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2016年12月31日のブックマーク (21件)

  • 【おわりに】拝啓、山本一郎様。 - "総会屋2.0"山本一郎(やまもといちろう)氏の検証

    おわりに 山一郎様、お読みいただいた読者の皆様、長い長い記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 まず、「この記事の筆者は、どの立場から書いているのか」と思われた方が多いと思います。 私は、山一郎氏とは公私ともに一切関係がなく、面識もありません。 また、ここで取り上げた企業とは、取引や利害関係は一切ないことを誓って明記しておきます。 また、実名の山氏に対してペンネームで検証するのは卑怯である、という批判は甘んじて受け入れます。 山一郎氏へのお願い そして、山一郎様へのお願いがあります。 1. この検証記事に事実と異なる記述がありましたら、訂正しますのでご連絡ください。「@kurikindi1」のツイッターアカウントからフォローしておりますので、DMでご連絡ください。 2. 反論があれば、掲載するご用意があります。 反論をいただいた場合には、なるべくご要望に沿う形

  • 『この世界の片隅に』――強く、優しく、しぶとく根を張る。そこで再生する誰かの喜怒哀楽を想像し、想いを馳せるために。 (おたぽる) - Yahoo!ニュース

    『この世界の片隅に』――強く、優しく、しぶとく根を張る。そこで再生する誰かの喜怒哀楽を想像し、想いを馳せるために。 公開から一ヶ月以上経った気がまるでしない。今もなおSNSなどで口コミで広まり、上映館が毎週増え続けているからだろうか。 もしくは100年以上残り続ける作品として、たった一ヶ月間が短く感じるからか。と言うと大げさに思われるだろうか。 でも、事実なのだから仕方がない。 全国各地で一週間ごとに《公開初日》が訪れ、そのたびに抑えきれない気持ちを人から人へとつなげていく。劇中に出てくる回覧板のようだ。次々と“誰かに薦めないと気が済まない病”を患う、健やかなパンデミックが拡大を見せている。 女優・のんの能年玲奈から改名後の活動として、これ以上ない復帰作に恵まれた。これまでに前例のないヒットを遂げている。当初は上映劇場が63館の小規模のスタートだった。それが週が移り変わるごとに興行

    『この世界の片隅に』――強く、優しく、しぶとく根を張る。そこで再生する誰かの喜怒哀楽を想像し、想いを馳せるために。 (おたぽる) - Yahoo!ニュース
  • あったらいいなが現実にあるもんだから・・・今年もうっかり騙されそうになったコラ画像まとめ : カラパイア

    フォトショップの登場以降、画像加工は身近なものとなり、ネットの世界ではとんでもないものからもっともらしいものまで、ありとあらゆるタイプの偽画像が出回るようになった。 こうした画像はインパクトがあればあるほど、その話題性から人々の間で素早く共有される傾向があり、大勢の人々が悪気はなくとも故意に作られた偽画像を拡散することになってしまう。そこには信じたいものを信じたくなる人間の能もお手伝いしていたりなんかもする。 というわけで、海外サイトで取り上げられていた近年ネット上を席巻した有名な偽画像をご紹介しよう。 続きを読む

    あったらいいなが現実にあるもんだから・・・今年もうっかり騙されそうになったコラ画像まとめ : カラパイア
  • TBS NEWS DIG | TBS/JNNのニュースサイト

    【速報】JR浜松駅の新幹線車内で乗客5人が目やのどの痛み JR東海によりますと、きょう午後7時すぎ、静岡県のJR静岡駅で停車していた東海道新幹線の乗客から「スプ…

    TBS NEWS DIG | TBS/JNNのニュースサイト
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    navix 2016/12/31
  • 「この世界の片隅に」片渕須直監督インタビュー この世界にすずさんの実在感を求めて 2ページ目 | アニメ!アニメ!

    「この世界の片隅に」片渕須直監督インタビュー この世界にすずさんの実在感を求めて 2ページ目 | アニメ!アニメ!
    navix
    navix 2016/12/31
    「当時ひどい空襲を受けた地域には近隣から救援で、食料とか布団とかオムツとかが運びこまれてたって話に出会って。つまり2011年3月に僕らがやっていたのと同じことを、70年前も同じように」
  • なぜ中国人が騒いだか。 | いすみ鉄道 社長ブログ

    いすみ鉄道のようなローカル線は、鉄道会社といっても零細企業です。 こういう小さな会社は、社長が何を考え、どういうポリシ―や方向性で進んでいるのかを皆さまに直接お伝えし、ご理解いただくことが大切だと考えています。 このブログでは、地元の情報やイベントなども併せて、「いすみ鉄道の今日」をお伝えいたします。 どうぞお付き合いくださいますようお願い申し上げます。 雪で閉鎖されていた新千歳空港で、中国人観光客が騒いだというニュースをやっていました。 「また、中国人か。」 「中国人はどうしょうもない。」 そういう世論狙いの報道だと思います。 私がそう思う理由は、中国人が「なぜ」騒いだか。その「なぜ」の部分がまったく報道されていないからです。 国際線の待合室というのは日を出国後ということですから、お客様は自由に出入りできない状態です。 そういう所に前の晩から閉じ込められたまま、十分なケアもされていない

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    navix 2016/12/31
    「60代以上の人たちは中国人のやっていることを見てもバッシングなどできません。 なぜなら、自分たちだってバブル以前にさんざん同じことを海外でやってきているから」
  • 「歴史」を超えたスコープで私達を捉えなおす | 文春オンライン

    出版社にはたいへん失礼なのだが、ゲイツ、ザッカーバーグ推薦の帯を見て「何だかなぁ」と敬遠した人には是非手にとってもらいたい一冊だ。「五胡十六国を覚えなさい」と言われたあたりから世界史とは関わりのない人生を歩もうと心に決めた人にも、強く勧めたい。 このの最大の魅力は、スコープが「歴史」に留まっていないこと、そしてそのおかげで「歴史」の理解がより深まるところにある。七万年前からわれわれが生物学と歴史の両方の線路を走る存在になったこと。そして、生物としての順応力を超えたスピードで飛躍してしまったために、不安を抱えたとても危険な種になっていること。超ホモ・サピエンス(シンギュラリティ)は科学技術だけでは語れず、否応なしに哲学、社会学を巻き込んでいく。小賢しく言ってしまえば、リベラルアーツを学ぶことの重要さへの示唆が、このには詰まっている。 「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を

    「歴史」を超えたスコープで私達を捉えなおす | 文春オンライン
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    navix 2016/12/31
    「「農業は史上最大の詐欺」という奇を衒(てら)ったような主張も、種の繁栄か個の幸福かという重たいテーマを考える糸口となっている」
  • サピエンス全史 上 :ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田 裕之|河出書房新社

    このの内容 目次・収録作品 国家、貨幣、企業……虚構が他人との協力を可能にし、文明をもたらした! ではその文明は人類を幸福にしたのだろうか? 現代世界を鋭くえぐる、50カ国以上で刊行の世界的ベストセラー! [番組の模様はこちら] NHK「クローズアップ現代+」 “幸福”を探して 人類250万年の旅 ~リーダーたちも注目!世界的ベストセラー~ ビジネス書大賞2017 ハラリ氏受賞コメント 著者コメント ※書は著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏ご自身の希望により、2011年刊行のヘブライ語版ではなく、ヘブライ語版に寄せられた読者からのフィードバックをもとに、著者人により書き改められた2014年刊行の英語版より翻訳しております。 歴史年表 第1部 認知革命 第1章 唯一生き延びた人類種 不面目な秘密/思考力の代償/調理をする動物/兄弟たちはどうなったか? 第2章 虚構が協力を可能にした プジョー

    サピエンス全史 上 :ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田 裕之|河出書房新社
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    navix 2016/12/31
    「定価2,052円(本体1,900円) △重版中 発売日:2016.09.09」
  • ★サピエンス全史/ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳)メモ - 東京永久観光

    2016年のベストになりそう。以下メモ(途中まで) <第1章> ホモ・エレクトスは200年以上生きた。人類では他にない 脳の進化。現在では十分もとがとれるが、最初の200万年は、いったい何が人類の巨大な脳の進化を推進したのか。《正直なところ、その答えはわからない》 *あまり考えなかった問い 人類は、脳、道具、学習能力、複雑な社会構造のおかげで地上最強の動物になったことは自明だろう。《だが、人類はまる二〇〇万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった》 *これまたこれまで思い浮かべなかった 人類はあっという間に頂点に上り詰めたので、生態系は順応する暇がなかった。それが他の動物たちとの違い。ライオンやガゼルやハイエナなどは何百万年もかけて進化した。しかもともに統制と均衡の仕組みを作り上げることができた。 それにしても、人類が手にしたもの

    ★サピエンス全史/ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳)メモ - 東京永久観光
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    navix 2016/12/31
    「何万もの住民からなる都市や、何億もの民を支配する帝国をどうやって築いたのか? 《その秘密はおそらく虚構の登場にある。膨大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾よく協力》」
  • 第33回 キリがない | WEBアニメスタイル

    明治時代の都市計画で作られた呉の町は碁盤の目のようになっていて、マス目の幅は、千年以上前の律令制で作られた周防国府の碁盤の目とまったく同じく1町(=100メートル強)の長さになっている。そういうとこは、『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台とちょっと似ている。ただ、呉市の碁盤目は1マスが正方形でなく、横には1町なのだけど縦はだいぶ狭い(写真1)。 京都の碁盤目だと、横方向に通る通りの名は、 丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ) 姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき) …… とかいう歌で覚えるのだけど(高校の修学旅行で京都に行ったときの知識だ)、呉の場合、横に通る道は単に「一丁目筋、二丁目筋、三丁目筋……」だった(今は町名変更があって「何丁目」というのが変わってしまってる)。 呉の碁盤目の縦筋は、右から「通」「中通」「堺川通」「蔵通」「岩方通」「今西通」「公園通」「東二河通」「西

    第33回 キリがない | WEBアニメスタイル
    navix
    navix 2016/12/31
    「「この世界の片隅に」の中で、すずさんは「19年9月」「20年6月」と2回、ここへ来ることになる。(略)そこには、一般人を入れないようにする「ゲート」があったはずだ。これは「海軍第一門」といった」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(7)紅の器 | マンバ通信

    アニメーション版『この世界の片隅に』を見ていると、マンガにそんなことが描かれていたのかと虚を突かれることがある。たとえば画帳だ。 19年5月、径子たちが街に戻って再び事の支度をすることになったすずは、刈谷さんから教えてもらった料理を試みるのだが、なぜか広島に帰ったときに描いた街のスケッチを広げており、めくると、続くページに調理法を描いた絵が現れる。この画帳は、すずが実家に帰ったとき父親にもらったおこずかいで買ったものだ。物資不足の時代だから、いくつものノートを使い分けるゼイタクはできなかったのかもしれない。それでも、街の景色も料理の方法も一つの画帳に収まっているのを見ると、すずの絵心の分け隔てなさが表れているようで温かい気持ちになる。すずにかかると、「かく」ことのもとですべてがそれぞれの価値を持っているかのようだ。 おそらくすずは事あるごとに、こんな風に身の周りのできごとを画帳にしたため

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(7)紅の器 | マンバ通信
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    navix 2016/12/31
    「すずの右手が描く絵には、まるで手紙のように宛先がある」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(6)笹の因果 | マンバ通信

    「とりかへしのつかぬあやまちをおかして仕舞ひました」と主婦十九歳はがっくりしている。義姉の径子が様子を見に行くと、驚いたことにその主婦十九歳はずらりと並んだ端切れを前に、目を笹の葉のごとく三線にして「裁ち間違えた……」と俯いている… 【図1: 中巻 p. 74】 19年11月の回は、マンガ版『この世界の片隅に』の中でもとりわけ変わった構成をしている。まず、テキストは、戦前のお悩み相談の体で進む。義姉の径子は義妹について悩みを打ち明ける。「家事を任せてゐる義妹は大陸的性質です。殊におさいほうが大ざつぱで気になります」。この義妹とは、むろん、すずのことだろう。よく観ると、径子の着る割烹着の肘にも、もんぺの膝にも、地の柄とは似ても似つかぬ素っ頓狂な柄のツギがまつり縫いで当ててある。どうやらこれがすずの「大ざっぱ」な仕事らしい。 では、すず(主婦十九歳)はまったくの不器用なのか。そうとも言えな

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(6)笹の因果 | マンバ通信
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(5)三つの顔 | マンバ通信

    マンガ版「この世界の片隅に」の第15回、19年9月のこと。周作はうっかり家にノートを忘れ、すずが届けに行こうとする。普段着のまま出ようとするのを見咎めた径子にうるさく言われて、すずは着替えて白粉もはたき、すまし顔で出かける。着替えた服は、やはり径子にうるさく言われて着物から仕立て直した笹模様のもんぺなのだが、これは周作にというよりは径子に気を遣ってのことかもしれない(以来、すずのお出かけの服はきまってこの笹模様だ)。 鎮守府に来たすずはおすましした標準語の口調で「帳面をお届けに上がりました」と一礼して周作にノートを差し出す。出迎えた周作は「えっ」と驚いてからようやく「ああすずさんか」と気づく。 このやりとりを描いた一コマは、読者にちょっと謎をかけている。周作は、一瞬相手がすずであることがわからなかったらしい。では、なぜわからなかったのか。家では見せないかしこまった振る舞いゆえか、それともお

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(5)三つの顔 | マンバ通信
  • 呉戦災を記録する会

    呉戦災を記録する会 2022年 9月2日 第94版 更新履歴 新規・おすすめビデオ と おすすめ記事 はじめに 77年前、アメリカ空軍が日を、呉市を猛爆撃しました。 たくさんの市民が殺され、街は焼け野が原となりました。 日の兵士も中国やアジアで、多くの人を殺しました。 戦争はゴメンです。でも、今また、戦争の準備が進められており、 呉市は、呉軍港と海上自衛隊の拡充で、戦争の最前線にたっています。 かつての呉空襲の状況と、戦災の悲惨な体験を見てみましょう。 拡大 来襲した グラマン と B29    焼夷弾で炎上する呉警察署と消防署 呉空襲の特色と詳細 兵器マニア用 日米艦艇飛行機等兵器比較一覧 呉の空襲は米軍の対日戦略目標に従って、順次、行なわれました。 呉は、日土で、沖縄戦と共に、唯一の格的な戦場になった都市です。 中国地方で、最初の格的な空襲が行なわれました。 呉地区最初の警

    呉戦災を記録する会
  • 「呉戦災ーあれから60年ー」目次と全内容(pdf) - 呉戦災を記録する会

  • 呉戦災ーあれから六十年ー

    navix
    navix 2016/12/31
    「目次と「はじめに」「おわりに」を全文紹介」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(4)空を過ぎるものたち | マンバ通信

    『ぴっぴら帖』『こっこさん』『日の鳥』。こうの史代の作品で、鳥は特別な位置を占めてきた。『この世界の片隅に』に表れる鳥もあちこちで不思議な印象を残す。中でも読後、間違いなく読者の記憶に残る鳥は、サギだろう。 マンガの中でサギがはっきりと描かれるのは、意外にも中盤以降だ。19年12月、呉で久し振りにすずに再会した水原は、オミヤゲがわりに鳥の羽をすずに渡す。水原は南方の船上で、サギに似た鳥を見上げたのだという。マンガの片隅に記された注には「サギの中でも、チュウサギは冬を東南アジア、夏を日で過ごす渡り鳥なんだって」とある(この注が羽で始まる小さな工夫がまたぐっとくる)。しかし、故郷の広島での水原の記憶は違う。「のう……年がら年中、川へつっ立っとろう?」。おそらく南方で空を見上げた彼は、郷里でもある広島がひととき空を過ぎったような、奇妙な幻視の感覚に囚われたことだろう。幻かうつつか、水原の手元に

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(4)空を過ぎるものたち | マンバ通信
    navix
    navix 2016/12/31
    「こうの史代の談話によれば、鉛筆で描いた線は印刷にどう出るか予測しにくいから、一度コピーを取ることで濃淡を定着させる意味があったのだという(「この世界の片隅に」公式アートブック/宝島社参照)」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(3)流れる雲、流れる私 | マンバ通信

    マンガのことばはテキストで、アニメーションは声。 そう書くと、いや、マンガのセリフだって話し言葉ではないか、という反論がくるかもしれない。しかし、たとえ話し言葉であってもそれはテキストである。その多くは抑揚や強弱や速度、あるいは表情を欠いている。もちろん、?や!、あるいは太文字や書き文字による装飾によって多少の表情をつけることはできるし、そうした装飾付きのテキストから頭の中で誰かが話しているところを想像したり、実際に自分で朗読することもできる。しかし、そのやり方は読み手に委ねられている。 たとえば、「ほんらいはアニの役目でしたが風邪のため、わたくしが」というテキストがあるとする。これをわたしたちはどう読めばよいだろう。見たところ、何の変哲もない標準語だ。何の装飾もない。すらすらと、訛りのないことばで読めばよいように思える。 では、次の3コマを見てみよう。上のテキストは実は『この世界の片隅に

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(3)流れる雲、流れる私 | マンバ通信
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    navix 2016/12/31
    「これらの、テキストには表れない微細な言語上の表現や感情表現が一気にきこえてきて、わたしたちは始まってほんの1,2分のうちに、のんの声がすずから発していることを体感する」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信

    マンガ「この世界の片隅に」には、「かく」場面が多い。鉛筆で、絵筆で、羽で。すずはかくことが好きだ。婚礼の日ですら、嫁ぎ先の片隅に居場所を見つけ、行李の前に座り込んで兄に絵入りのはがきを書く。祝いの席で出たべものをひとつひとつ鉛筆で絵に描いてから、「兄上のお膳も据ゑましたよ。せめて目でおあがり下さい。」とことばを添える。しかし翌朝、はがきの表に自分の名前を書き終えたすずの手がふと止まる。すずは新しい家族に尋ねる。「あのお………… ここって呉市…? の何町…? の何番ですか?」 「ぼうっとしている」すずは、嫁ぎ先の住所すら把握していなかったというわけなのだが、ここでわたしがなぜ「すずの手がふと止まる」と書けたかといえば、マンガのコマ運びがこうなっているからだ。 (『この世界の片隅に』上巻 80ページ) すずが表書きを書くコマはわずか3つにすぎない。けれど読者はこの3コマから、鉛筆の動きと停滞

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(2)「『かく』時間」 | マンバ通信
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    navix 2016/12/31
    「水原のことばの中途で声の遠近を切り替え、そこに動く絵の短いカットを重ね、観客が耽溺するよりも早く消し去る絶妙なタイミングは、絵コンテ集を見るとあらかじめ精密に設計されていたことがわかる」
  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信

    2016年11月、ついにアニメーション版『この世界の片隅に』が公開された。アニメーション好きばかりでなく、原作であるマンガのファンからも高い評価を受けている。2回あるいは3回観たという知人もいる。わたしは4回観た。名作であることは間違いない。しかし、名作名作と言っているだけでは飽き足らない。そろそろこの物語について、ネタバレも含めて自由に語りたくなってきた。 わたしはふだん、誰か一人の行為ではなく、行為と行為のやりとり、すなわち相互行為を扱う仕事をしている。だから、アニメーションで交わされる会話をきくときには、特定の誰かの声の魅力に聞き入るよりも、誰かと誰かの相互行為において彼らの声がどんな風にきこえてくるか、それを手がかりにアニメーションの受け手はその場面をどんな風に理解しているかが気にかかる。また、原作とアニメーションのどちらがよいか、ではなく、アニメーションが原作をどう翻案することに

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(1)「姉妹は物語る」 | マンバ通信
    navix
    navix 2016/12/31
    「アニメーションは、冒頭のエピソードを姉妹の会話に翻案することによって、この愉しみを、原作から掬い上げている」
  • 片渕須直×こうの史代『この世界の片隅に』 - 青春ゾンビ

    広島と呉、太平洋戦争の我が国における悲劇の地を舞台としながらも、戦争の悲しみや怒りと同等、いやそれ以上に、そこで繰り広げられていた人々の暮らしの営み、恋、吐く息の温かさ、そういった”戦災”という言葉で全てなかったことにされてしまいそうな、”生”のきらめきを描く事に注力している。だからこそ、『この世界の片隅に』は、人間の固有性にまつわる物語だ、と言える。戦死者○名、といったような記号でのっぺらぼうにされてしまった人々の顔、名前、声、人格、特技etc・・・を鮮明に描き出す事で、その固有性を蘇らす。そうすることでやっと、我々はその悲しみを想像することができるのだ。つまり、作はクリント・イーストウッドが年送り出した『ハドソン川の奇跡』という傑作や、奇しくも主演女優を同じくする宮藤官九郎脚NHK連続小説テレビ『あまちゃん』(2013)と、そのフィーリングを共有する。あらかじめ、観る者がその結

    片渕須直×こうの史代『この世界の片隅に』 - 青春ゾンビ
    navix
    navix 2016/12/31
    ネタバレあり注意。「人間の固有性にまつわる物語」。「”能年玲奈”という名(=固有性)を奪われてしまった、”のん”が『この世界の片隅に』という作品の主演声優を務めるというのは、あまりに」