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*史に関するnobodyplaceのブックマーク (144)

  • 新選組「洛中最後の拠点」諸説論争に決着か 西本願寺古文書に「西九条村」の記述|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    幕末に活動した新選組が洛中最後の拠点とした「不動堂村屯所」について、直前に屯所があった西願寺(京都市下京区)の古文書に、移転先を現在ホテルがある下京区堀川通塩小路下ル松明町一帯の「西九条村」とする記述があるのを、新選組のふるさと歴史館(東京都)の元館長が見つけた。移転に関わった寺院の史料だけに、専門家も確定的とみており、諸説ある議論に終止符を打つ可能性がある。 新選組は中京区の壬生寺近くの前川邸・八木邸、西願寺を経て、1867(慶応3)年6月から半年ほど、不動堂村屯所を拠にした。会津藩傘下の浪人集団から幕府直参になった最盛期に重なり、隊士も200人ほどに膨らんだため、より広い場所を求めたという。ただ、同屯所の立地を示す資料は限られ、複数の説が示されていた。 新選組のふるさと歴史館元館長の藤井和夫氏は、昨年夏に調査した西願寺の「願寺文書」で、慶応3年3月の諸日記に「新選組屯所引移地

    新選組「洛中最後の拠点」諸説論争に決着か 西本願寺古文書に「西九条村」の記述|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
  • 「日本最大級の偽文書」か 郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    椿井文書を模写したとされる「笠置山之城元弘戦全図」。椿井文書が山城地域に波紋を広げている(京田辺市田辺・中央公民館) 京都府山城地域の自治体史に数多く引用されてきた史料「椿井文書(つばいもんじょ)」を偽文書と指摘する新書が先頃出版され、地元の歴史関係者らに波紋を広げている。たった1人の男が質の高い偽文書を大量に作り出した手法などを明らかにしており、特に関わりの深い山城地域では定説が覆りかねないためだ。郷土史が再検証を迫られるだけでなく、「日最大級の偽文書」の作者かもしれない男の人物像にも注目が集まる可能性がある。 椿井文書は、山城国相楽郡椿井村(現木津川市)の有力農民、椿井政隆(1770~1837年)が制作した文書の総称。椿井は山城や近江、河内、大和などで、武家につながる家系だと示したい豪農や山の支配権争いなどに関わり、歴史的な正当性を与えるために多くの文書を創作したとされる。 以前から

    「日本最大級の偽文書」か 郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
    nobodyplace
    nobodyplace 2020/05/09
    “椿井がわざと架空の年月を頻繁に書くなど完璧に偽装しようとしていない遊び心がある点にも着目” 面白いなあ。逆に興味湧いてきた
  • 祇園祭の山鉾巡行は中断と再開の歴史 応仁の乱で中止、本能寺の変で延期も|社会|地域のニュース|京都新聞

    新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、日三大祭りの一つ祇園祭のハイライトの一つである山鉾巡行の中止が20日、発表された。祇園祭の歴史をたどると山鉾巡行は中止と再開を繰り返している。 祇園祭そのものは平安時代の869(貞観11)年、京都をはじめ各地で疫病が流行したことから、厄災除去を願って始まったとされる。 山鉾巡行は鎌倉時代に始まったと言われ、室町時代には応仁の乱(1467~77年)で30年以上中断した。安土桃山時代、織田信長が殺害された能寺の変のあった1582(天正10)年には祇園祭自体が11月に時期を変えて行われた。 江戸時代に入ると、将軍や上皇の死去で祭り自体がたびたび延期された。幕末には蛤御門の変(1864年)で巡行を支える山鉾町一帯が火災に遭い、翌年の前祭巡行は行われなかった。 1879(明治12)年にはコレラ流行のため、祇園祭は11月に実施された。86年、87年、95年

    祇園祭の山鉾巡行は中断と再開の歴史 応仁の乱で中止、本能寺の変で延期も|社会|地域のニュース|京都新聞
    nobodyplace
    nobodyplace 2020/04/21
    具体的な例が歴史的すぎる
  • 「勘は当たってたよ、じいちゃん。」シベリア抑留で一度も会うことなく亡くなった祖父と自分を繋いだ一通の手紙の話

    kentarotakahashi @kentarotakahash 今日は祖母のものだった手紙類の箱が出てきた。さすがに、これは捨てるしかないだろうと思ったが、一通だけ封書の中身を見てみた。それが何と、僕が生まれた二日後に書かれた祖父からの手紙だった。 pic.twitter.com/xJHLiJpquI kentarotakahashi @kentarotakahash 「それから紀代子さん(私の母)は18、19日頃に安産されたと考えおりまして、19日に二人でお祝いを致しました。電報も電話もありませんから、ただただ勘でゆくよりほかありません」と書いてある。僕は1月19日に生まれた。勘は当たってたよ、じいちゃん。 pic.twitter.com/jnVePRQJgs

    「勘は当たってたよ、じいちゃん。」シベリア抑留で一度も会うことなく亡くなった祖父と自分を繋いだ一通の手紙の話
  • 首里城とは(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

  • ラグビーと「アパルトヘイト」 50年前に何があった - BBCニュース

    アフリカの残忍なアパルトヘイト(人種隔離)政権を打倒するための闘いにおいて、1969年11月15日は「地殻変動的」に重要な日となった。

    ラグビーと「アパルトヘイト」 50年前に何があった - BBCニュース
  • 徳川家康が利根川の流れを変える治水事業をやっていなければ台風19号でもっと大きな被害が出ていたかもという話

    ボヘカラ @BOHE_BABE 徳川家康が利根川付け替える治水始めなければ、台風19号による今夜の荒川二瀬ダム、利根川二俣ダム、渡良瀬川草木ダム、神流川下久保ダムの緊急放流は、全部今の荒川か中川か隅田川に注いで、水浸しになってた訳で、23区東部民は日光参拝して、家康に感謝した方がいいぞ。

    徳川家康が利根川の流れを変える治水事業をやっていなければ台風19号でもっと大きな被害が出ていたかもという話
    nobodyplace
    nobodyplace 2019/10/15
    利根川と荒川が一緒に東京湾に注いでたのを、分離・付け替えて利根川は銚子に向かうようにしたのね。なるほどすごい
  • 夫の実家から軍刀が…警察では鞘から刀身が抜けず危険物扱いで廃棄の危機も、審査会に持ち込んだところ驚きの結果に

    たぼ @priturbo1210 審査会で専門家の手にかかったら…簡単に鞘から刀身が抜けた!全然錆びてない! 目釘外してバラしたら… 兼定の門派、関の刀鍛治「福兼宗」の銘が入ってた。関市出身の私は胸アツ。 「名の通った刀匠だよ。戦時中に作った刀だね。お爺さんの歴史なので大事にして下さいね。→ たぼ @priturbo1210 これを磨くがどうするかは自由です」って。 「柄袋までちゃんと揃ってるのは珍しい」そうで、登録して持ち帰ってきました。 価値無しどころか、銘刀じゃん❗️ 審査には大勢の方が刀剣を持ち込んでて「銘なし」と言われてる物もあったのに… 義曾祖父ちゃん、凄いの携えてたのね。

    夫の実家から軍刀が…警察では鞘から刀身が抜けず危険物扱いで廃棄の危機も、審査会に持ち込んだところ驚きの結果に
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    nobodyplace 2019/09/27
    近代の刀にはロック機能があったらしい
  • 千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る(田中淳夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    千葉を訪れた。駆け足ながら、9月9日の明け方に千葉県に上陸した台風15号の被害を目にして、そのすさまじさを感じることになった。もっとも大変なのは、家屋などの破壊だけでなく電力の供給網が寸断され大規模な停電が発生したことだろう。そして1週間過ぎた今も停電は多くの地域で続いているのである。なぜ、こんなに復旧に時間がかかるのか? 停電したのは強風によって鉄塔や電信柱が倒壊したうえに、おびただしい数の倒木が生じたためだろう。倒木が道をふさぎ、事故現場に到達しにくいという問題と、倒木そのものがが架線を切断、もしくは引っかかったままになっている問題が重なっている。倒木処理が停電解消には欠かせないことがわかる。 そんな現場を見て感じたことを2点記したい。 非常に難しい倒木やかかり木の処理 倒木なんて、人海戦術でさっさと片づけろと思われる人もいるかもしれない。だが倒木処理は、非常に難易度が高いのだ。復旧を

    千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る(田中淳夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • WEB特集 文字の歴史が変わる!? | NHKニュース

    「日列島で文字が使われたのはいつからか?」。諸説あるが「5世紀ごろ」には確実に使われていただろうと考えられている。しかし、文字が使われた時期が、大きくさかのぼるかもしれない。鍵を握っているのは、5世紀よりも前の弥生時代や古墳時代の遺跡から出土した「石の破片」。調査の結果、この石の破片が、ある「文房具」と判断される事例が九州北部を中心に相次いでいるという。なかには紀元前の時代の遺跡から出土したものもあり、紀元前にはすでに文字が使われていた可能性を指摘する専門家もいる。(福岡放送局記者 島田尚朗)

    WEB特集 文字の歴史が変わる!? | NHKニュース
  • 米国に広がるダム撤去の動き

    2014年に米国で解体あるいは爆破された72基のダムの一つ、ワシントン州のグラインズ・キャニオンダム。(Photograph by Elaine Thompson, AP) 昨年、独立戦争初期に造られたホワイト・クレー・クリークダムが撤去された。米国デラウェア州としては初の撤去となったが、米国全体を見ればこれはほんの一例にすぎない。1月27日、環境保護団体アメリカン・リバーズは、2014年だけで72基のダム(堰堤を含む)が解体あるいは爆破され、西はカリフォルニア州から東はペンシルベニア州まで合計1200キロ近い河川が元の姿に戻ったと発表した。 20年前、ダムを取り壊すという考えは主流ではなかった。もはや使われていない、あるいは付近の住民の安全を脅かす場合に限って、支持を得ていたようだ。 最近になってダム撤去の動きは、全米で広く受け入れられるようになった。野心的な取り組みもあり、1月27日に

    米国に広がるダム撤去の動き
  • ヒマラヤ山脈の湖で見つかった何百体もの人骨、謎さらに深まる

    <標高5000メートルを超えるヒマラヤ山脈の湖岸で見つかった何百体もの人骨。38体の人骨について全ゲノムシーケンス解析を行ったが、謎はさらに深まることになった......> インド北部ウッタラーカンド州に属し、標高5000メートルを超えるヒマラヤ山脈の中にあるループクンド湖は、何百体もの古代の人骨が湖岸から発見されたことから、「スケルトンレイク(骨の湖)」や「ミステリーレイク(謎の湖)」と呼ばれている。 これまで、これらの人骨は、同じ自然災害で被害に遭った人々であろうと考えられてきたが、これらの人々がいったい誰で、なぜループクンド湖を訪れ、どのように亡くなったのかについては、まだ完全に解明されていない。

    ヒマラヤ山脈の湖で見つかった何百体もの人骨、謎さらに深まる
  • 変わる室町時代のイメージ 応仁の乱で焼け野原は大げさ? : 京都新聞

    かつての山鉾巡行の形態をとどめる綾傘鉾。にぎやかな風流囃子物の雰囲気を伝える(17日、京都市下京区・四条通河原町交差点)=撮影・安達雅文 足利氏が京都に幕府を開いた室町時代のイメージが変わってきている。文献や考古の研究調査が進み、教科書の記述や伝承とは違った見解が示されている。応仁の乱や祇園祭山鉾巡行、北山・東山文化を例に、歴史家に知見の一端をひもといてもらうと…。 京都で「先の戦争」と評されることもある応仁の乱(1467~77年)。将軍や有力者の跡目争いや対立に端を発した争乱は幕府の権威を失墜させ、乱世のきっかけになった。この歴史的な評価は変わらないものの「京が焼け野原になった」との言い回しはやや大げさかもしれない。 近年は「応仁・文明の乱」と表記するように、二つの元号にわたって11年ほど続いたが、史料にある洛中の戦火は応仁年間の2年間に集中し、文明の9年間は劇的に減ったようだ。被害状況

  • 香港人に英国籍付与、英議員の提案は香港問題の流れをどう変えるか?

    多発デモや混乱、情勢の混迷を深める香港(参照『香港問題の質とは?金融センターが国際政治の「捨て駒」になる道』)。中国による武力介入が懸念されるなか、打開策として様々なシナリオが描かれている。 香港人に英国籍を与えよ! 300万人規模、半数近くの香港市民が一夜にしてイギリス人になった場合。――あり得ない仮説のようだが、実はあり得ない話ではないのだ――。 「香港市民には英国籍を与えるべきだ。香港の抗議運動を支援する英国の姿勢を見せるときだ」 英国国会議員、外交委員会委員長のトム・タジェンダット(Tom Tugendhat)氏は、1997年香港撤退(中国返還)の際に放置されてきた市民の国籍問題の解決を促し、英国籍付与の範囲を香港の中華系市民(ホンコン・チャイニーズ)にも及ぶべきだとし、英国が香港から引き上げた当時そうしなかったのは間違いであって、それを是正すべきだ(wrong that nee

    香港人に英国籍付与、英議員の提案は香港問題の流れをどう変えるか?
  • 韓国光復節についてのWikipediaの補足的コメント: 極東ブログ

    韓国光復節についてのWikipediaの説明をざっと読んでいて、少し奇妙な感じがした。説明に間違いがあるというのではない。抜けがあるんじゃないかという感じがしたのである。その抜けと思われる部分について、ごく些細な参考までにではあるが、補足的なコメントしておきたい。もしかすると、編集過程で意図的に削除されているのかもしれない。なお、以前にも書いたが、私はWikipediaを使った嫌がらせを受けたことからこのプロジェクトには関わりたくない。 まず、関連部分を引用する。抜けと思われるのは、1945年8月18日のできごとである。Wikipediaのこの項目では、8月17日から9月2日までの間の話が含まれていない。なお、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」や「朝鮮建国準備委員会」にも同様の抜けと思わる箇所がある。 朝鮮半島は韓国併合(1910年)以来、大日帝国(朝鮮総督府)の統治下にあった。だが、1945

  • 最古級京町家消失「京都市に失望」元所有者自ら選んだ解体の道 : 京都新聞

    京都市内最古級とされた川井家住宅。市がマッチング制度などを通じて解体を防ごうとしたが実現しなかった(京都市中京区) 京都市内で最古級とされる町家「川井家住宅」が8月末、解体された。京町家保全継承条例を受け、市は具体策の柱として掲げるマッチング制度の活用で建物の保存活用を目指したが、早くもつまずいた。町家を持つ業者や元所有者は、支援の乏しさを強調。解体を事前に察知するための規制も対象範囲が一部に限られており、「かえって駆け込み的な解体が増えている」と指摘する声も上がっている。 ■京都市、公金支出に応じず 市は、条例で町家を解体する場合は1年前までに所有者が市に届け出ることを今年5月から義務付けた。義務化と同時期に運用を始めたマッチング制度を組み合わせ、保全を図る構えだ。マッチングでは、市に登録した不動産や建築などの団体が、所有者らに利用希望者や活用案を紹介し、売却や賃貸を促す。条例の義務化前

    nobodyplace
    nobodyplace 2018/11/27
    そもそもの話して良いか。お役所に保全を依存するのが間違ってる。市民に保存の意思がないんだから、町家はこのまま消滅していくんだよ。それが文化ってもんだよ。京都はそうやって発展してきたんだ。
  • 映画「焼肉ドラゴン」

    最近、すっかりTEAM NACSに嵌まり倒してしまっている同居人に誘われて大泉洋さん出演の映画「焼肉ドラゴン」を見てきました。舞台は1960年から70年代くらいまでの大阪、伊丹空港の側にあった在日韓国人(または在日朝鮮人)たちの居住地。書類上の事実としては、来国有地で会った土地を伊丹空港の滑走路建設のためにやってきた在日韓国人を始めとした労働者が不法占拠して出来た街であるけれど、でもそこには戦争の影があり、当然のように差別があり、それらに対立しながらでもなんとなく緩く受け入れ合う空気があり。 この映画の不思議なところは。環境として明らかに差別のある世界であるにもかかわらず、映画の中で直接差別が描かれるのがとても限定的だということ。在日韓国人たちに対する差別は明らかにあるのだけど、この居住地の中では、在日韓国人も、2世も、韓国からの移民も、日人も、お互いを違うと認識しながら違うと受け入れ

    映画「焼肉ドラゴン」
  • 謎の巨大石棺を発見、開けられた形跡なし エジプト

    エジプト北部のアレクサンドリアで発掘調査中の考古学者らがこのほど、黒色花崗(かこう)岩でできた巨大な石棺を発見した。これまで現地で見つかったものの中では最も大きく、ふたが開けられた形跡もないという。 考古省がフェイスブックの公式アカウントで発表したところによると、この石棺は今月1日、当局者が建設現場で定例の考古学調査を行っている際に見つかった。 石棺は縦265センチ、幅165センチ、高さ185センチ。地下5メートルほどのところに埋められていたという。近くからは雪花石膏(せっこう)でできた男性の頭部の像も見つかったが、目や鼻がすり減っており人物を判別するのは不可能な状態だ。

    謎の巨大石棺を発見、開けられた形跡なし エジプト
    nobodyplace
    nobodyplace 2018/07/14
    ロマンだなあ
  • 結月ゆかりのお腹が空いたのでスペシャルVol.23前半 「ニシン食べましょう」

    スペシャルです。ずっとやってみたかった野外ロケ、ドキュメンタリーライク?な動画となります。後半がいつもの料理動画。初めての試みなのでいろいろとあやふやですが、まぁ探りの意味も込めて盛り込んでます。内容もそんなにキッチリ正確な内容というよりはふんわりまとめてますので、寛容な心でご覧ください。 後半➤ sm33313470いちおう前半見なくても後半だけでもお楽しみいただける感じにはしてます。 ◇Vol.22 sm32978737 ◀ [series/3276] ▶ Vol.24 sm33442404

    結月ゆかりのお腹が空いたのでスペシャルVol.23前半 「ニシン食べましょう」
    nobodyplace
    nobodyplace 2018/07/13
    「木骨石造」ってすごいな。合理的の極み。おもしろい歴史エンタメだった
  • 1985年誕生「Windows1.0」を触ってみたら、恐怖のおっちょこちょいOSだった

    デスクトップOSの世界シェアで、88%以上を誇るWindows。最新のバージョンはWindows10だが、いちばん最初のWindowsをご存知だろうか。 その記念すべき最初のWindowsが、Windows1.0だ。1985年に登場したこのOSは、87年に日語版も発売されたがあまり出回らず、幻のOSとも言われる。 しかし、Windows1.0を搭載したPCのある場所が見つかった。その場所は今も昔も電気街でありつづける、秋葉原だった。 ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラーメン、競馬が好き。(動画インタビュー) 前の記事:芭蕉が俳句を詠んだのと同じ場所で2018年に詠み直したら、こうなった > 個人サイト 文化放想ホームランライター

    1985年誕生「Windows1.0」を触ってみたら、恐怖のおっちょこちょいOSだった