65年前、結婚を機に滋賀県からこの街に移り住んだ、高橋のぶ子さん(83)。 【高橋のぶ子さん(83)】 「(自宅は)この辺やった。悲惨やったで。トイレは、7、8軒が共同やろ、水道は引かれてへん、ガスは引かれてない。それで、河原町から向こう(西側)へ行ったら、ガスも水道も引かれている」 【高橋さん】 「京都市まで乗りこんでいったよ。地図広げて『京都市で水道、ガス通っていないところはどこや』って、市長に。そしたら、押していくところ、全部、部落。みんな呼び掛けて立ち上がらなあかんと」 当時、「被差別部落」と呼ばれた崇仁地区の住環境が、他の地域と比べて劣悪だったことに疑問を感じた高橋さんは、地域の住民と共に、京都市に対し「改良住宅」の建設を求める運動を始めました。 京都市は、高橋さんらの運動を受け、1956年、崇仁地区のバラックを買い上げ、「改良住宅」を建設。それは、風呂もエレベーターもない、1戸