1952(昭和 27)年は、岡本太郎とやきもの、そして常滑にとって特別な 1 年でした。 前年の51 年、東京・世田谷にある自宅の風呂場や台所をタイル張りに改装したことが、タイル素材との出会いでした。翌年、油彩の画家として知られていた岡本が愛知・常滑を訪れ、工業製品の色鮮やかなモザイクタイルを使った絵画を制作し、主要な展覧会に次々と出展。観衆はもちろん当時の美術評論家にも驚きをもって迎えられ、話題となったできごとでした。 さらに東京・日本橋の髙島屋の地下通路にモザイクタイルの巨大な壁画《創生》を制作し、誰もが日常で見られる芸術作品=パブリックアートの先駆けの一つとなりました。 岡本にとって初となる本格的な立体作品を、やきもので手がけたのもこの年です。前年、東京国立博物館で縄文土器に出会い、衝撃を受けたことを「縄文土器論」として雑誌に発表した岡本は、18 年後の大阪万博会場に完成する《太陽の
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