座敷わらしの宿が爆発音に包まれ炎上した。4日夜発生した二戸市金田一字長川の旅館緑風荘(五日市和彦社長)の火災で、築300年以上の母屋を含む4棟が全焼した。多くの著名人にも愛され、金田一温泉の名前を全国区にした名所が約3時間にわたり燃え続けた。宿泊客一人が軽傷を負った以外、客・従業員30人の無事が確認され胸をなで下ろす一方、同地方の観光への打撃は深刻で、関係者は驚きと落胆の色を隠せない。 緑風荘は母屋を核に戦後、旅館として開業、増改築してきた。南北朝の戦乱期、五日市家が金田一にたどり着いた際に病死した当時6歳の亀麿(かめまろ)が家の守り主になったと伝えられる。 母屋奥座敷の槐(えんじゅ)の間に泊まり、座敷わらしに会うと出世すると言われている。戦前は原敬、米内光政ら歴代首相が宿泊し、開業後は本田宗一郎、金田一京助ら各界著名人が訪れた。 金田一に在住した芥川賞作家三浦哲郎さん(78)が1971年
緑風荘(りょくふうそう)は、岩手県二戸市金田一の温泉郷にある旅館、および通信販売「有限会社 えんじゅ」、「株式会社 座敷わらし」を運営している会社。その他、ファンクラブ真白乃会事務局(旧ファンクラブの亀麿会は本家と分離して個別活動)、亀麿神社の管理・維持を行っている。 宿泊のほか日帰り入浴も可能。低張性弱アルカリ低温泉。単純温泉(ラジウム温泉)[注釈 1]。300年以上前、南部藩の湯治場だったことから「侍の湯」[注釈 2]と呼ばれていた。 概要[編集] 座敷わらしの出没する宿として著名。 座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と呼ばれ、宿では物の怪としてではなく先祖の守り神(精霊)として同施設内に亀麿神社(わらし神社)をつくり祀っている。ご神体は水晶で例大祭は毎年9月28日に行われる。 今日まで多くの著名人が宿泊し、昨今でも幅広いメディアで取り上げられている。 本館と別館[注釈 3]で構成され
「戸(へ)」のつく地名が多いのはなぜ? 青森県には「戸」のつく地名が多いよね。 青森県にある「戸」のつく地名は、三戸町(さんのへまち)・五戸町(ごのへまち)(以上、三戸郡(さんのへぐん))、六戸町(ろくのへまち)・七戸町(しちのへまち)(以上、上北郡(かみきたぐん))、八戸市(はちのへし)の5つだよ。 ほか、岩手県(いわてけん)には一戸町(いちのへまち)(二戸郡(にのへぐん))、二戸市(にのへし)、九戸町(くのへまち)(九戸郡(くのへぐん))の3つがあるよ。 四戸(しのへ)だけがないんだ。 平安時代(へいあんじだい)後期に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部郡(ぬかのぶぐん)がおかれたんだけど、そのとき、郡の中が9つの地区にわけられ、一戸から九戸まで、地名がつけられたんだ。 だから、この「戸」は、「○○地区」や「○○地方」といった意味なんだよ。 お城があった三戸を中心に、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く