若林正丈の「私の台湾研究人生」 私の台湾研究人生:「私はバランサーですよ」――初めて総統府に入り、初めて李登輝に会う 政治・外交 2021.11.06 1990年代初頭、台湾の総統として権力基盤を固めつつあった李登輝と筆者は初めての直接対話を経験する。その場で李登輝が語った言葉は、当時、熾烈な党内権力闘争の最中にあった「綱渡り的」状況を如実に示すものだった。 開いた「パンドラの箱」 前回紹介した1989年12月の選挙後の思いがけない「間接対話」の後、1991年7月第3回アジア・オープン・フォーラムに日本側メンバーの一員として参加した私は、李登輝本人と初めて直接に対面し言葉を交わすこととなった。この間の約1年半、台湾政治は大きく動いていた。この時までに李登輝は、党内闘争に初歩的に勝利して「実権総統」になり、その中道改革路線の下で、3度の憲法修正を経て民主体制の構築に至る「憲政改革」が動き始め