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*_R:倫理と_Arisanに関するo_keke_nigelのブックマーク (3)

  • 「自分で語ってみる」ことをめぐって - Arisanのノート

    『Freezing Point』さんの、こちらのエントリーは、ぼくにはたいへん重要なことが書かれていると思われたので、紹介しながら、自分の考えも書いてみたい。 「人が、自分で語ってみる」 もちろん、ueyamakzkさんが書かれている趣旨とは大きくずれてしまうところが多いだろうから、くれぐれもそちらのエントリーの方を、より精読していただきたい。 法学(訴訟法)でいう「当事者」とちがって(参照)、ひきこもりや不登校の支援業界では、「当事者」はもっぱら弱者=逸脱者のことを指すが、そのことが議論を硬直させているように思う。 弱者が為す「当事者発言」は、単に特権化して優遇するためではなく、力関係の分析と再構築のために提出される――そう考えるべきだと思う。弱者を差別的に優遇する態度は、必要な一ステップだとは思うが、「弱者に無理に語らせる」という態度にもなりかねない*1。無理にでも語らせるべきなのは

    「自分で語ってみる」ことをめぐって - Arisanのノート
  • 「憎悪する権利」その他 - Arisanのノート

    きのうのエントリーの内容について、ある方から批判のメールをいただいた。個人的によく知っていて、とても信頼している方である。 ここに内容を詳しく書けないのだが、それは、とくに次の一節に関する批判だった。 抑圧や差別を被っている者には、抑圧してくるマジョリティーの集団や社会一般を憎悪する権利があるのだ。なぜなら、抑圧される側は、「抑圧される集団の一員である」というだけの理由で現に苦しめられているのだから。 この部分は、『越境の時』を読んでいて、自分が一番衝撃を受けた箇所について考えるなかから出てきた文章であり、書くまでにかなり心の揺れがあった。結果としてこう書いたわけだが、いま思うととくに「憎悪する権利」という表現は、あまりよくなかったかもしれない。 というのは、この表現では人が「憎悪」という感情を持つことにポジティブな意味があるかのように思えてしまうからだ。 ぼくが言いたかったのは、追い込ま

    「憎悪する権利」その他 - Arisanのノート
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/21
    「しかし、その暴力の背景に社会的な矛盾がある場合、暴力を告発することと、その背景にある矛盾を告発することとは、両立するはずだ。」善悪二元論の射程ではここで言われている問題点には届かない。
  • 労働しているだけで困窮者を救うことにつながる、という言説について - Arisanのノート

    前回のエントリーに対するnatamaru氏のコメントだが、人は、『あまりの怒りで手が打ち震えてきます。』とか『何度読んでも怒りが湧いてきますな。』とか書いてるが、何度読み返しても、「怒り」の感情がまったく伝わってこない内容である。 想像された他人 (彼が言う「勤労者」の人たち) の人生の体験や、自分の感情までダシに使って、相手の迷惑を顧みず、自分の空疎な主張とレトリックの手際をこれ見よがしに開陳する自分位さは、今に始まったことではないが、呆れるしかない。 この人による被害が、これ以上拡大しないことを、心から願うばかりである。 さて、それとは直接関係ないのだが、表題のこと。 これは無理な理屈のように思えるが、意外と人をひきつけてしまいがちな言い分である。 労働することが世の中を豊かにすることや、技術の発展にもつながり、そうなることによってだけ困窮者の救済は可能となるのだから、無駄な社会

    労働しているだけで困窮者を救うことにつながる、という言説について - Arisanのノート
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