■世界中につながる小さな扉 ロシア語の〈先生〉はクマだった。 1979年6月、新潟空港に着いた飛行機のタラップで、クマが後ろ脚だけで立ち、ポーズを取った。ボリショイサーカスの来日公演だ。 大学のロシア文学科を卒業したばかりの大島さんは、5頭のクマを乗せたトラックの助手として45都市を回った。読むことはできたが、話せなかったロシア語で、餌の手配のために調教師とやり取りするうちに、会話も通じるようになり、舞台での芸人の真剣さにひかれていった。 3カ月後。一行が横浜港から帰国する夜、大桟橋の近くで飲みながら待っていると「荷積み始まってますよ」と、知らされた。クマが檻(おり)ごと積み上げられていた。号泣した。 「もう二度と会えないと。このとき私は、一度入ると出られなくなるという、サーカスの“魔法の輪”に入ってしまったのかもしれません」 世界各地のサーカスを日本に呼びつつ、学生時代から興味があったロ