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ブックマーク / goboubss.blog.shinobi.jp (6)

  • 牛蒡 価値観は変えるものではなく変わるものだ

    ついったーから吸い上げ。 受験なぞに価値観はいらん ただ日々なすべきことを淡々とこなし無知の知を知り一定量の仕事をすればそれに応じた結果がかえってくるだけだ 頭の良し悪しに関係なくただ量、それだけできまる 大仰にとらえて潰れていったひとや一時期たちどまってしまったひとをみた 自分のことを考える暇があるなら手を動かせ そんだけだ 価値観も大義名分も環境もなにもひつようはない 教養は道具だ 道具を使うのに意識は邪魔だ 道具は体の一部であり自由に意識を介さずにつかえねば、道具を使う以上のことはなせない 道具の使い方の習得は手を動かすこと以外にはありえない ただそれだけの シンプルな事実 教養のあるなしで頭のよしあしは決まらんよね。っていう。

  • 牛蒡 拍子抜けしてるわけだが

    なんだかんだうだうだ言ってたのにあっさり誰よりも早く就職活動が終わってしまって拍子抜けしてるというかなんというか。こう、なんていうか、決まると迷いが出るよね。っていうか、これでいいんだろうか、これから長い人生で今これを選ぶのが当によいんだろうかっていう。そんなの過ぎてみなけりゃわからんのに。自分で出した条件に全部当てはまってて、あえて言うなら知名度だけないけどでもそれはあんまり気にしてない。気にしてないんだけど、今自分が持ってるチャンスを生かしきれているだろうか、ということは考える。わからなくなる。妥協したわけじゃない。それでも。 うん、まぁ先が長いからな。ふあんになるのはしかたないといえばそうなのか。 今日先生の話を聞いている中で、デバイス関連の話が出たとたんに頭がぱっと反応した。やっぱりすきなんだなぁと思った。多分好きなところで、いいと思える環境で、その中でのほうが私は得るものが多い

    nosuke42
    nosuke42 2008/02/14
  • 牛蒡 性別とか

    いや,女ですが,ですけどね…まぁなんというか。もっと性別の種類がたくさんあればなんとなく納得して生きていけることは多いのかなぁとか何とか思ったりする。二つしかないからあれなんだよね,きっとね。 セクシャリティについてつーのを読んで,最後までなんか読めなかったんだけどにぎぎ…という気分になった。 いつも、自分のことを好きになるような男性は好きになれないのだと思っていたけれど、なんか違う気がしてきた。わたしのことを、男友達や、弟子のように見てくれる人が好きで、わたしを女の子として見るひとには「趣味悪いよ」と、自分を好きになってくれるひとなのにツッコミを入れてしまう。だって、女じゃないモン。こんな女にうつつを抜かすような男は問題外、だ、と思ってしまう。同じ人でも、他の女の子にうつつを抜かしているのを見ると、なんだかほほえましくさえ思える。 だから「わたしのことを女性として好きになってくれるひと」

    nosuke42
    nosuke42 2008/02/01
    「曖昧なものは曖昧なままにそのまま持ってればいい気がする」
  • 牛蒡 どういったらいいかわからんが

    紅白に中村中が出てて、それをみてぼろくそいってるやつらがいて横目で見てたわけなんだが、せい同一性障害を受け容れられない根拠が生理がないくせに、なんだってさ。いみわからん。そんなにえらいのか?生理があるのが。子供を生むのは大変だろう。それは確かにそうだろう。だけれども女性であっても産めない人はいる。どんなに産みたくても産めない人はいる。そういう人に対して平気で半人前ということと、性同一性障害で女性になろうとしている人に対して生理の苦しみもわからないくせにということとどこが違うんだろうか。わからない苦しみがあるだろう。それよりも生理はそんなに大変か?面倒ではあるけれども苦しみというほどくるしかないだろう…と思ったりする。わからん。そゆこといえるのが。平気で。んでせせら笑える心理が。

    nosuke42
    nosuke42 2008/01/07
  • 牛蒡 「本当に考えたの?」

    nosuke42
    nosuke42 2007/12/20
  • 牛蒡 頭がいい・能力がある について

    気になるので。 http://twitter.com/sivad/statuses/516279452 東大的に賢い人はそもそもブログとかはてななんてやる動機も必要もないんではないかなぁ。 http://twitter.com/sivad/statuses/516293722 だって彼彼女らは日の中枢に通じるチャネルをいくつも持ってるのに、ブログしこしこ書いてもしかたあんめ。 まず「東大的に」といういみがわからない 情報処理能力という意味では一定ラインで切っているので,ある一定時間一定量以上の情報を一定以上の正確さで処理をするということに関しては一定以上の水準を保って入るだろうとは思う。だが,それだけである。それを頭のよさという風に呼ぶ場合もあるだろうが,その限りではない。少なくとも保障されているのはそういう情報処理能力であって,それ以上でもそれ以下でもない。それは賢さなのか,といわれる

    nosuke42
    nosuke42 2007/12/20
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