本サイトは2021年4月時点の情報です。正式表記ではない名称も含まれております。あらかじめご了承ください。
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仏パリのエリゼ宮(大統領府)で、ルワンダ大虐殺に関する報告書を持つエマニュエル・マクロン大統領(左)と報告書をまとめた歴史委員会を率いるバンサン・デュクレール氏(2021年3月26日撮影)。(c)Ludovic MARIN / POOL / AFP 【3月27日 AFP】フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領が設置した歴史委員会は26日、1994年に起きたルワンダ大虐殺でフランスは虐殺が準備されていることを知っていながら「目をつぶっていた」として、非常に大きな責任があるとする報告書を公表した。一方で報告書は、フランス政府が殺害に加担した証拠はないとした。 フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領が設置した歴史委員会は、少数派ツチ(Tutsi)人を中心に約80万人が殺害されたルワンダ大虐殺について、フランソワ・ミッテラン(Fr
齊藤明紀 @a_saitoh 情報工学科卒。公立大学経営学部に勤めてますが、担当講義は全部ITがらみだし、経営学の質問はしないでね。趣味は読書と釣り 齊藤明紀 @a_saitoh 20年位前だったか、母校の歩道がアスファルトからレンガ敷に変わった時に、年寄り教授が「ああ、本学は学生運動を制圧したという自信をもったんだなぁ」としみじみ述懐しておられました。煉瓦は掘り出して投石に使われるからダメだったんだそうで。 twitter.com/marxindo/statu… 2021-03-26 13:01:07 PsycheRadio @marxindo 少し前までプロジェクターのスクリーンを下ろすためのかぎ付きの棒が各教室にあったんだけど,それを見るたびに「こんな凶器になりうるものを教室に置いておいても平気なんだから大学も平和になったよなあ」と思った。 2021-03-26 08:56:54
最近また小人プロレスの話がよく出てくるので、ここでもまとめておきたいと思います。 よくある都市伝説 かつて低身長症の選手だけで組織された小人プロレス団体があり、テレビでも放送され人気を博していた。しかし人権団体が「身体障害者を見世物にするとは何事か」とクレームをつけ、テレビ放送は禁止となり、興行も取り締まられて団体は解散、レスラーたちは全員失業し困窮した。元レスラーは「人権団体のやつらは、俺たちの仕事を奪ったが替わりの仕事はくれなかった」と涙ながらに訴えたが、人権団体は彼らを無視して、小人プロレスを潰した実績を誇示しつつ、次の獲物(※主に女性の性的魅力を前面に押し出したコンテンツがここに入る)を狙っている。 実際はどうか 小人プロレスは全日本女子プロレスのいち部門として前座で開催され、メディアで取り上げられることは少ないが試合はずっと行われていた。全日本女子プロレスの倒産により試合の機会は
東日本大震災アーカイブスでは、当時の映像を時系列に並べることで、何がどのように起こったのかをふりかえります。正直、まだふりかえりたくないという方も少なからずいらっしゃるかもしれません。しかし、何が起こったかを改めて見ることで、気がつくことも多いと考えます。発災から72時間に起こったことを、映像とともに見つめなおすことで、災害への備えの大切さや今後のための教訓について、一緒に考えることができればと思います。 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、国内の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録。(2011年3月13日気象庁発表) 死者・行方不明者は、1万8446人にのぼっている。(2017年3月10日 警察庁発表) 映像視聴時のお願い このサイトでは、東日本大震災に関する映像(津波や火災など)を公開しています。 このため、映像をご覧になった時に精神的なストレスを感じられる方もいらっしゃ
フランスが1996年まで計138回の核実験を行った仏領ポリネシアのムルロア環礁にある核実験関連施設の跡地(2014年2月13日撮影)。(c)GREGORY BOISSY / AFP 【3月11日 AFP】フランスが1966年から1996年にかけて太平洋で行った核実験では仏領ポリネシア(French Polynesia)の「ほぼ全人口」が被ばくしたものの、同国は同地域がさらされた放射線量を隠蔽(いんぺい)していたとする報告書を、調査報道機関ディスクローズ(Disclose)が9日、公表した。 ディスクローズは、仏国防省が2013年に機密解除した軍の核実験関連文書約2000ページを2年かけて分析。調査はディスクローズと英モデリング・調査会社インタープリト(Interprt)、米プリンストン大学(Princeton University)の科学・国際安全保障プログラムが共同で実施した。 報告書は
この一連の記事には、一部に暴力的な写真が含まれています。本文に述べられている残虐な事件の数々を物語る歴史的資料として、リンチによって殺害されたルービン・ステイシーの写真を掲載することは重要であると考えます。黒人に対する残虐なリンチを撮影した写真は、かつて白人至上主義を永続させるために使われていました。 奴隷制度の遺産と、人種差別主義によるリンチ犠牲者の記憶を伝えるために、2018年4月26日にオープンした平和と正義の国立記念碑。(PHOTOGRAPH BY RAYMOND BOYD, GETTY IMAGES) 2020年、ジョージ・フロイドさん拘束死に対する抗議運動が米国で広がりを見せるなか、ツイッターでは「#AmyCooperIsARacist(エイミー・クーパーは人種差別主義者)」というハッシュタグがトレンド入りしていた。 エイミーさんは、犬を紐でつなぐよう注意した黒人男性クリスチャ
2020年12月、沖縄のオフィス街の中心である那覇市久茂地(くもじ)にあった琉球銀行本店ビルが老朽化に伴う建て替えのため営業を終えた。 地上5階、地下1階の建物で、建設されたのは1966年の沖縄が米軍統治下の最中。 米国民政府と沖縄米国陸軍工兵隊の監理の下でアメリカの設計事務所が設計し、地元の建設業者が施工。 当時のアメリカの先進技術が詰まった建造だった。取り壊し前に内覧会が催されたので参加してきた。 沖縄に伝わるアメリカ様式 沖縄といえば赤瓦の家に屋根の上にはシーサーという光景を思い浮かべがちだが、沖縄は1945年から1972年5月15日の沖縄本土復帰に至るまで27年間アメリカに統治されていた時代がある。 なので、街のあちこちにはまだ米軍基地関係の軍人やその家族のために建てられたアメリカ様式の外人住宅と呼ばれる建物が残っていたりもする。 これは外人住宅 今回の琉球銀行ビルも、昔に建てられ
『約束の地』は、上下巻の計1000ページを超える超大作だ。上巻では、オバマ氏がアメリカに根差す「社会の分断」を克服することを理念として掲げ、シカゴで「コミュニティ・オーガナイザー」としてキャリアをスタートさせるところから、大統領の座に就くまでの過程がダイナミックに描かれている。 2020年を経験したアメリカを知ってこの本を読む意味 ――本の中でオバマ氏は「社会の分断を克服する」という理念を繰り返し書いています。しかし、アメリカの現実は、オバマ氏が政権を去ったこの4年間で「分断」が広がりました。いまこのタイミングで回顧録が出版され、大ベストセラーになった意味をどう考えますか? この本を読んでわかることは、オバマ政権の8年間――実質的には最初の4年間だけで、トランプ時代の到来が予見されていたということです。僕はこの本を共和党の“変質”の過程が描かれたものとして読みました。いまトランプ政権の4年
戦後、下水・汚水処理場が次々とでき、砂町汚水処分場のような屎尿(しにょう)を処理する設備も整った。それでも、高度経済成長期の東京の人口は増え続け、当然排泄も増え続ける。汲み取りトイレもまだ多く、砂町汚水処分場だけでは処理できない量だった。 いまでこそ日本の水洗トイレ率(汚水処理人口普及率)は91.7%、東京は99.8%。しかし、1970年代は東京23区内ですら、鼻をつまみたくなるようなにおいが充満する汲み取りトイレの家庭は多かった。 練馬区でボットン便所が長く続いた理由 またしても私事で恐縮だが、筆者(神舘)が生まれ育った東京・練馬区の石神井の家はボットン便所だったし、杉並区の阿佐谷にある公立高校に進学したら、そこもボットン便所だった。 家でもボットン。学校でもボットン。入学式の日にとても悲しい気持ちになった。高校について厳密にいうと、母屋というべき鉄筋コンクリートの校舎は水洗トイレ。とこ
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1961年1月24日の早朝、ノースカロライナ州ファロ村の近くに墜落したB-52戦略爆撃機の消火作業に当たる消防士たち。(PHOTOGRAPH BY BETTMANN ARCHIVE, GETTY) 1961年1月に米国ノースカロライナ州ゴールズボロ近郊で起きた出来事を、ビリー・リーブスさんは、今でも覚えている。その夜は真冬とは思えないほど暖かかったが、午前0時を回る少し前、突然猛烈な暑さに襲われた。そればかりか、部屋の壁が赤く光り出し、窓の外からは奇妙な光が差し込んだ。 「ちょうど寝る準備をするところでした。びっくりして、何が起きたのかと思いましたよ」 当時17歳だったリーブスさんが、急いで外のポーチに出たまさにその時、片方の翼を失ったB-52爆撃機が炎に包まれて空から落ちてくるのが目に入った。そしてそれは、燃え盛る破片をまき散らしながら、わずか数百メートル先の綿花畑に叩きつけられた。 「
1959年2月26日、ディアトロフ峠で遭難した登山グループのテントを調べるソ連の捜索隊。テントは内側から切り開かれ、多くのメンバーが靴を履かずに靴下か裸足で外に出ていた。(PHOTOGRAPH COURTESY OF THE DYATLOV MEMORIAL FOUNDATION) 60年以上前のロシア(当時はソ連)で起きた悲惨な出来事は、秘密の軍事実験やイエティ、さらには地球外生命体との接触まで、さまざまな陰謀論を産み出してきた。しかし現時点で最も納得でき、最も理にかなっていると思われる仮説は、自動車事故の実験や映画『アナと雪の女王』で使われたアニメーションをヒントにした雪崩のシミュレーションにもとづくものだ。 スイスの2人の研究者が2021年に発表したデータは、9人の雪山登山者にむごたらしい死をもたらしたのは、不思議なほど規模の小さい遅発性の雪崩が原因だった可能性を示唆していた。雪山で
高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人
がぁさん 各ストア様にて電子書籍いろいろ配信中! @umiushi256 エロマンガは基本毎回読み切りで毎回新しいキャラを描かねばならないので、デビュー当時は毎月ティーン向けファッション誌やヘアカタログを買って参考にしていた。そのおかげで、今見るとみんな見事に古臭くて時代遅れ!時代に則したキャラデザインはやがて腐ります!中世ファンタジー万歳! 2021-01-14 20:45:52 がぁさん 各ストア様にて電子書籍いろいろ配信中! @umiushi256 自称漫画家。お仕事募集中。ネコがスキ。…つうかネコの奴隷。含蓄とか蘊蓄とかのあるつぶやきは出てきませんのでご了承下さい。フォロー・リムーブご自由に~。
(「ナウシカとかヤマトとかに流れる終末思想」云々という文字列を拝見したが(しかも、もう四半世紀以上も何度も何度も見てきたが)、実際に1987年のINF全廃条約前後までは、子どもながらに偶発的にも核戦争が起こるんじゃねと思ってたので… https://t.co/TRLOde1ARt
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