公共性と子育て まずは前回エントリの補足から。 こどもとは他者であるから子育てには公共性があると述べたけれども、実際のところこれが自明であるというわけでは全然ありませんにゃー。 例によって倉庫に放り込んでおいた、ハーバーマスによる公共圏の成立過程を僕なりにまとめたものを参照しつつ。 歴史的に見ると、そもそも私的領域というものが、家父長を中心とした小家族の内部にできた【親密圏】からおこってきたものであり、家庭というのは私的領域の典型のはずなのですにゃ。 私的領域において愚行権が成立すると僕は再三再四いっているけれど、この愚行権というのは私的自治を担保するためのレトリックであるといえるわけにゃんね。 もしも、子育てに公共性があるという理路が成りたつとすると、家庭という典型的な私的領域に「公的なるもの」が入ってくることを認めなければならなくなりますにゃ。 倉庫に入れた文を読んでくれればわかるのだ