5月29日(第10日目) ① 高鐡台北7:30-(高鐡407)→8:27高鐡台中 ② 新烏日8:47-(區間快車3807)→9:27二水 ③ 二水9:59-(區間快車3806)→10:29彰化 ④ 彰化13:14-(自強號1016)→14:06苗栗 ⑤ 苗栗16:37-(自強號1029)→17:33彰化 ⑥ 彰化17:57-(区間車2554)→19:54竹南 ⑦ 竹南20:28-(自強號1036)→21:55台北 彰化機関区見学後は、彰化駅内のセブンイレブンで、阿里山の『奮起湖便當』が売ってありましたので、現地のと同じなのかなと購入して、東部幹線の自強號の主力プッシュプル式のE1000系に乗車しました。 便當の中身は、奮起湖駅で買ったものとは違っていましたが、何種類かはあるのかと、食しました。今日は10元安くて、55元(約160円)です。今回の訪台旅行での昼食は、平渓線の十分駅前食堂以外は
2012.05/06 津山駅機関庫懐かしの鉄道展示室... 今日は朝から雨、一年ぶりに津山駅機関庫懐かしの鉄道展示室に出かけました 雨のため見学者も少なかったです.....しかし...入館前には雨もすっかり上がり晴天になりました 入口の横に新しくジオラマ館が設けられ、また展示車輌も増えていました.......その様子です 2011.05/15 (更新)津山駅機関庫懐かしの鉄道展示室... 津山駅構内 1936年に建設された津山扇形機関車庫は京都梅小路に次ぐ日本で2番目の規模を誇る貴重なもので、岡山県内では1箇所しかなく、地方での鉄道が全盛期を誇った雄大な風景を残し、歴史的にも大変貴重な文化遺産です 展示車両は、現在キハ52-115、キハ33-1001、DD51、DE501、が常設展示され...見学は無料ですが事前申込が必要となります 又、津山扇形機関車庫のジオラマが津山駅観光案内所に展示さ
横須賀線は、海軍の鎮守府が置かれた軍港都市・横須賀、陸軍の東京湾要塞の沿岸砲台一つである観音崎砲台、敵軍の上陸想定地点の一つである長井への輸送を目的として、陸海両軍の要請により建設された路線であり[1][注釈 1]、軍事的な重要路線とされたため、早くから複線化などの整備が実施されて、1924年12月25日には当時の終点であった横須賀までの複線化が完了していた[2]。また、1922年には、東海道本線東京 - 小田原間とともに電化工事が着手され、翌年の関東大震災により一時中断したものの、翌1924年4月に工事を再開し、1925年7月に工事が完成。同年12月13日から電気機関車牽引による客車列車の運転が開始された[1]。 しかし、その後沿線人口が年々増加して輸送量も増え、それに伴う列車本数の増大により、電車の導入が有利であるとされ[要出典]、さらに、1930年に開業した湘南電気鉄道への対策もある
南海電7系電車(なんかいでん7けいでんしゃ)は、南海電気鉄道の前身の一つである南海鉄道が大正時代に製造した木造電車である。 後にモハ1001形などと改称された。 1924年(大正13年)、難波駅 - 和歌山市駅間急行列車に使用するため、4両編成10本、計40両が川崎造船所兵庫工場で製造された。 10編成中6編成には順に「浪速」・「和歌」・「住吉」・「濱寺」・「大濱」・「淡輪」と、客船のように編成ごとに沿線の地名にちなんだ固有の愛称が付けられており、残る4編成は検査予備として無銘のまま運用された。 難波側から、 電付6形(電附第6号形)[1] 211 - 220 電7形(電第7号形) 182 - 200(偶数のみ) 電付5形(電附第5号形) 227 - 236 電7形(電第7号形) 181 - 199(奇数のみ) の4両編成で組成されており、中間に連結される電動車・制御車ともに運転台が設置さ
日本で初めて営業運転された電車の車両。平安神宮の創建と同じ明治28年に、京都市内で運行されたことから、平安神宮神苑に安置されている。 世界的には多くの国が、路面電車や地下鉄などの都市内鉄道を除き、旅客列車・貨物列車ともに、動力集中方式と呼ばれる、機関車と客車や貨車によって構成された動力機関を一箇所にまとめた方式の列車を運行している。これに対し近年の日本は旅客列車において動力分散方式と呼ばれる、電車・気動車などといった動力装置を編成中の複数車両に分散させた形態の列車が主流になっている、世界的に見ても稀有な国で、電車大国と呼ばれることがある(日本以外の鉄道で、動力分散方式が主流になっている国にイタリアがある)。 日本で動力分散方式が発展した背景には、以下のような要因があったとされる。 運転密度を高くすることが求められ、都市部で駅を拡張しようにも土地の入手が困難なことから、折り返し時に機関車を前
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "日本の気動車史" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年11月) 瀬戸自動鉄道のセルポレー式蒸気動車。 工藤式蒸気動車の1例。鉄道院ジハ6006→国鉄キハ6401 三河鉄道の工藤式蒸気動車101号。ほどなくして阿南鉄道に売却され、同社のジハ1形となった。 その歴史の初期には、蒸気機関を装備した「蒸気動車」が存在し、日本でも1900年代から第二次世界大戦中まで若干が用いられていた。床上の一端に小型ボイラーを装備、この側の台車にシリンダーを取り付けて駆動するものである。 導入時期が明確になっている日本で最初の例はフランス
日本の客車史(にほんのきゃくしゃし)では、日本の鉄道における客車の歴史について述べる。本項目では、時代を大きく次の7つに区分して概説する[注釈 1]。個々の客車については、各系列、形式等の項目に詳細を譲り、客車全体の発達と歴史的背景に重点を置いて記述する。 第1期:1872 - 1887年ごろ、#創業時代。 第2期:1887 - 1910年ごろ、#鉄道網発展時代。 第3期:1910 - 1927年ごろ、#基本形以後。 第4期:1927 - 1955年ごろ、#鋼製客車の時代。 第5期:1955 - 1969年ごろ、#軽量客車以後。 第6期:1969 - 1987年ごろ、#12系以後。 第7期:1987年以降、#国鉄分割民営化後。 「最古客車図」 1872年の日本の鉄道開業に際しては、客車は全てイギリスから輸入された。全て2軸車で、同年末で58両[1]。内訳は上等車10両(定員18人)、中等車
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "客車" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年8月) 国鉄時代の客車列車の一例、宗谷本線の普通列車。 旧型客車と呼ばれ、荷物車を含む さまざまの車両で編成された。 客車(きゃくしゃ)とは、主に旅客を輸送するために用いられる鉄道車両である。座席車[1]と寝台車を中心とするが、展望車、食堂車、荷物車、郵便車なども構造的には共通であり、旅客車と一体での運用も多いことから、これらも客車に分類される。 狭義では、機関車などにより牽引される無動力(動力集中方式)の旅客車両を指す。電車や気動車とは区別される。本稿では狭義の客車につ
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