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目次 › 2014年4月3日放送の18時台の特集/バックナンバー 大人から子供まで、多くの鉄道ファンに愛された大阪・弁天町の「交通科学博物館」が、52年の歴史に幕を下ろします。 次の日曜が最後の営業日です。 ファンや家族連れが連日詰めかけ、「聖地」との別れを惜しんでいます。 JR大阪環状線「弁天町駅」。 ここに、半世紀もの間、子供たちが目を輝かせてきた場所があります。 実物の車両などおよそ1,000点の展示を誇る「交通科学博物館」。 高井洋文さんはここで42年間働き、多くの人々を迎えてきました。 【交通科学博物館 高井洋文さん】 「私が入った翌年が鉄道100年という大きな節目の年でしたんで、お客さんがものすごく入ってきまして、こんな多くお客さんが来るところかなってびっくりした感じですね」 交通科学博物館は昭和37年(1962年)に、実物の鉄道車両など交通に関する歴史や知識
6日に閉館する交通科学博物館(大阪市港区)は鉄道の展示が中心だが、飛行機や自動車の「お宝」も多い。収蔵品の多くが移る先は、2年後の春に開館する「京都鉄道博物館」。鉄道以外を展示するのは難しく、博物館を所有するJR西日本が貸出先を探している。 「あ、ヒコーキ!」。笑顔の女の子が、頭上を指さした。4人乗りの軽飛行機「KAL―1」。1953年、川崎航空機工業(現・川崎重工業)が戦後初めて開発した記念碑的な機体だ。66年に川崎が寄贈したが、博物館によると、今の川重には残っていないという。 特別展「52年の軌跡展」会場には、アメリカ「ベルX―1」のロケットエンジンがある。人類初の超音速飛行を達成した有人実験機だ。開館した62年に在日米軍から借用展示し、翌年そのまま寄贈されたという。現物はここと米スミソニアン博物館にしかなく、これだけを見に来る人も多い。
JR西日本が運営してきた大阪市港区の「交通科学博物館」。1962年に旧国鉄の交通科学館としてオープンし、「団子っ鼻」で知られた0系新幹線や蒸気機関車「義経号」を展示してきた。近年は実物大のシミュレーターを使った運転体験コーナーも備え、遠足の場所にする小学校も多かった。 52年間の来場者数は累計1811万3433人。最終日の6日は1万人以上の親子連れらが訪れ、最後の別れを惜しんだ。福祉施設職員の吉井綾子さん(30)=大阪府四條畷市=は「もう二度と見られへんと思うとさみしい。今日も写真をたくさん撮りました」と話していた。車両や資料の多くは2016年春にできる「京都鉄道博物館」(京都市下京区)に移される。
大阪・港区の旧交通科学博物館で、多くの鉄道ファンに愛された蒸気機関車「義経」号が京都に移されることになり、13日、出発式が開かれました。 今月6日に閉館した交通科学博物館の展示物は、新しく京都にオープンする博物館に移されることになっています。 134年前の明治時代にアメリカから輸入され、多くの鉄道ファンに愛された「義経」号がその第一号になり、13日開かれた出発式の会場には、子どもたちに綱で引かれた「義経」号が姿を現しました。 そして、子どもたちが「ありがとう、行ってらっしゃい」などと声をかけると、それに応えるように鐘を鳴らして大阪に別れを告げました。 博物館で館長を務めた兵東勇さんは「義経号は人気が高かったので、無事、京都に到着してほしい」と話していました。 「義経」号は、トレーラーで京都の梅小路蒸気機関車館に運ばれたあと、半年ほどの整備を経て構内を運転する形で展示され、再来年には、敷地を
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