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ブックマーク / www.nippon.com (5)

  • 「博士」に未来はあるか—若手研究者が育たない理由

    の科学研究の失速が指摘される中で、2018年1月京都大学iPS細胞研究所で論文不正が発覚するなど、若手研究者の現状に注目が集まる。多くが大学研究室で非正規ポストに就き、厳しい研究環境に置かれている。政府が目指す「科学技術イノベーション」実現にはほど遠い実態だと筆者は指摘する。 若手研究者の6割超が任期付きポスト京都大学iPS細胞研究所で、任期付き特定助教による論文不正が発覚したことは記憶に新しい。一部の報道では、その背景として任期内に成果を挙げなければならないという焦りがあったのではないかとされている。しかし、任期付きポストにある研究者のほとんどは研究不正など行わない。だから任期の問題を主たる理由と考えるのは間違いである。 とはいえ、若手研究者の6割以上が任期付きポストに置かれている現状は決して望ましくはない。大学のこのような状況を目の当たりにしてか、アカデミアを敬遠する学生が増えてお

    「博士」に未来はあるか—若手研究者が育たない理由
  • 足並み乱れる各国、鍵は長期的なアプローチに―欧州から見たガザ紛争

    ウクライナ戦争では対ロシアで一致結束した欧州諸国。イスラエル・ハマスの戦闘を巡っては、各国の世論は分裂し、足並みの乱れが目立つ。 ロシアウクライナ戦争は、ウクライナに甚大な被害を与えるとともに、これまでにない結束を欧州にもたらすことにもなった。ロシアの軍事的脅威を前にして、欧州27カ国が集まる欧州連合(EU)や英国、ノルウェーなど各国の団結と連帯意識は、侵攻開始から2年近くを経ても、大枠では揺らいでいない。ハンガリーがウクライナ批判を繰り返すなど多少の脱線や確執があるとはいえ、欧州が一致して危機に立ち向かう態勢は、曲がりなりにも維持されている。 それだけに、昨年突如勃発したイスラエルとイスラム主義勢力ハマスとの軍事衝突では、欧州各国の足並みの乱れが、逆に目立つ。どちらの立場を支持するか、それほどの危機感を抱くか。各国の世論は分裂し、それぞれの政府の対応も定まらない。 欧州は今後、この紛争

    足並み乱れる各国、鍵は長期的なアプローチに―欧州から見たガザ紛争
  • 鬼とは何者か―差別、偏見、排除の日本史

    多くの日人が「鬼」と聞いて思い浮かべるのは、「桃太郎」の挿絵などで目にする、角2、ギョロ目で金棒を振り回す赤鬼、青鬼だろう。かつて鬼はリアルな脅威で、古代の歴史書にはその出現が事件として記録され、鬼とみなす対象もさまざまだった。時代が下るにつれ、妖怪の一種として、主に物語の中で語られるようになる。日人にとって、鬼とは何者なのか。宗教史学者の小山聡子氏に聞いた。 小山 聡子 KOYAMA Satoko 二松学舎大学文学部教授。1976年生まれ。専門は日宗教史。2003年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。主な著書に『往生際の日史―人はいかに死を迎えてきたのか』(春秋社、2019年)、『もののけの日史―死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中公新書、2020年)。共編著に『幽霊の歴史文化学』(思文閣出版、2019年)。最新刊に『鬼と日人の歴史』(2023年、ち

    鬼とは何者か―差別、偏見、排除の日本史
  • 縮小する日本:ジェンダー視点抜きの「少子化対策」は出生率低下を止められない

    加速する出生数減少をい止めようと、岸田政権は「異次元の少子化対策」をうたう。過去30年間、政府は繰り返し少子化対策を打ち出したが、減少に歯止めがかからない。日のジェンダー研究者の草分けである目黒依子氏は、「性別によって固定的な役割を押し付ける社会構造」が根的に変わらない限り、少子化は止まらないと指摘する。 目黒 依子 MEGURO Yoriko 上智大学名誉教授。NGOジェンダー・アクション・プラットフォーム(GAP)代表。1938年生まれ。米ケース・ウエスタン・リザーブ大学大学院で博士課程修了(社会学博士)。74年に日で初めての「女性社会学」を上智大学で開講。日家族社会学会会長、国連総会日政府代表代理、国連婦人の地位委員会日本代表などを歴任。2011年にGAPを立ち上げる。主な著書に『少子化のジェンダー分析』(共編著/勁草書房、2004年)、『揺らぐ男性のジェンダー意識―仕事

    縮小する日本:ジェンダー視点抜きの「少子化対策」は出生率低下を止められない
  • 昭和天皇は岸信介元首相をどう評価していたか:追悼歌と「東條より悪い」発言の大きな隔たり

    「昭和の妖怪」とも言われ、亡くなった安倍晋三元首相の祖父で、最近は旧統一教会問題でも改めて注目されている岸信介元首相。昭和天皇が岸元首相に関して述べたことが断片的にいくつか伝わっているが、その内容はそれぞれ違っている。昭和天皇は岸元首相をどう評価していたのか、明らかになっている資料を基に考えてみたい。 日米安保条約の改定を推進 岸元首相は商工官僚の出身で、戦前に中国東北部に建国された日の傀儡(かいらい)国家「満州国」の実力者となる。1941年、東條英機内閣の商工大臣として太平洋戦争開戦の詔書に署名。終戦後(45年)A級戦犯として逮捕されたが、不起訴、釈放となった。政界に復帰して、長期政権の吉田茂内閣を打倒し、保守合同で自由民主党の誕生を主導した。 56年の自民党総裁選では、決戦投票で2、3位連合の石橋湛山に敗れ、外務大臣に。しかし、石橋首相が2カ月後に病で倒れ、代わって総理大臣となる(5

    昭和天皇は岸信介元首相をどう評価していたか:追悼歌と「東條より悪い」発言の大きな隔たり
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