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2006年12月10日のブックマーク (5件)

  • 「転載可能」が奪うもの | Adan Kadan Blog

    Yahoo転載機能」関連 「転載OK」と指定するユーザー(正確には「転載不可と指定しないユーザー)が、何を奪われるか考えてみましょう。──それは「著作権法上で付与された権利」と、自分が生み出した作品の行く末を見守る能力です。 契約書がなくても、契約だのっけから話が逸れますが。 私が法律の講習に通ったとき、最初の授業の最初の質問は、こういうものでした。 「あなたは、これまで、何回契約を交わしてきましたか?」 私は思わず、指を折って、いわゆる「契約書」にハンをついた回数を数えはじめました。「一人暮らしをはじめて、アパートを借りたときと、就職のときと、それから……」 他の受講生も、ノートのすみに「正」の字を書いていたり。 そのとき、講師が。 「何をやっているんですか?」 と笑い声を出しました。 「料金を払って、電車にのる。それも、「輸送の契約」です。八百屋で野菜を買うのも、購買契約です。あなた

    「転載可能」が奪うもの | Adan Kadan Blog
  • ネットで議論を行う事の困難さ - 煩悩是道場

    ネットで議論を行う事の困難さ web 『ネット時代の反論術』を読了した。 普段、書きたい事を「書き殴り」している私ではあるのだけれども、今回ばかりは少しだけ考えさせられてしまった。 同書は もっと端的に言えば、「バカに対して反論するなんて、基的に同じレベルのバカのやることだから、やめといた方がいいですよ」、というメッセージがこもった内容になっている 『ネット時代の反論術』p214より という文章にあるように、議論という事に極めてシニカルな一冊となっている。 恐らく、仲正氏の意見を徹頭徹尾信じてしまったら、ウエブはおろか、どんな場に於いても議論など成立はしないだろう。 私もときどき「わかってくれない人には、どんな事をしてもわかって貰えない」と半ば諦めな文章を書いたりする事はあるのだけれども、"私"という人間を真実理解出来るのは"私"しかいない、という事実を踏まえた上でわかって貰えない人に向

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/10
    確かに本当に成立している純粋な「議論」というのもまた少ないかも。あと、「辺境」=「ムラ」でもないのでは。
  • Y!B 天災機能(11)あぶないブロガー11

    「Y!B転載機能」を法律上どのように解釈するか、という議論がY!B内外で始まっている。 ここで各論の詳細を述べることは控える。理由は後で述べるとして、興味のあるかたはリンク先を参照していただきたい。(※先に議論がはじまったのはFD氏のブログだが、トンコ氏が各論の要点をまとめているので、そちらを上段に配した) ◆転載機能を撤廃させていくために(by トンコ氏) ◆ひっそりと転載機能を考えてみます・・・シリーズ(by FD氏) えー、ここでちゃぶ台をひっくり返すようなことを書きます。 (この議論に参加されているみなさま、不快な想いをさせたら誠に申し訳ありません) 私はこれまで、Y!Bの転載機能について、【撤廃】ではなく【撤去】すべきだと書いてきた。 「Y!B転載機能をとっぱらえ!」と主張するとき、【撤廃】という言葉が、私には馴染まなかった。【撤廃】という言葉は、それなりの合理的目的を有していた

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/10
    「Y!B転載機能は格好の素材なのだ。私達は、自分のコンテンツをどう発信したいのか、広くかつ安全に発信するにはどうしたらいいのか、発信に伴う責任をどう引き受けてゆくべきか。 」
  • suVeneの耳をすましば: いじめに関する

    2006年11月12日 いじめに関する 最近いたるところで見かける「いじめ」の話だが、大抵個人レベルの対症療法に留まっている。 よく見かけるのは「逃げ道を提示してあげる」という話に終始する事が多いが、それは「いじめ」が進行形の話ならば有効な手段だという事であり、根的な解決になっていない。 「いじめ」は必ず起こる。 原因を解明はできないが、帰納法的な予測として起こる確立が極めて高いといえる。 ならば、その前提で「いじめが起しにくい構造」または「起きても深刻なレベルになりにくい構造」を模索するべきである。 そうは言っても「教育」の場である学校での構造を改革するのは容易ではないだろうし、そもそも内的規範を改革する事は難しい。 そうすると何ができるのか? という事になるが、規約と集団の結合の仕方をコントロールする方法が考えられる。 「閉塞的集団の中で力の均衡が偏ることにより発生するいじめ」を取り

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/10
    現実にそこにあるいじめについては…対処療法で対応するより仕方がないところも…と書こうとして、suVene氏はそれを踏まえた上での言説だ、と考え直した。人の評価法と連帯感の再構築…それを可能にする大人の体力は?
  • 価値判断が有効なのは自戒のみ - z0racの日記

    野暮で田舎者のおいらが来ましたよ。とでも云うところだろうか。 「善意」「悪意」「野暮」「田舎者」「自分は何もかも分かっている」etc. どんなに言葉を変えようが、結局のところ価値判断でしかないのである。無論、価値判断を反省的に自己に向けることは有効である。 しかし、それを他者に向けてしまうのは、自己正当化でしかない。 自己正当化した行動に対する批判において、価値判断による言説を行うのは単に矛盾しているのである。それは価値競争でしかない。可能性を閉じるのは、他者の価値感の認否ではなく、この自己正当化なのだ。 あえて自己正当化をするのであれば、都会に住んだ田舎者であるより、殺伐とした荒野に一人立つ者でありたい。 それが虚無主義者の心意気である。

    価値判断が有効なのは自戒のみ - z0racの日記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/10
    至言。そういう抽象評価語を実際に言葉にするのは実にトリッキー。リテラシは何よりもまず自らに問うものと思う。