生前のサッカーボーイ(2011年7月撮影) サッカーボーイ(2011年7月撮影) サッカーボーイ(2011年7月撮影) 生前使用していた厩舎に祭壇が用意されている “それ”を見たのは1987年12月20日。暮れも押し迫った中山競馬場の場内テレビだった。目の前で行なわれた朝日杯3歳S(G1)は6頭立て。馬券的には3頭立てみたいなレースで、当たり前のようにサクラチヨノオーが先頭でゴールを駆け抜けた。脱力感を禁じえないままに、何気なく映し出されるテレビの画面から飛び出しそうな勢いで弾け飛んだ馬がいた。それがサッカーボーイだった。 サッカーボーイという、どこかヤンチャな少年を連想させる名前と圧倒的なレース。関西テレビの杉本清アナウンサーは、その実況の中で「差が開いた開いた開いた、あのテンポイント以来の着差になるか」と同馬のレースを称えた。ここまで3勝の内訳は9馬身、10馬身、そして8馬身。ワクワク