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ブックマーク / www.nippon.com (3)

  • 私の台湾研究人生:「私はバランサーですよ」――初めて総統府に入り、初めて李登輝に会う

    若林正丈の「私の台湾研究人生」 私の台湾研究人生:「私はバランサーですよ」――初めて総統府に入り、初めて李登輝に会う 政治・外交 2021.11.06 1990年代初頭、台湾の総統として権力基盤を固めつつあった李登輝と筆者は初めての直接対話を経験する。その場で李登輝が語った言葉は、当時、熾烈な党内権力闘争の最中にあった「綱渡り的」状況を如実に示すものだった。 開いた「パンドラの箱」 前回紹介した1989年12月の選挙後の思いがけない「間接対話」の後、1991年7月第3回アジア・オープン・フォーラムに日側メンバーの一員として参加した私は、李登輝人と初めて直接に対面し言葉を交わすこととなった。この間の約1年半、台湾政治は大きく動いていた。この時までに李登輝は、党内闘争に初歩的に勝利して「実権総統」になり、その中道改革路線の下で、3度の憲法修正を経て民主体制の構築に至る「憲政改革」が動き始め

    私の台湾研究人生:「私はバランサーですよ」――初めて総統府に入り、初めて李登輝に会う
    noto92
    noto92 2021/11/07
    “李登輝は、開口一番「私はバランサーですよ」と語った。まさに日本語でこのように述べたと、これだけははっきりと記憶している。”
  • 新型コロナ問題で台湾が教えてくれたこと―マイノリティーへの向き合い方でその国が真の「先進国」かどうかが決まる

    新型コロナ問題で台湾が教えてくれたこと―マイノリティーへの向き合い方でその国が真の「先進国」かどうかが決まる 社会 暮らし 2020.04.30 世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスについて、台湾は徹底的な水際・封じ込め対策で成功している。感染対策がうまくいった背景に、筆者は台湾が歩んできた歴史の全てが生かされた結果だと考える。特にマイノリティーやジェンダー、社会的弱者への向き合い方に表れており、学ぶべきところが多い。 感染者ゼロの日 4月14日の夜、台湾台北市のランドマークである円山大飯店の客室が初めて「ZERO」という言葉を灯した。新型コロナウイルスCOVID-19について、台湾で新規感染確認0人が報告されたのを受けて、これまで努力を重ねてきた人々をたたえ、ねぎらうための輝きである。 総感染者数―429人、新感染者―0人、死亡者数―6人(4月28日現在) その後、海外より帰台し

    新型コロナ問題で台湾が教えてくれたこと―マイノリティーへの向き合い方でその国が真の「先進国」かどうかが決まる
    noto92
    noto92 2020/05/02
    今回のコロナについて、台湾人は世界に先駆けてこの状況を抑え込めたことに誇りと自信を感じている。そしてそれは、彼らの選択の正しさを認めるものでも有る。
  • 揺れ動く台湾市民社会―「ヒマワリ運動」が浮上させた「多数」の意味

    馬英九政権の中国傾斜が強まる中、台湾内外に大きな波紋を投げかた「ヒマワリ運動」。その平和的抵抗運動の背景となった台湾の「新しい多数」の特徴と、新たな市民運動の今後について考察する。 学生たちによる「非暴力」抵抗運動 2014年春、台湾政治では「ヒマワリ運動」という旋風が巻き起こり、短い間に「穏やか」に収束した。 去る3月18日、前日の与党国民党が中国との「サービス貿易協定」(2013年6月調印)を立法院(一院制国会に相当)の内政委員会で審議終了・会議送付を強行した。これをきっかけに、抗議する学生が立法院会議場に突入、議場占拠を続け、「両岸(中台)協議監督法令制定前にサービス貿易協定審議についての政党間協議を招集しない」との王金平立法院長(国会議長に相当)の調停を引き出して4月10日議場を退去、運動は一段落を告げたのであった。 この間、学生の一部が行政院(内閣に相当)の建物に突入し、警

    揺れ動く台湾市民社会―「ヒマワリ運動」が浮上させた「多数」の意味
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