漱石の小説にはぐうの音も出なかった 明治時代の半ばに、わが国で流行したのが「リアリズム」です。 前回も少し触れましたが、フランス文学のバルザックやビクトル・ユーゴーなどが書いた小説、ルノワールやマネ、モネなどの印象派などがいう「リアリズム」=自分が感じたとおりに粉飾することなく、ありのままに書(描)くという表現です。 ドイツに留学した鷗外も、リアリズムの影響を受けないはずがありません。 ただ、文体はすでに触れたように、擬古文で読み難いものでしたが、内容は、洗いざらいなんでも書くというものでした。 『舞姫』もドイツで同棲していた女性との関係を小説化したものです。 1900年代に入ると、『ヰタ・セクスアリス』(1909年)や、『沈黙の塔』(1910年)を発表します。 『ヰタ・セクスアリス』(1909年)は、主人公の性的経験の回想で、性をめぐる考察を書いたものでした。そのあからさまな内容から、当
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