしこれを考えた奴のヤバさも分かる

    名無しの政治将校 @bandainokairai1 あるオタクの多くは高度に抽象化されたこの図が何を表しているのか分かるし、これを考えた奴のヤバさも分かる pic.twitter.com/oULcahoXBW 2019-03-27 20:41:42

    あるオタクの多くは高度に抽象化されたこの図が何を表しているのか分かるしこれを考えた奴のヤバさも分かる
  • 戦後の貧困に重なる危険な英国の今、ケン・ローチ監督新作

    カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)に出席したケン・ローチ(Ken Loach)監督(2012年5月27日撮影)。(c)AFP/ANNE-CHRISTINE POUJOULAT 【5月11日 AFP】映画監督のケン・ローチ(Ken Loach)氏は、最近の映画テレビ番組のほとんどは心を打たないという。 「能天気な人々のための能天気な映画だね」というのが、テレビドラマ『キャシー・カム・ホーム(Cathy Come Home)』や映画『ケス(Kes)』で世に出た映画人の容赦ない宣告だ。 もはや映画テレビ番組は「問いかけていない。脳みそのための柔らかいクッションのようだ。上にいる大勢の官僚的な人間のせいで、人生というものが締め出されている」と、仏パリでインタビューしたローチ監督は批判する。 ■新作『The Spirit of '45』は社会の「解毒剤」 最新作『The

    戦後の貧困に重なる危険な英国の今、ケン・ローチ監督新作
  • 湾岸戦争での日本拠出額に不満 英国分「少な過ぎる」 | 共同通信

    【ロンドン共同】1991年の湾岸戦争で、日政府が拠出した多国籍軍への追加財政支援90億ドル(当時のレートで約1兆2千億円)のうち英国分の額について、英政府が自国の派兵規模に比べて「少な過ぎる」と不満を示していたことが、31日までに機密解除された英外交文書で明らかになった。 英政府は公式には謝意を表明していたが、当時の音が浮き彫りになった。湾岸危機・戦争で、日は憲法上の制約から人的貢献をせず、多国籍軍参加国に総額130億ドル超の財政支援を実施。だが国際的な評価を得られなかったことがトラウマとなっている。 日政府によると英国に390億円を割り当てた。

    湾岸戦争での日本拠出額に不満 英国分「少な過ぎる」 | 共同通信
  • 行き詰まる「サッチャリズム2.0」と若者たちの「社会主義2.0」/『イギリス現代史』著者、長谷川貴彦氏インタビュー - SYNODOS

    行き詰まる「サッチャリズム2.0」と若者たちの「社会主義2.0」 『イギリス現代史』著者、長谷川貴彦氏インタビュー 情報 #イギリス#新刊インタビュー#コービン リーマンショックによる金融危機は、1930年代の大恐慌、1970年代の石油危機に匹敵する「第三の危機」だといわれる。大恐慌は福祉国家をもたらし、石油危機はサッチャリズム(新自由主義)を生み出した。それでは、現在の危機はどのようなシステムを生み出すのか? 「サッチャリズム2.0」が延命するのか、それとも「社会主義2.0」が未来を切り開くのか? 『イギリス現代史』の著者、長谷川貴彦氏に話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也) ――かつてイギリスは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる福祉国家のモデルでした。労働党も保守党も福祉国家を支持していたことから、73年のオイルショック以前は「コンセンサス政治」の時代と呼ばれますね。 「コンセンサ

    行き詰まる「サッチャリズム2.0」と若者たちの「社会主義2.0」/『イギリス現代史』著者、長谷川貴彦氏インタビュー - SYNODOS
  • クール・ブリタニア - Wikipedia

    象徴的なユニオンジャックの衣装に身を包んだジェリ・ハリウェル クール・ブリタニア(Cool Britannia)は、1990年代のイギリス文化の盛んな様、クールな様子を表すためにメディアが使った用語である。1990年代半ばに造られ、1990年代末に流行した言葉だった。また、保守党からの政権交代を果たしたトニー・ブレア首相の労働党政権(ブレアは労働党右派の政治家)やその政策と密接な関係を持っていた。1970年代後半から1980年代にかけての、サッチャーその他の政権による停滞や混乱の時代の後に来た90年代の空気を表す言葉である[1]。 もともとは愛国歌『ルール・ブリタニア』("Rule, Britannia": ブリタニアよ、世界を治めよ)にかけた駄洒落であった。日の行政機関、特に経済産業省では、「クール・ブリタニカ」と誤記されることがあった[2]。 1990年代前半から、若い世代による音楽

    クール・ブリタニア - Wikipedia
    nagaichi
    nagaichi 2016/03/06
    オール・ハイル・ブリタニア!(違;
  • 香港住民の北アイルランド移住案?英機密文書で明らかに

    「香港返還の日」に行われた香港の民主派デモ(2015年7月1日)。(c)AFP/ISAAC LAWRENCE 【7月6日 AFP】北アイルランド(Northern Ireland)紛争への対応に苦闘していた英国の各省関係者らが、当時英国が統治下に置いていた香港(Hong Kong)の住民550万人全員を北アイルランドに移住させる英研究者の提案について「冗談で」意見交換していたことが、3日に公表された機密文書で明らかになった。 1983年10月に英レディング大学(University of Reading)の講師、クリスティー・デイビス(Christie Davies)氏は、北アイルランドの現地紙ベルファスト・ニューズレター(Belfast News Letter)の紙面で、97年の中国返還後の香港住民の未来は不透明だと警告。その上で、北アイルランドのコールレーン(Coleraine)とロン

    香港住民の北アイルランド移住案?英機密文書で明らかに
  • イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー

    伊藤大一(2003)「ブレア政権による若年雇用政策の展開 若年失業者をめぐる国際的な議論との関連で」、同じく伊藤大一(2003)「イギリスにおける「アンダークラス」の形成 ブレア政権における雇用政策の背景」において、英国のアンダークラスとは何か、についてMacDonald.R.(1997)の説を以下の通り紹介している。 『「アンダークラス」とは、「社会的、経済的変化――特に脱工業化(de-industrialisation)――や、文化的行動諸パターンを通して、一般に正規に雇用された労働者階級や社会から、構造的に分化され、文化的に区別されるようになった階級構造の底辺に位置付く人々の社会グループないしは階級であり、かつ現在では、固定的に福祉給付に頼り、ほぼ永続的によち貧しい諸条件や地域の中で、生活するように限定された社会グループないしは階級のことである」』 統計上の失業者であると同時に、就業

    イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 第15回:キャピタリズムと鐘の音 | ele-king

    なんで年頭になるとわたしは左翼の人になるのだろう。 昨年の正月は紅白の「ヨイトマケの歌」を見ながら、日の労働者階級について考えていた。で、今年はケン・ローチ監督のドキュメンタリー『The Spirit Of 45』のDVDを見ていたのだが、この作品はケン・ローチが昨年11月に発足させた新左翼政党レフト・ユニティーのコテコテのプロパガンダ映像である。一部メディアには酷評されたが、しかしこれを見ると、英国には社会主義国だったとしか言いようのない時代があったのだとわかる。 タイトルで謳われている1945年とは終戦の年だ。 日が降伏を宣言し、マッカーサーが神奈川県に降り立った年である。 一方、戦勝国の英国では、国を勝利に導いたチャーチルの保守党が選挙でなぜか大敗し、労働党政権が誕生した年だった。 保守党政権下の1930年代は貧富の差が極端に拡大した時代だったという。「貧民の子供はよく死んだ」と

    第15回:キャピタリズムと鐘の音 | ele-king
    nagaichi
    nagaichi 2014/01/14
    俺の中の天江衣ちゃんが「昏鐘鳴の音が聞こえるか?」って言ってたけど、たぶん関係ない。
  • Onlineジャーニー - Onlineジャーニー

    300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル 参考資料:『Gibraltar』Maurice Harvey著、『ジブラルタル政府』ホームページ(www.gibraltar.gov.gi)、 『英国国立公文書館』ホームページ(www.nationalarchives.gov.uk)など 写真協力:ジブラルタル観光局(www.visitgibraltar.gi) 竹島、尖閣諸島など、領有をめぐる問題に大きく揺れる日。 かつて大英帝国として名を馳せ、最盛期には世界の陸地の4分の1を支配したと 言われる英国も、領土問題とは無縁ではない。 それどころか、ほんの31年前には南大西洋のフォークランド諸島をめぐり、 同諸島の領有を主張するアルゼンチンと戦火を交え、 両国合わせて3000人近い死傷者を出している 。近代国家であろうとも、 領土の争いによって血が流されるという 現実が露呈したことは、記憶に

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  • サッチャーの失敗した成功 - himaginary’s diary

    クリス・ディローが、意図しない形で成功を収めたサッチャーの功績として以下の3つを挙げている。 1980-81年の景気後退による労組の弱体化 この時に政策として採用されたマネタリズムは別に英国経済への体罰を意図したものではなく、インフレはもっとスムーズに低下するはずだった。しかし豈図らんや、失業とインフレのトレードオフはマネタリストの予想に比べ峻烈で、失業者は300万人に達した。 ただ、その結果として労組の交渉力は弱まった。そのため、利益率や予想利益やアニマル・スピリットは高まり、1980年代の投資を促進した。 確かにサッチャーは労組の弱体化を約束していたが、彼女は失業ではなく法の支配を通してそれを実施するつもりだった。 80年代初頭の信用統制の緩和 彼女が経済の自由化の一環として考えていたその緩和は、予想を超えた大きな経済的インパクトをもたらした。即ち、消費者主導の社会と経済を生み出した。

    サッチャーの失敗した成功 - himaginary’s diary
  • サッチャリズムが、現代日本の参考には「ならない」3つの理由

    マーガレット・サッチャー元英首相の訃報に接しました。87歳ですから大往生ですし、認知症の発症を公表してからの「静かなお別れ」の期間も十分にあったと思います。その間には、「盟友」とされたロナルド・レーガン元米大統領の死(2004年)という事件があり、その国葬に参列するにあたっては元気な時代に書いておいた弔辞を公表するというエピソードも思い出されます。 ちなみに、この「引退後のサッチャー氏」に関しては、メリル・ストリープが演じてオスカーを取った "The Iron Lady"(邦題は『マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙』、フィリダ・ロイド監督、2011年)という映画が作られています。賛否両論の激しかった彼女の政策や政治手法のフラッシュバックと、老いて衰えた同氏の姿を重ねることで、「バランスを取る」という不思議なアプローチの演出がされており、映画としては特殊な、そしてやはり政治的な作品だと言え

  • 英仏、断交寸前だった…フォークランド紛争時 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    南大西洋の英領フォークランド諸島に、領有権を主張するアルゼンチン軍が1982年に侵攻し、英軍と武力衝突した際、フランスのミッテラン政権が対艦ミサイル・エグゾセをアルゼンチン軍に事実上供与する動きを見せ、サッチャー英首相が仏側に「断交」を示唆し、抗議していたことがわかった。 英政府が当時の外交公電を公開した。 東西冷戦末期に西側陣営の同盟国として結束していたはずの英仏が、水面下では激しいさや当てを繰り広げていたことになる。 英メディアによると、仏側は当時、エグゾセ・ミサイルをペルーへ供与する計画だったが、これはアルゼンチンへの転売を想定していた。 英海軍は当時、同諸島沖でアルゼンチン海軍のエグゾセ・ミサイルで駆逐艦を撃沈され、20人の要員を失ったばかり。計画を知ったサッチャー首相は激怒し、電報でミッテラン大統領に「ミサイル供与を少なくとも1か月は遅らせなければ、英仏関係に重大な結果をもたらす

    nagaichi
    nagaichi 2013/01/01
    「断交をちらつかせ」たからといって、実際に「断交寸前」だったとは判断できないがな。
  • ロンドンの暴動 -1980年代に起きたこと | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

    6日頃から始まったロンドン各地の暴動について、一体、どんな人が「暴徒」になっているのかを考える前に、過去に起きたことを見てみようと思った。というのも、テレビに出てくるコメンテーターなどが「80年代の時と比較してー」とよく言っているのだ。 「80年代の話とは全然関係ない」「今、暴徒になっている人はその後生まれた人たちだから、記憶にないんだよ」という人も多い。それでも、「何でないか」を知ることも必要と思う。 以下、主にウィキペディアの英語版から情報を取った。(もっと知りたい方はBrixton riot, Broadware Farm riotなどのキーワード、そのリンク先などを探ってみてください。) ―有色人種の住民対警察 その前に一般的な話だが、有色人種の英国国民の一部、具体的にはアフリカ系、カリブ系と識別される、肌の色が褐色・黒色の男性たちの一定年齢の人たち(10代から40-50代ぐらい)

    ロンドンの暴動 -1980年代に起きたこと | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ
  • ケニアの元マウマウ団戦士、植民地時代の「拷問」で英政府を提訴

    ロンドン(London)の高等法院前で抗議のチラシをかかげるケニアの元マウマウ団(Mau Mau)戦士ら(2009年6月23日撮影)。(c)AFP/Ben Stansall 【6月24日 AFP】5人の高齢のケニア人たちが23日、半世紀前の英国植民地時代に拷問を受け違法に投獄されたとして、英国政府を相手取り損害賠償請求を起こした。 裁判を起こしたのは、英国植民地時代に独立闘争を担ったマウマウ団(Mau Mau)の元戦士(男性3人、女性2人)。1950年代のいわゆるマウマウ戦争では、マウマウ団と英国植民地軍が激しく衝突し、同団の戦士ら推定16万人が拘束され、強制労働キャンプに収容された。 ロンドン(London)の高等法院(High Court of Justice)に損害賠償請求を起こすため、生まれて初めてケニアを離れた5人は、英国植民地政府に貼られた「テロリスト」のレッテルを取り払い、「

    ケニアの元マウマウ団戦士、植民地時代の「拷問」で英政府を提訴
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