今回は 異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野 - ITmedia NEWS VOCALOID2「初音ミク」が始まりすぎな件について | なつみかん。 「初音ミク」が始まっている! 大人気の考察と行方:かる日記:So-netブログ http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN200709270020.html と…いろいろ騒がれている初音ミクについて書く. 初音ミクがなぜこれだけの人気を博したのか?やアイドルマスターと初音ミクから読み解く,ニコニコ動画の楽しみ方のヒントを提示してゆきたい. 初音ミクとは もはや知らない人はいないだろうが,クリプトン・フューチャー・メディア(株)|Sound the future.が作った音楽制作ソフトである. クリプトン・フューチャー・メディアはこのほど、メロディと歌詞を入力すると、その曲を女性の
リック・ルービンは疲弊した音楽業界の救世主か?(その1) 9月2日付けのNew York Times(NYT、Web版、閲覧には無料登録が必要かも?)に、リック・ルービンのインタビューをベースにした長文記事「The Music Man」が掲載されている。 この記事、リック・ルービン・ファン(日本にそんな奴は一体何人いることやら)とシリアスな音楽ビジネスパーソン(日本にそんな奴はいないって?)には必読のアイテム…かも。 ただし、Webベースで10ページ、ブラウザからA4紙に印刷したら11ページという、とんでもないボリューム(しかも英語)なので、読むにはかなり気合いを入れないとキビシー。 で、既に、良書「デジタル音楽の行方」を翻訳されたyomoyomo氏が、ブログ「YAMDAS現更新履歴」の9月5日付けエントリー「リック・ルービンが音楽産業の未来について語る」で言及されていて、「おぉ、さすが早
こんな判決が出たのを知ったら、あのチャップリンも思わず草葉の蔭で一本撮りたくなってしまうのではないか、という判決。 チャップリンDVD著作権侵害事件。 「著作物の保護期間」についていろいろと考えさせられる事案である。 東京地判平成19年8月29日(H18(ワ)第15552号)*1 本件の原告はチャールズ・チャップリンが監督等を務めた映画9作品の著作権を保有する、と主張するリヒテンシュタイン公国の法人(ロイ・エクスポート・カンパニー・エスタブリッシュメント)、一方の被告は格安DVDの企画・製作・販売事業者(有限会社アートステーション、株式会社コスモ・コーディネート)であり、これだけみると、過去に著作権者側が一敗地にまみれた、「ローマの休日」や「シェーン」といった事件を彷彿させる。 だが、本件では原告側の差止・損害賠償請求が認容された。 対象となった作品は、 「サニーサイド」(1919年公開)
(追記)すみません、見出しは演出です。 音楽業界(インディーズ)でちょっと気になる話とか。 以下のところから →日日ノ日キ - さきほど契約してるCDの流通業者の方とお話したのですが、いわゆるインディーズ系のCDがほんまに危機的状況に陥っているようです 以下のところへ。 →はてなブックマーク - 日日ノ日キ - さきほど契約してるCDの流通業者の方とお話したのですが、いわゆるインディーズ系のCDがほんまに危機的状況に陥っているようです →macaroni records - 一大事。 さきほど契約してるCDの流通業者の方とお話したのですが、いわゆるインディーズ系のCDがほんまに危機的状況に陥っているようです。初回のオーダー数が激減しているそうです。特に体制が変わったらしいタワーレコードとか。要はもうあらかじめ売れるだろうと予想されているものしか取らなくなってきているということで。細かいとこ
今月頭に上梓した「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社 amazonで購入)では、多くの方にインタビューを行なってきた。ほとんどの人はコンテンツ、言うなれば商業芸術をいかにして作るか、あるいはいかにして作らせるかということに苦心している。 日本テレビの土屋敏男氏の、「文化みたいなモノは、パトロンシステムでしか産まれてこないんじゃないか」という指摘は、最初に聞いたときには古い考えのように思ったが、じゃあ現実どうなの、と振り返ってみたときに、やっぱりそのシステムで動いている部分というのは大きいと考えるようになった。 例えば音大生というのは、親というパトロンが居なければ、成立し得ないのではないか。筆者の甥が今年ピアノ科で音大を受験するが、そもそもピアノの練習には、まず自前のグランドピアノが必要だ。実家での練習用に1台あるわけだが、上京すればそち
深く深く共感する文章と出合った。 新潮9月号に掲載された養老孟司「追悼河合隼雄 取り返しはつかない」である。 河合隼雄さんの訃報を聞いた。病床におられることはわかっていたし、多くの方と何度か河合さんの病気の話はしたから、いまさら驚くことではない。ただなんとなく腹立たしい思いがないではない。なぜ文化庁長官なんか、長いことやらせたのか。 高松塚古墳の絵にカビが生えたという問題があって、河合長官が頭を下げてまわったという話を、風の便りに聞いたような気がする。そんなことがなくても、そもそも他人のストレスを解消するのがお仕事だった。 もったいないなあ。この世間は本当にもったいない人の使い方をする。 河合さんのように滅多にない才能をバカな仕事に使いやがって。ついそんな気がしてしまう。 この世間で好きな仕事をしようと思ったら、必要なことはするしかないが、義理は欠くしかないということである。司馬遼太郎は「
今年2007年、シベリウスが没後50年を迎える。生年は1865年だから、マーラー(1860年)やリヒャルト・シュトラウス(1864年)あるいはドビュッシー(1862年)などとほぼ同世代だが、91歳の長寿を得て、亡くなったのは1957年9月20日。今年でちょうど50年めということになる。 まあ、確かに、生誕100年とか200年というのは、数字の語呂がいいだけの一種のお祭りであると言えなくもない。しかし、この「没後50年」と言うのだけはちょっと違う。単に数の上での記念ということだけではなく、きわめて現実的な問題を秘めているからだ。 * 御存知のように、現代における主要な文明国においては、音楽にしろ書物にしろ美術にしろ、作者が存在する著作物にはすべて〈著作権〉というものが存在する。 つまり、人が作品を作ると作者としての権利が発生し、第三者が複製したり改編したり販売したり二次使用する場合は、必ず著
【TIME/etc】1936年2月、ハンガリーのブダペスト市警が靴屋主人ジョセフ・ケラーの死亡現場を調査中、奇妙な遺書を発見した。自殺したケラーが書き残したその走り書きのような遺書には、とある歌の一節が引用されていたのだ。自らの命を絶つ者が、辞世の句の代わりとして、愛する歌の一部を引用することは、別に珍しいことではないかもしれない。しかしこの歌に限っては別だった。その歌は、自殺したケラーのみならず、ブダペスト市警にとっても、特別な意味を持っていたのである。歌の名は、「暗い日曜日(Gloomy Sunday)」。ブダペストでは、既にこの歌に関連した17人の自殺者が出ていたのだ。 当時、ブダペストで起きた事件とは、次のようなものである。 ・バーで、ジプシーバンドがこの曲を演奏したところ、突然、男二人がその場で拳銃自殺した。 ・少女が、「暗い日曜日」のレコード盤を抱きしめたままドナウ河で入水自殺
やはり、時々こういう人に出会います。またしても質の違い、いいや、この問題は、個人の生き方の違いなんでしょうね。論理的に言えば、それは”悪い楽器でこよなく音楽を楽しんでいる音楽家は良い楽器を持っている音楽家より、より深く音楽を理解している”と言っているのと同じ気がします。 確かにラジカセで十分音楽は楽しめます。高価なオーディオ機器を購入している人達を見ると、なんて馬鹿馬鹿しいことをしているのかと思う気持ちも理解できます。私はラジカセでこんなに音楽を楽しんでいる、それなのに、なんであの人達は、音楽を十分聞くこともしないで再生用の機器を弄繰り回してばかりいるのかと、苦々しく感じていることでしょう。また生の楽器の音を知っている人に、再生音にこだわらない人が多いのも事実です。 でも、オーディオに狂っている人達の大半は知ってしまったんですよね。装置によって演奏が異なって聞こえることを、下手な演奏だなと
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