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2006年12月30日のブックマーク (4件)

  • それって弱者がさんざん苦しんでいた同調圧力の構造そのものだってことに気がついていないのかな。 - はてな匿名ダイアリー

    「弱者である理由は吃音・非モテ・コミュニケーション下手・貧乏・地方在住とか何でもいいから、弱者がblogに書いた愚痴には正当なツッコミをしにくくなる雰囲気を、モラルとか同情という概念を悪用して勝ち取りたいだけだよ」 という政治的なプロパガンダであれば、id:b_say_soの擁護コメントしている人は理解できるのだが。 もしかして素の気で「正論で「甘え」とかコメント付けるなんて酷い。id:suVeneは空気読めよ」とか同調圧力かけていない? それって弱者がさんざん苦しんでいた同調圧力の構造そのものだってことに気がついていないのかな。 「気を使え」とか「空気読め」とか「弱者には手加減しろ」とか。 (追記 ブックマークから見出しをいただいた)

    それって弱者がさんざん苦しんでいた同調圧力の構造そのものだってことに気がついていないのかな。 - はてな匿名ダイアリー
  • という視点を逆転した同調圧力だったということは分かるよね? 「コンプレックスに配慮できない人は社会常識が無い駄目な人」という

    同調圧力ってそれは結局マジョリティであって、どちらかといえば強者側じゃ? そう思ってしまうところが社会常識・善・空気というものに思考が囚われている証拠だなぁ。 id:b_say_soのアレは 吃音のコンプレックスが理解できない無知=弱者吃音の苦しみに同感できる理解者=強者という視点を逆転した同調圧力だったということは分かるよね? 「コンプレックスに配慮できない人は社会常識が無い駄目な人」という。 マジョリティはマイノリティを抑圧する頻度が高いから、そのアンバランスさを考慮して弱者側は相対的に考えなくても良い。社会常識で弱者ならば、そんな細かい事は考えずに問答無用に強者に対して同調圧力をかけても良い。……という方針を自覚しているのなら、それはその人の生き方だから別に良いんだけど。

    という視点を逆転した同調圧力だったということは分かるよね? 「コンプレックスに配慮できない人は社会常識が無い駄目な人」という
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/30
    「主張する弱者」に対するヘイトスピーチの仕掛け、みたいなものか。
  • 日本が終わってどこ行くの?

    ■日が終わってどこ行くの? 分裂勘違い君劇場 - さっさと次へ行こう。もう日という物語は終わったのです。 このエントリ、どう見てもネタだろうと思っていたら、はてブで多くの人が賛同していたよ。 はてなブックマーク - 分裂勘違い君劇場 - さっさと次へ行こう。もう日という物語は終わったのです。 ふー、びっくりした。 なんで、モノの価値が上昇したかというと、モノの量が減ったからだ。 なんでモノの量が減ったかというと、人間の数が増えたからだ。 もっと正確に言うと、人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。 中国や、インドや、ベトナムや、ロシアや、ブラジルで、人間らしい暮らしをする人間の数が、今、この瞬間も、とてつもない勢いで増え続けているからだ。 いままでにない巨大な人口が、ガソリンを消費し、鉄を消費し、魚をべているからだ。 人間らしい暮らしをするのに必要なモノの供給量は

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/30
    まぁアレは言葉の熱量は高いが中身は「スコラ哲学」だから。
  • ボランティアの使いかた

    広島ドッグパークのグダグダさを見て思ったこと。 ちょっと前までは、ボランティアというのは無料で使える便利な労働力にしかすぎなかった。 Web時代になって様相が変わった。ボランティアは武器を持った。 彼らは自分達のメディアを通じて、ボランティアとしての自分の意見を現場から 発信する、世論やマスメディアをも動かしうる厄介な存在になった。 「労働に対する対価を支払わなくてもいい」という、ボランティアを用いるメリットは依然としてあるものの、無償であるということは、ボランティア側にもメリットをもたらした。彼らは無償であるがゆえに、指導者に対して何ら引け目を感じることがない。NGO側に何か気に入らないことがあれば、彼らは嘘をつくことすらためらわないかもしれない。 ボランティアを使って何かを行う際には、こうしたボランティアの「目」、その背後にある世間の目というものを意識しないと、今回のドッグパーク騒動の

    ボランティアの使いかた
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/30
    やっぱり「タダほど高いモノはない」。それから、これが匿名Dに書かれるのは何となく分かる気がする。「異文化交流の考察」は例えばこういう応用のしかたもある…恐い。